第14話 ジンクス
「……ここは?」
異国の湖城で、眠り姫は目覚めた。
「痛っ」
眠り過ぎたのだろうか。体が重くて思うように動かせない。何とか上体だけでも起こそうとするが、鈍い痛みが稼働を邪魔し、同時に、痛みが鈍った頭を冴えさせる。
――そうだ、私。お屋敷での戦闘中に……。
思考が一瞬、中断される。
その先を思い出してはいけないと、感情が記憶に線を引いてしまったかのように。しかし、いかに感情がそれを否定しようとも、肉体そのものが彼女に起こった異常を嫌というほど記憶してしまっている。
全てが夢であってほしい。事実だったとしても、治療が無事に成功したと信じたい。
「無い……私の足が……無い――」
残酷な現実を知った瞬間、リス・ラルー・デフォルトゥーヌは泣き崩れた。
ルミエール領での出来事について、意識が続いていた限りの記憶は残っている。
ルミエール邸へ突入したソレイユをサポートするため、敵がこれ以上侵入しないように正門前をゼナイドらと共に防衛。その最中、突如現れた
ここは何処なのだろうか? 見慣れたルミエール邸ではない。保護されて医療施設に運ばれたのだろうか? ルミエール領はどうなった? ソレイユ様はご無事だろうか? 自分の足は、本当に無くなってしまったのだろうか?
両足が失われたショッキングな事実と、ルミエール領やソレイユの安否。
あらゆる感情が溢れ出しリスはパニックに陥った。
このままは嫌だ。誰かに助けてほしい。痛みが残る重たい体を必死に動かし、何とか上体を起こした瞬間、リスはバランスを崩してベッドから転倒しそうになるが。
「眠り姫がお目覚めか。感情は察するに余りあるが、先ずは落ち着こうか」
転倒しそうになったリスの体を、一切の気配なく近づいたエキドナが支えた。パニック状態のリスは支えられていることも理解せぬまま、自由の利かない体で抵抗を試みるが、鍛え上げられたアサシンであるエキドナはビクともしない。
やがて、幾分かの冷静さを取り戻したリスは困惑しながらもエキドナの存在を認識し、
「……あなたは誰?」
「上官からの命令で君を護衛している者だ」
「護衛? ……ここは、騎士団の医療機関ですか?」
両足を切断され
「残念ながら現実は無情だ。ここは君達と敵対するアマルティア教団の施設だよ」
「えっ?」
驚愕の事実にリスは絶句。無意識に敷布を
「じゃあ、あなたも?」
「ああ、アマルティア教団所属の人間だよ」
「グロ……」
相手が敵対するアマルティア教団の人間と理解した瞬間、リスは咄嗟に魔術で反撃しようとしたが、負傷に加え、意識を取り戻したばかりで集中が上手くいかない。詠唱破棄で魔術を放つことが出来なかった。
「病み上がりに勇敢だが、今の状態で魔術を放つのは難しいだろう。
静かだが、それでいって圧倒的な説得力を感じさせる物言い。それだけでリスは互いの実力差というものを思い知った。敵陣に囚われ、一矢報いてやる余裕さえもない。無力感と悔しさを堪えきれず、大粒の涙が溜まる。
「使うといい。少女の涙を愛でる趣味はない」
エキドナが差し出したハンカチーフをリスは一度は跳ね除けようとするも、涙でグシャグシャになった顔を見られるのも
「……どうして殺さずにつれて来たのですか? 牢に入れるでもなく、
涙を流すことが図らずも感情の整理に繋がったのだろう。泣き腫れた目で、リスはエキドナに疑問を呈した。今の自分には何か行動を起こすだけの力は無いが、だからといって状況を把握することを放棄してはいけない。
「申し訳ないがその件に関しては私自身が
「……足を切られて好待遇も何もあったものですか。護衛といえば聞こえはいいですが、ようは監視役でしょう?」
「君の怒りは尤もだが、矛先として私では少々役不足かもしれない。私は君の拉致には一切関与していないし、上層部の企てなど知る由もない末端の駒だ。監視役については否定しないがね」
「……あなたは何時から私の監視を?」
「着任したのはつい先日だよ。君の寝顔を拝むだけの退屈な任務だったがね」
「……乙女の寝顔を盗み見るなんて、やはり怒りの矛先には十分じゃないですか」
「なるほど、それは確かに殺されても文句は言えないね」
