第6話 団長と副団長
ソレイユがニュクスの借家を発った頃。カジミールはビーンシュトック邸の別館で療養する
ゼナイドはベッドで上体を起こした姿勢でカジミールを迎えている。重傷を負ったゼナイドの他、一時は生死の境を彷徨った若手のジョエルも療養を続けており、騎士団長として団員の状態を確認しに訪れた次第だ。
ゼナイドは順調に回復してきているが、背面に受けた傷は深く、まだ安静が必要だ。リスを救うためにも一日でも早く騎士団に復帰したいが、感情とは裏腹に、まだ訓練にも戻れぬもどかしい日々が続いている。
「あれから、リスちゃん達の行方について何か分かった?」
「諜報部隊が情報収集に当たっているが、残念ながら消息は掴めていない。ただ、情報を精査する中で分かってきたことだが、どうやら拉致されたのはリスやイルマ嬢だけではないようだ」
藍閃騎士団が壊滅的な被害を受けた今、ゼナイドはカジミールに次ぐ実力者だ。ルミエール家に仕えるようになってから日は浅いが、かつて所属していた屋敷での経歴も含め騎士としての経験値は豊富。実質的な副団長の立場にある。療養中だからと遠慮はせずに、カジミールは騎士団長として積極的にゼナイドと意見交換を行っていた。療養に専念するよりも、常に最新の情報を得て知略を巡らませる方がゼナイドにとっても望ましいだろう。
中でもルミエール領での戦闘中に拉致されたリスの話題にゼナイドは一際敏感だ。両足を切断されたリスを目の前で拉致されたゼナイドの自責の念は強い。
「他にも消息不明の人間が?」
「戦端を開いた国境線上での戦闘。生存者の一人が、自軍の魔導騎士が生きたまま教団に拉致された瞬間を目撃している。被害が甚大故に正確な犠牲者の数も把握しきれていないが、行方不明者の一部には教団に拉致された者もいる可能性が出て来た。加えて直近、軍属以外でも、傭兵や研究者といった民間の魔術師が行方不明になっているという情報が寄せられている。全てを教団の仕業と断定するのは早計だろうが、まったくの無関係とも思えない」
「行方不明となった魔術師たちに共通点は?」
「リスやイルマ嬢を含め、大半が詠唱破棄で魔術を放てる実力者達だ。傭兵や研究者たちの方はまだ裏付けが取れていないが、高い評価を受けていた著名な魔術師も多い。可能性は高いだろうな」
「優秀な魔術師ばかり
「邪神復活の時が近いと噂されていることに何か関係があるのかもしれないな。魔術と邪神ティモリアとには切っても切り離せない関係がある」
魔術優位の現在の世界体系は、長期に渡る邪神ティモリアの支配により、自然界に強い魔力が根付いたからこそ構築されたもの。
アマルティア教団の教義に記された一説は虚構などではなく、純然たる事実である。
魔術は邪神ティモリア出現以前から存在していたがそれは、優れた才能を有する者が数十年に渡る修行を済んだ末、老齢でようやく習得に至る神秘の術であった。
しかし、強大な魔力を有する邪神ティモリアの
邪神のもたらした変化を恩恵と呼ぶことは
それまでは習得までに数十年の歳月を有していた魔術が、数年の修行で会得可能な現実的な技術として広く普及したのだ。
500年前に邪神の封印が成されたが、大気中の魔力濃度は減少することなく、魔術体系は現代に至るまで維持され続けてきた。近年、野生の魔物の動きの活性化に加え、研究機関の調査によって年々魔術濃度が上昇していることが判明。アマルティア教団の台頭以前から邪神ティモリアの復活が近いのではと危惧されてきた。
一方で魔力濃度の上昇によって魔術の質は500年前の大戦時に匹敵する程に向上しており、魔術師人口、研究機関、教育機関の数ともに過去最高を記録するなど魔術は繁栄を誇っている。
現代魔術とは邪神ティモリアの存在なくして有り得なかった技術。
魔術発動にかかせない大気中の魔力が邪神ティモリアの恩恵によるものであることも紛れもない事実。
邪神信仰の有無を問わず、この世界に生きる魔術師であるということは、それだけで邪神ティモリアとは切っても切り離せない関係にあるということになるのだ。
邪神の復活が危惧される時期に起きた、アマルティア教団による才能ある魔術師たちの拉致は、無関係とは思えない。
「……まさか、邪神復活の生贄なんてことは」
「可能性は否定できない。憶測で語る事に意味はないがな」
「やっぱり休んだままなんて――つっ!」
「興奮し過ぎだ。その体で何が出来る」
声を荒げて立ち上がろうとした瞬間、ゼナイドが痛みに表情を歪める。カジミールはそっと両肩に触れ、ゼナイドをベッドへ横たわらせた。
「今は大人しく傷の回復に務めろ。お前に復帰してもらわねば俺も困る」
「……分かっているわよ、そんなこと」
ふてくされたかのように、ゼナイドは毛布を頭まで被る。悔しさに涙ぐむ姿をカジミールに見せたくはなかった。
「お前も身をもって体験しただろうが、あの
