第13話 弱くなった
「助かったよご主人。おかげ様でこの子の負担も少なくて済む」
ニュクス一行は、王都で荷下ろしした帰りの商人の馬車に厄介になっていた。西部に伸びるクルプ街道を子連れで行くニュクス達を気にかけ、親切な商人が声をかけてくれた形だ。
「なーに、どうせ同じ方角へ向かうんだし、この程度はお安いご用さ。ただ、脅かす気は無いがこの通り個人操業のしがない行商だ。万が一の時は自分の身は自分で守ってくれよな」
そう言って、ストローハットと顎鬚が印象的な大柄な商人が豪快に笑った。生来の気の良さが全身に滲み出ている何とも明るい御仁だ。馬車はこのままクルプ街道を西へ進み、商人が拠点としているアザールの町までニュクス達を乗せていってくれることになっている。
「せめてものお礼だ。自分の身と言わず、道中は用心棒を務めさせてもらう」
「その自信、はったりじゃなさそうだな。もしや兄ちゃんは傭兵か何かかい?」
「最初に名乗った通りただの旅の絵描きだよ。戦闘能力はあくまでも自衛の手段だ」
「訳ありってわけかい。事情は気になるが尋ねるのは不躾ってもんだな。こんな時世だ。生きてりゃ色々ある」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「腕に覚えがあるってなら、俺としても有りがたい話だしな。尤も、今までこのクルプ街道で危険な目に遭ったことはないが――」
笑顔で馬車を操る商人目掛けて、一直線に矢が飛来した。馬車の足を止めるに先ずは操縦者を射よとの判断だ。商人が単身、あるいは乗り合わせていたのがただの一般人だったなら、今の一撃で全てが決まっていたことだろう。
「言った側から俺の出番のようだな。馬車を止めてくれ」
荷台から身を乗り出したニュクスが飛来した矢を、商人に接触する直前に叩き落とした。商人はニュクスの反応が数秒遅ければ頭部を撃ち抜かれていたという事実に絶句。青ざめたままニュクスの指示通りに馬車を止めた。
図らずも馬車が動きを止めたことで、周辺に潜んでいた盗賊らしき一団が姿を現し、進路を妨害するように馬車を大きく取り囲んだ。
「何でこんなところに盗賊が」
「情勢の変化というやつかな。アマルティア教団の侵攻で北部や南部で混乱が続く今、稼ぎを求めて、比較的戦況の落ち着いている西部に流れて来たんだろう」
冷静に分析するとニュクスは馬車から飛び降り馬車を取り囲む盗賊達を見回した。目測出来た人数は15人。馬車を狙撃した弓兵の姿は確認出来ない。伏兵としてどこかに潜んでいるものと思われる。
これまでは一呼吸の内に終えていた状況確認だが、右目を失った影響で今までよりも把握が遅い。盗賊相手なら大した隙にはならないが、これが極限状態の命のやり取りだったなら致命的な隙となっていたかもしれない。
「ヤスミン、絶対に馬車から出てくるんじゃないぞ。イリスの耳もしっかりと塞いでやってくれ」
「分かりました」
「ご主人も馬車の中に。顔を出していると狙撃されるぞ」
恐怖が蘇って来たのだろう。商人は慌てて馬車の中へと身を潜めた。イリスのことはヤスミンに任せておけば問題ない。これで心置きなく邪魔者を排除出来る。
「相手は一人だ。一斉に取り囲め――」
リーダー格らしき、素肌に革製のベストを羽織った盗賊は指示を出し終えぬまま、右目をダガーナイフが直撃し即死。早々かつ永遠に戦線を離脱した。
「……外したか」
眉間を狙った投擲だったが結果は逸れて右目へと収まった。一撃で殺せたことに変わりはないが、これまでのニュクスの精度からは考えられない誤差だ。片目を失った代償は大きい。
先のルミエール領戦はまさに死線の連続。負傷直後で今以上に右目の喪失感が強かったにも関わらず、ニュクスは死線を生き延びた。体中のあらゆる感覚が失われた右目を補い、普段と遜色ない戦闘能力を発揮させていたが、今となってはその感覚を思い出すことは難しい。
「我ながら、よくもあの戦場を生き残れたものだ」
自嘲気味に笑いながら、ニュクスは右側面から迫った槍使いの刺突をバックステップで回避。即座に肉薄し一瞬で頸動脈を割いた。眼帯の死角を突こうとしたのだろうが狙いはあからさまだし、動きも大振りで隙だらけ。戦意などなくとも体に染みついた感覚だけで作業として殺せる。
