第15話 雪解け

「アザール滞在中はこの部屋を好きに使ってくれ。来客用なんだが、今のところは予定もないから遠慮は無用だ」


 無事にクルプ街道を抜けたニュクス一行はアザールの町へ到着。その時点ですでに日が傾きかけていたので、商人が、命をすくってくれた礼だといってニュクス達を拠点である、倉庫が併設された二階建ての屋敷へと招待してくれた。


 アザールの町は規模こそ小さいが、王都と西部のプラージュ港の中間に位置する立地から、商人や旅客を中心に人の往来が盛ん。昨今の混乱でクルプ街道の流通網としての需要がさらに増加、加えて避難民の王都への流入なども加わり、アザールの町は規模に見合わぬ大勢の人でごった返していた。当然、どこの宿屋にも部屋の空きなどない。商人の申し出には礼はもちろんのこと、子連れ旅で宿なしは辛かろうという配慮もあった。


「世話をかけるな」

「この程度じゃ恩に報いきれねえよ。兄ちゃんがいなければ俺は今頃、街道でしかばね晒しているからな」


 二階の客室へ一行を案内すると、商人は苦笑交じりに肩を竦めた。親切心で一行を馬車に乗せたことは結果的に、商人にとっても幸運だった。


「別の仕事もあるんで一緒には行けないが、俺の伝手でリッド方面行きの馬車を手配しておくよ。早ければ明後日には出立出来るだろう」

「承知した。心遣いに感謝する」

「ありがとう、おじさん」

「ありがとうございます」

「お嬢ちゃん達も疲れただろう。ゆっくり休むといい。余裕が出来たら町を見て回るのも面白いぞ。アザールは交易の拠点だけあって露店や屋台なんかも多いからな」


 笑顔でそう言い残して部屋を後にすると、商人は次の仕事の準備のために、併設された倉庫の方へと向かった。


「さて、夕食はどうしようか」

「俺で良ければ、適当に屋台で見繕みつくろって来ましょうか?」


 日も落ちて来たし、休息するにしても夕食は取らなければいけない。

 人の多い環境はまだイリスには刺激が強いだろうと、屋台で買って来た夕食を部屋で食べる方向でニュクスとヤスミンは話を進めるが。


「せっかくだし、みんなで外に食べにいこうよ」


 何気なく言ってのけるイリスに二人の視線が集まる。


「大丈夫なのか?」

「お父さんが言っていたんだ。旅の醍醐味は行く先々の土地の雰囲気を、食べ物と一緒に味わうことだって。どうせ食べるなら、お外でみんなでご飯を食べたい」


 今のイリスは恐れよりも好奇心が勝っているように見える。まだ王都を旅立って数日ではあるが、生まれて初めて見る故郷以外の風景の数々は、多感な少女の心に少しずつ雪解けをもたらしているかもしれない。その感情にふたをしてしまうのは、身勝手な過保護というものだろう。


「そうだな、皆で外に食べに行くか。だけど、無理はするなよ」

「うん」


 〇〇〇


 今回に関してはニュクスの不安は杞憂きゆうだったのかもしれない。

 アザールの町は確かに人で溢れているが、王都に比べれば、昨今の情勢についてそこまで悲観的な意見を耳にする機会は少なかった。

 先の侵攻で西部は最小限の被害で済んだことに加え、商魂しょうこんたくましい者が多いのか、前向きで陽気なやり取りばかり聞こえてくる。良い意味で賑やかな環境だ。


「変わった味付けだね。だけど美味しい」

「ああ、何でも味付けに地域特有の香辛料を使っているらしい。王都じゃ食べられない味だな」

「この生地はなんていうんですか? 俺、こういうものを食べるのは初めてで」

「トルティーヤだな。北部や東部では珍しいが、港町の交易で入って来た西部にはもう定着している」

「ニュクスさんは物知りですね。流石は旅の絵描き」


 一行は地元でも評判だというトルティーヤの屋台で買い物し、近くの飲食スペースで夕食を囲んでいた。地元産の野菜に特製ソースをかけた栄養満点のトルティーヤと、同じく地元で有名な香ばしい麦茶が食欲をそそる。


 旅慣れしているニュクスは平常運転だが、王都を除く地元以外の地域というものを初めて訪れたイリスとヤスミンは、新発見の味と食感に表情豊かに感動している。美味しそうにトルティーヤを頬張るイリスの姿を見て、ニュクスの心も救われていた。旅に出て本当によかった。王都に留まったままなら、今頃はまだ塞ぎこんでいただろうから。


「デザートと、何なら夜食も買っていくか。何でも好きな物を選んでいいぞ」


 夕食も終わろうかという頃。ニュクスの気前のよい提案にイリスはコクコクと頷き、目を付けていたお菓子の屋台に視線を送った。席をキープしているからとニュクスはヤスミンに小銭を渡し、二人を笑顔で送り出した。


 〇〇〇


「イリスちゃん。すっかり眠っちゃいましたね」

「強がってはいたが、当然気は張っていただろうからな」


 商人の家までの帰宅途中、眼を擦り始めたイリスをニュクスが背負ってやると、部屋に到着する頃にはもう寝息を立てていた。

 ニュクスはイリスを起こさないようにそっとベッドに横たわらせ、肩まで敷布を被せてあげた。


「さてとヤスミン、俺はしばらく空けるが、イリスを任せてもいいか?」

「構いませんが、こんな時間に何処へ?」

「屋敷や倉庫じゃ主人に迷惑をかける。町はずれで少し、剣術の鍛錬でもしてこようかと思ってな。盗賊連中とのやり取りで衰えを改めて痛感した。何時、何が起こってもいいように、腕をびつかせてはいられない」


 ルミエール領での戦闘以来、二週間以上も鍛錬を怠っていた。磨き続けて来た技術はそう簡単に失われはしないが、動きのキレは簡単に衰える。盗賊や野生の魔物程度追い払えれば十分だと慢心してもいられない。予測は常に最悪の方向へしておくべきだ。出来れば関わりたくはないが、旅路の中で突発的に戦渦に巻き込まれる可能性だって否定出来ないのだから。


「そこまで遅くはならないと思うが、俺のことは気にせずに先に休んでいてくれ」


 愛用の黒いコートの襟を正すと、ニュクスはイリスの眠りを妨げないよう、足音を消しながら一人客室を後にした。


「……俺にも、戦えるだけの力があったらな」


 復讐心で武器を手に取った以前とは違う。純粋な正義感で、誰かを守るための力をヤスミンは渇望していた。もちろんそれが一朝一夕で身に付く都合の良いものでないことは分かっている。凡人を自覚するヤスミンであれば、人の何倍、何十倍と努力を重ねなければ渇望する力は手に入らないかもしれない。そんなことは分かっているけど、ニュクスにばかり負担をかけている状況をただ受け入れるわけにもいかない。守られているばかりではなく、守れる人間になりたいと、そう願わずにはいられない。

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