苦笑を零しつつ、エキドナは内心感服していた。状況を理解してなお、皮肉を交えて意見する胆力は尊敬に値する。
「幾つかお尋ねしてもよろしいですか?」
「私に答えられる範囲でなら」
反抗を諦め、リスは情報収集に集中することにした。自分のことばかり心配してもいられない。
「ルミエール領での戦闘はどうなったんですか?」
「領主フォルス・ルミエールを含め、多くの騎士や領民が死亡。ルミエール領は壊滅状態にあると聞く。現在、荒れ果てた領地はアマルティア教団の手中だ」
「……そんなことって」
嗚咽を漏らすリスの体が震えが止まらない。
故郷や大勢の命が失われたことを、両足を失い、敵陣に拉致された状態で知らされる。優秀な魔術師とはいえリスはまだ14歳の少女だ。その現実はあまりにも酷過ぎる。
「ソレイユ様は、ソレイユ様はどうなったの?」
絶望の中にあっても希望はまだ捨てない。敬愛する主君が健在ならば、自分達はまだ戦えるはずだ。
「敵側である私が言うのもなんだが安心したまえ。ソレイユ・ルミエールは死線を生き延びたと聞いているよ。現在は王都へ身を寄せているようだね」
「良かった。ソレイユ様はご無事なんですね」
ソレイユが死ぬわけがないと自分に言い聞かせながらも、心のどこかではもしかしたらという気持ちが存在していた。この時ばかりは自身の負傷のことも忘れ、リスは心の底から安堵した。
「クラージュさん達は?」
「申し訳ないが私は正規部隊の人間ではないのでね。事情は大筋しか把握していない。個人名を出されても反応しようがないよ」
「……そうですか」
リスが再び落胆に視線を落とした。エキドナが「他に質問は」と問うても困り顔を浮かべるばかり。もう、何を質問していいかも分からない。目覚めてからの劇的な状況の変化に、いよいよ感情と体が追いつかなくなってきた。
それでも、確かな覚悟を示すための意志表示だけは忘れない。
「……教団が何を企んでいるかは分かりませんが、私もソレイユ様も絶対に屈しませんからね」
「良い心がけだ。ならば反抗するためにも、先ずはしっかり養生することだね。魔術が使えるまでに回復すれば、私の前髪くらいは焦がせるかもしれないよ」
「その台詞、後で後悔しても知りませんからね」
これだけの反骨心があれば、少なくとも自殺するような真似はすまいとエキドナは確信した。護衛とは外敵からの守護だけではなく、要人の自死を防ぐ意味合いもあるからだ。そういう意味では随分とやりやすくなった。
「希望があれば可能な範囲で叶えよう。君は上客だからね」
「でしたら、私をここから連れ出してください」
「却下だ。それ以外に何か望みは?」
「……でしたら、せめてたくさん本を持ってきてください」
「読書、好きなのかい?」
「活字中毒といってもいいと思います」
即答振りに、エキドナは思わず吹き出してしまった。
「笑うなんて、失礼な方ですね」
「すまない。
「でしたら、オットーの作品を」
それまで余裕を崩さなかったエキドナがここに来て目を丸くした。
希望の作家を聞いたら、まさかオットーなんて比較的マイナーな名前が出てくるなんて。
「オットー、好きなのかい?」
「はい。あのダークな世界観と人間模様の
「……いいだろう。中毒症状が出ないよう、なるべく早く揃えるように計らうよ」
そう言って、エキドナは一度リスの寝室を後にした。彼女が目覚めたことを湖城の使用人達にも知らせなければいけないから、というのは建前で、本当は動揺隠しの意味が大きい。
元同僚のアサシン、ニュクスに絵描きとしての一面があったように、エキドナも小説家としての表現者の一面を持つ。筆名はオットー。
公の場に姿を現したことなどないので、当然、自身の作品のファンと出会った機会などこれが初めて。それも、こんなにも歪な形で。
リスと出会った時に半ば冗談半分に想像した暗殺部隊のジンクスが、まさかエキドナ自身にも降り掛かることになろうとは。
やはり、暗殺部隊の人間がルミエール領の人間に関わると
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