「鍛錬を重ねるまでよ。次は絶対に負けない」
「だが、鍛錬だけでは覆せぬ差というものもある。限られた時間の中では猶更だ」
「騎士団長ともあろうものが逃げ腰? 見損なわせないで――つっ!」
腫れた目で勢いよく上体を起こしたゼナイドが再び表情を引き
「話は最後まで聞け。熱くなりすぎるのがお前の悪い癖だ」
「だったら早く本題に入りなさいよ。冷静沈着め」
お互いに苦言を呈しつつも本心では、カジミールはゼナイドの感情を力に変えられる熱血漢な部分に、ゼナイドはカジミールの冷静沈着で何時だって自分を見失わない芯の強さに、それぞれ敬意を払っている。それが二人の戦友としての有り方だ。
「晦冥騎士と渡り合うためには鍛錬はもちろんのこと、強力な武器が不可欠だと俺は考えている。ルミエール邸で撃破した晦冥騎士が使っていた魔導武器を入手したことは以前話したな。ソレイユ様や王国騎士団の許可を得た上で、入手した魔術武器を素材に既存の武器の強化出来ないか、王都の工房に相談中だ。実現した暁にはゼナイドの武器の強化を考えている」
「どうしてそこで私の名前が出るのよ。カジミールくんが入手した素材なんだから、あなたの武器の強化に使うのが筋でしょう」
「勘違いするな。今回入手した魔術武器は高熱の刀身で対象を焼き切る特製を持つ斧だ。打撃主体の俺よりも大剣を得物とするお前の方が適正があるだけだ。俺は俺で、自分の戦闘スタイルに適した素材が手に入ればその時点で武器の強化に務めるさ」
「カジミール……」
「重ねて言うが今は回復に務めろ。いざ強力な武器が完成しても、使い手が病床では何の意味もない」
厳しい物言いに反し、ゼナイドの肩に毛布をかけてやるカジミールの仕草はとても丁寧だった。
「了解だよ……団長」
気恥ずかしそうに漏らしたゼナイドの呟きに、それまで仏頂面だったカジミールが一瞬、驚きを露わに目を見開いた。
生前のドラクロワ団長から直々に騎士団長の任命を受けたとはいえ、時期が時期だけに正式な任官式もまだ行われてない。そのためかカジミールに対する呼称がまだ定まっておらず、名前で呼ばれるか、元々の部下達を中心に隊長と呼ばれることが大半。小声ながらもカジミールを「団長」と呼んだのはゼナイドが初めてであった。
領主フォルスと騎士団長ドラクロワは、流浪の身であったゼナイドに再び騎士としての道を示してくれた大恩人。比較することではないが、元は余所者だからこそ、ゼナイドは藍閃騎士団という新たな居場所に対する思い入れだって人一倍強い。そんなゼナイドがカジミールをあえて団長と呼んだのだ。言葉の持つ意味は大きい。
「ドラクロワ団長のように上手くやれるだろうか」
カジミールは表情を悟られぬように天を仰ぎ、柄にもなく不安を口にした。
藍閃騎士団が壊滅的な被害を受けた今、カジミールは騎士団長という大役を担うと同時に、25歳の若さで騎士団の最古参となってしまった。主君たるソレイユや騎士団の若手の不安を悪戯に
「弱音なんてらしくない。あなたは他ならぬドラクロワ様から新団長へ任命されたのよ。緊急的とはいえ無責任な任命などなされるお方じゃない。有事で時期こそ早まったかもしれないけど、あなたを後継者にという考えはきっと以前から温めていたに違いないわ。ドラクロワ様に敬意を表するのなら、ドラクロワ様のやり方を真似るのではなく、ドラクロワ様が認めたあなた自身のやり方を貫いていくべきだよ」
「そうだな、弱音なんてらしくなかった。いいや、弱音なんて吐いている暇はない」
心持が少し軽くなったのだろう。憑き物が落ちたように、カジミールは穏やかな表情で立ち上がった。これではどちらが激励されたのか分からない。
「可愛いところあるじゃん」
「む?」
「不安を感じているのは事実だろうけど、自分なりに騎士団長としての覚悟はとっくに決めてたんでしょう。今日のはたぶん、不意に漏らしてしまった一瞬の感情」
「……そうかもしれないな。以後気を付ける」
「いいじゃない別に。私くらいには隙を見せたって」
「お前、そんなに優しい奴だったか?」
「あなたのこと、これでもとても尊敬しているのよ。私があなたの立場だったらきっと潰れてしまっているから」
「そんなことはないさ。お前は強い女だ。それに、仮にお前が今の俺のような立場だったとしたら、その時は俺が支えていただろうさ」
「……どこでそんなかっこいい台詞を覚えたのかしら?」
「お前の言う、不意に漏らしてしまった感情とやらかもしれないな――
部屋を後にするカジミールの背中へ向けて、ゼナイドは反省を踏まえ、傷に響かない程度に声を張った。
「カジミール団長。私、何があってもあなたとソレイユ様についていくからね」
「頼りにしている。今はしっかり養生しろ」
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