第11話 逃避

「なあ、イリス。二人で旅に出ないか?」


 夕食の席で、ニュクスは唐突にイリスへと問いかけた。


「どこへ行くの?」

「どこか戦渦の及ばない遠くへ行こう。そうすればもう、怖い思いをしないでもすむ」

「本当?」


 昼間にパニックを起こしてしまったことで、感情が敏感になっているのだろう。怖い思いをしないで済むという言葉にイリスは即座に反応した。


「だけど、ニュクスのお仕事は?」


 感情に身を任せるのではなく、ニュクスの事情を第一に考えることが出来るのがイリスのという少女の優しさだ。ニュクスに迷惑をかけてしまうことをイリスは何よりも嫌う。天涯孤独の身となった今、兄のように慕うニュクスを思う気持ちは肉親のそれに近い。


「この傷じゃもう、戦いを続けるのは難……」


 言いかけてニュクスは下唇を噛んだ。幼い少女を前に建前で取り繕うべきではない。どんなにカッコ悪かろうとも、自身もまた本音を語らなければいけない。

 片目を失ったことで戦闘能力が削がれたことは事実だが、殺しのために鍛え上げて来た肉体の切れ味まで失われはしない。これまで以上に創意工夫は必要となるが、戦力としての働きはまだ十二分にこなせる。


 失われてしまったのは戦闘能力ではなく、戦闘意欲の方だ。


「本当はな、俺も怖いんだ。これ以上戦場に立つ度胸がない。だから、戦渦から少しでも身を遠ざけたい。俺の我儘わがままにつき合わせることになってしまうけど、イリスとの約束を破りたくはないから、一緒に来て欲しいんだ」

「ニュクスでも怖いの?」

「ああ、怖てたまらない」

「ニュクスも、私と同じなんだね」

「そうだよ。もちろん直ぐに決断してくれとは言わない。ゆっくり考えてから決めてくれ」


 故郷を失ったとはいえ、王都には共に移住してきた一部のリアンの町の住民や交流が深かったソレイユも滞在している。旅に出るよりもそのまま王都へ残った方が、知人が多く過ごしやすいのは紛れもない事実。


 約束を守るといえば聞こえがいいが、イリスを連れて行くことは王都へ残る度胸がなく、イリスを一人残すほど非情にもなれない。どっちつかずな甘えであるとニュクスは自覚している。


「考えなくても大丈夫。私もニュクスと一緒に行く」


 イリスは即断した。傷心とはいえ、雰囲気に流されて重大な決断を下すような少女ではない。彼女には彼女なりの揺るぎない決意が存在する。


「本当にいいのか?」

「もう、私の家族はニュクスだけだもの。ニュクスと一緒ならそこが私のお家」

「イリス……」

「ニュクスと一緒ならどこでもきっと楽しいよ。綺麗な景色を見て、一緒に絵を描こう」


 涙を流す機能など感情がとうに排したが、それでも心の奥底に熱いものがこみ上げてくるのをニュクスは確かに感じていた。イリスは心の底から自分を信頼してくれている。信頼してくれている家族がいる。自分の居場所はそこにある。


「世界は広い。イリスに初めての景色をたくさん見せてやる」


 イリスの華奢な体をニュクスは優しく抱き留めた。親代わりとして、この子が明るい未来を過ごせるように全力を尽くそう。命懸けで我が子を守ったオネット夫妻のためにも、イリスの未来を守り抜く責任がニュクスにはある。

 幸いにもニュクスには高い戦闘能力がある。傭兵業の真似事をすれば二人で生活していく分の稼ぎは望める。殺しのために磨き上げた技術を、今度こそ誰かを守るために使えるはずだ。


 ――これが俺の決断だ。軽蔑してくれて構わないぜ、お嬢さん。


 臣下でなければ友人だったわけでもない。契約だっておおよそまともとは言えない血塗られたもの。にも関わらずニュクスは、ソレイユに対する不義理に心苦しさを感じていた。これ以上傷つかないためには、もう距離を取ることぐらいしかニュクスは選択肢を考えられなかった。


 連合軍に参加すべくルミエール領を発った直後、ソレイユとニュクスは自分達の存在を太陽と夜に例えた。太陽を覆い隠すのは何時だって夜の訪れを知らせる闇だと言ってのけたニュクスに対し、ソレイユはその関係を悠久の時を近しい場所で過ごして来た良き隣人同士だと評した。