「ゆ、弓で狙え」
盗賊の一人が半ば祈るように指示するも、弓兵による狙撃が行われる気配はない。狙撃手として戦場全体を見通している分、いち早くニュクスの危険性に気が付いたのだろう。命には変えられないと、弓兵は仲間達を見捨てていち早く戦場から離脱していた。
「本調子じゃないからさ、楽に死なせてやれないかもしれないぞ」
半ばヤケになって斬りかかって来た短剣使いをニュクスが切り伏せた瞬間、怖気を催した盗賊達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
大概の者が逃げ出す中、仲間の仇を討とうとなおも二名の盗賊がニュクスへ斬りかかったが、ニュクスは危なげなく盗賊達を切り伏せる。これによって状況は完全に終結。自衛のために4名を切り伏せるという、最小限の殺生で事態は終わった。
「……弱くなったな、俺は」
返り血塗れの姿でイリスを怖がらせたくないから、この程度で済んで良かったと思っている自分がいた。
かつてのニュクスなら命知らずの盗賊程度、全員一瞬で血の海に沈めていたことだろう。
〇〇〇
「ただいま、イリス」
「悪い人達は?」
「丁寧に応対してお帰り頂いたよ」
馬車を出発させ、盗賊の死体も見えなくなったところでニュクスは馬車の中へと戻り、不安気に膝を抱え込んでいたイリスの頭を優しく撫でてやった。ニュクスが戻ってきたことでイリスの表情も自然と和らぐ。
「ニュクスさん。アザールの町から先はどこへ向かう予定なんですか?」
持参してきた地図を眺めながらヤスミンが尋ねる。突然の出立だった故、まだ具体的な旅のプランについて話し合っていなかった。
「西部のリッドという港町へ向かうつもりだ。イリスが行ってみたいと言っていたし、俺自身も興味がある」
「その町はいったい?」
「お父さんの故郷。一度でいいから見てみたいってニュクスにお願いしたの」
「そうか、オネットさんの」
イリスの父ケビン・オネットは元は旅人で、旅の最中にルミエール領でパメラ婦人と出会い、婿入りする形で宿屋を継いだという経緯がある。自身と母親の故郷が失われた今、残されたイリスがまだ見ぬ、父親のルーツに興味を示すのは当然のことであった。
「ニュクスさん……」
イリスの心情に配慮したのだろう。ヤスミンは小声でそっとニュクスに耳打ちした。イリスは商人に手招きされて先頭から外を眺めている。この地域特有の珍しい景色を商人が教えてくれているようだ。外に夢中になっており、ニュクス達の方へは意識が向いていない。
「その、リッドの町にイリスちゃんの父方の親戚が在住している可能性は?」
「旦那さんは若い頃に旅に出て以来、一度も故郷へは戻らなかったようだし、生前手紙のやり取りをしている様子も無かったと聞いている。すでに親族はいないのかもしれないし、いたとしても疎遠なのは間違いないだろうな。一応、町に着いたら旦那さんの身内がいないか調べてみるつもりではいるが」
「見つかったら、イリスちゃんのことは?」
疎遠とはいえ、信頼出来る親戚ならばイリスを託すという選択肢も考えられなくはないが。
「勘違いするなよ。イリスは俺が育てていく。その考えに変わりはない。ただ、旦那さんの身内が在住しているなら事情くらいは知らせておくべきだろうと思っただけだ。旦那さんからしたら余計なお世話かもしれないがな」
「それを聞いて安心しました。顔も知らない親戚よりも、ニュクスさんと一緒に過ごす方が絶対にイリスちゃんのためですから。そういうことでしたら俺も全力でニュクスさんをお手伝いします」
「到着はまだ少し先の話だ。そう気負うな」
どこか熱意が空回りしているヤスミンの肩にポンと触れると、ニュクスはイリスを追いかけて馬車の先頭へと顔を出した。
「ニュクス、見て見て変わった形の岩が並んでるよ」
「おお、どれどれ」
未知の土地への好奇心から少しずつ笑顔を取り戻して来たイリスと、その成長を穏やかな表情で見守るニュクス。二人の姿は一見すると微笑ましい旅行者の兄弟のようにしか見えない。
本当にそうだったならどれだけ良かっただろうかと、事情を知るヤスミンは複雑な表情で二人の背中を見つめていた。
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