 どちらの意見が正しいとも、間違っているとも言えない。しかし、一つだけ確かなことは、太陽と夜とは同時に同じ場所に存在することは出来ないということだけだ。


 〇〇〇


「さっきの話、聞いてたんだろう?」

「……すみません。ノックしようとしたら声が聞こえてきたので、つい聞き耳を立ててしまって」


 イリスが入浴している間に、ニュクスは自宅前でしゃがみ込むヤスミンへと声をかけた。ヤスミンらしき人物の気配があることはニュクスも気づいていたが、ヤスミンになら聞かれても構わないと思ったからこそそのまま会話を続けた。


 世話になったヤスミンにはいずれ事情を話すつもりだった。早い段階で事情を打ち明けたのはニュクスなりの誠意だ。


「事情は聞いての通りだ。出来れば止めないでほしい」

「近くで見てきた者として、二人がどれだけ苦しんできたのかは理解しているつもりです。どこか遠くへ旅立つことが救いになるというのなら、俺はそれを止めません……止めませんから、一つだけお願いがあります」

「お前には世話になった。俺に出来ることなら何でも言ってくれ」


 大きく深呼吸をした後、それまで俯きがちだったヤスミンが面を上げ、しっかりとニュクスを見据えた。


「旅に出るというのなら、俺も一緒に連れて行ってくれませんか? もちろんご迷惑はお掛けしません。自分の食い扶持ぶちは自分で稼ぎますから」


 冗談でこのようなことを言い出すような人間ではない。熱意も覚悟も間違いなく本物だ。だからこそ、何がそこまでヤスミンを駆り立てるのかが分からない。


「俺達の旅に同行しようとする理由は?」


「ニュクスさんは俺の恩人です。俺に出来ることなんてたかが知れてるけど、ずっと恩返しをしたいと思ってきました。グロワールから王都へ移ったのも、少しでもニュクスさんの助けになりたかったからです。ニュクスさんが旅に出るというのなら、俺も従者としてお供したい」


「俺の存在に囚われず、お前はお前の人生を生きるべきだ」


「俺の人生を生きるべきだというのなら、ニュクスさんについていく選択だって俺の人生です。身寄りもなく、故郷にも直ぐには戻れません。尊敬する人の力になりたいと思うのはいけないことでしょうか?」


 天涯孤独の身となっても、多忙さとニュクスに対する憧れで悲しみを紛らわせてきたヤスミンだったが、此度のルミエール領陥落を受け、気丈な彼もまた気持ちがいっぱいいっぱいになってしまったのだろう。今すぐ自分の未来を考える余裕なんてない。ヤスミンもまた、信頼出来る人物との逃避を望んでいた。


「……断っても、勝手についてきそうな勢いだな」


 一度は兄の復讐を果たそうとしたこともそうだし、ニュクスへ恩を返したい一心で単身王都へ移るなど、ヤスミンの行動力には目を見張るものがある。仮にこの場で同行を拒んだところで、子連れの旅だし直ぐに追いつかれてしまうことだろう。だからといって、彼の決意を解きほぐせる弁舌など今のニュクスは持ち合わせていない。


「時期が時期だ。必ずしも安全な旅路となるとは限らない。そのことだけは覚悟しておけよ?」

「それじゃあ」

「一緒に来い。非常時にはお前がイリスの側にいてやってくれ。そうすれば俺も心置きなく危険を排除出来る」


 万が一、野盗や野生の魔物と戦闘に発展した際、イリスを庇いながらどこまで自分がどれだけ戦えるか、ニュクスは少なからず危惧していた。イリスはヤスミンに心を開いている。イリスを託せる相手がいれば格段に戦いやすくなるというものだ。結果的に旅の安全性は高まる。


「ありがとうございます!」


 深々と頭を下げたヤスミンの肩にニュクスはむず痒い表情で触れた。

 血生臭い人生を歩んできたせいか、誰かに正面向かって感謝される感覚には未だに慣れない。


「近日中には王都を発つ。何時でも出立できるように用意しておけ。このことは誰にも言うなよ?」

「……分かりました」


 誰にも何も言わず、煙のように居なくなることをニュクスは心に決めていた。離反した身とはいえニュクスは教団の関係者だ。引き留められれば荒事に発展する可能性は否定できない。


 元々ルミエール領に突然現れた旅の絵描きだったのだ。突然旅に出ることもまた必然だ。


 ニュクスはそんな風に自分に言い訳をした。


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