第5話 誰よりも優しく、誰よりも厳しい

「盗賊に家族を殺され、奴隷市場で売られるのを待つだけだった俺に、教団のアサシンとしての道を示したクルヴィ司祭という男がいる。以前、ロディアについては少し話したと思うが、彼女と再会することが出来たのはクルヴィ司祭のおかげだ。あの人がロディアの居場所を突き止め、任務という名目で俺を救出に送り出してくれた。結局、ロディアを日常へ戻すことは叶わず、行き場所の無かった俺らはそのまま教団に籍を置くことになったがな。


 俺に主義思想はない。そんな俺が教団に身を置いていた理由は、ロディアの存在はもちろんのこと、クルヴィ司祭に対して恩義を感じていたからでもある。あの人を親代わりと思っていた時期だってある。大恩ある司祭のために、俺は俺の意志で尽くして来たはずだった」


「そのクルヴィ司祭というのが、あなたがルミエール領で対峙した上官ですね?」


「……そうだ。クルヴィ司祭は俺の非情さを試すために、崩壊する宿から救い出したイリスを殺せと俺にそう命じた。それだけは出来ないと、大恩ある司祭の命令を俺を拒んだ。業を煮やしたクルヴィ司祭自らがイリスに手を下そうとした瞬間には、俺は反射的にあの人に刃を向けていたよ。右目は失ったがイリスの命を守れた。そのことに後悔は無いが……」


「後悔が無いのなら、何があなたを悩ませるのです? 非情な人物とはいえ、恩人相手に刃を向けてしまったという事実そのものですか?」

「……俺は恩人であるクルヴィ司祭のために尽くして来た。それが俺の意志であると確信して。だけどその確信が崩れた。それが本当に俺の望みだったのかと」

「どういう意味ですか?」

「刃を向けた俺に対して司祭が言ったんだ『どうしてくさびが外れている』とな」

「楔?」


「それが何なのかは俺にも分からない。だが、クルヴィ司祭は熟練の魔術師で、中でも呪術のエキスパートだ。何かしら呪術的な支配の一種だろうと俺は考えている。当初は俺が反抗するはずがないと高を括っているようだったが、楔とやらが不安定と悟るや否や、司祭は即座に俺を破棄した。凶器が使い手に逆らうものじゃないと言ってな」


「しかしそれでは、これまでのあなたは」


「……あの戦いを経て、楔とやらが完全に抜けたんだろうな。違和感が日増しに強くなってきている。大恩あるクルヴィ司祭のために忠実に任務をこなす日々。それを疑うことも無かった……今になって思えばそのこと自体がおかしいんだ。俺はその方向性を何時の間にか受け入れていた。反目するという選択肢が浮かんだことなど、それまで一度たりとも無かった。自分の意志であると確信していたはずなのに、これじゃまるで操り人形だ。それこそがクルヴィ司祭の言う、楔とやらの正体なんだろう」


「……惨いことを」

「……笑っちゃうよな。自分が駒であることは理解していたが、まさかそれが文字通りだとは」


 元より自嘲気味な言動が多かったが、今回ばかりはこれまでとは明らかに雰囲気が異なる。俯いたニュクスが発する言葉は全て、激しい自己嫌悪と悲哀とに震えていた。ニュクスがこんなにも弱々しい姿をソレイユに見せるのはこれが初めてのことだ。涙だけは絶対に見せない。己には泣く権利がないと精神にそう言い聞かせているのかもしれない。


「……お辛いですよね」


 ニュクスの右手にソレイユは優しく自身の右手をかざした。出来れば両手で握ってあげたいが、左腕を吊っているので今は難しい。


「あなたは本来優しい人のはずです。楔が抜け、これまでの自身の行動に違和感を覚えしまったというのなら、優しいあなたがその事実に心を痛めぬはずがありませんから」

「……許されないことをしてきた。例え楔の影響があったとしても、凶刃を振るってきたのは俺自身だ……」


 ニュクスは負傷を理由に戦意を喪失するような人間ではない。彼の戦意を喪失させたのは、楔が抜け落ち、クルヴィ司祭の支配を脱した結果襲い掛かった、過去に行ってきた暗殺に対する強い罪悪感と自己嫌悪だ。


 避けようのない運命だったと。全てアマルティア教団やクルヴィ司祭が悪いのだと自己を正当化するには、ニュクスの性根は真っすぐで優しすぎる。温和で絵を描くことを好む少年の本来あるべき姿は生み出すことでこそあれ、奪うことではなかったはずだから。


 長年磨き上げて来た剣技の鋭さは右目を失った今なお健在だろう。だが、剣を振るうための感情が錆びついてしまっては剣技そのものが錆びついているのと同義。葛藤が続く限り、ニュクスの剣技に以前のような鋭さが戻ることはないだろう。


「……俺の剣は奪うばかりで何も守れない。そんな俺にはもう剣は振るえない」

「過去の過ちは消えない。だけど、あなたの剣が守り抜いた命だってあったではありませんか」

「……お嬢さん?」


 椅子から立ち上がったソレイユがニュクスの正面に立つと、自由の利く右手をニュクスの背中へ回し、その体を優しく抱き留めた。


「あなたがイリスの命を救った。カキの村で初めて教団と対峙した時だって、あなたの活躍でヤスミンや多くの住人の命が救われた。グロワールの竜撃だって、あなたがいなければ被害はより深刻なものとなっていたことでしょう。私だってあなたには何度も命を救われた。そのおかげで私もまた誰かの命を救うことが出来た。少なくとも私は、守るために剣を振るうあなたの姿を知っているつもりです」


「慰めの言葉なんて止めてくれ……俺にはそんな言葉をかけてもらう資格はない」

「気に入らなければ耳でも塞いでいてください。私は勝手に言葉を続けるだけです」

「……抱きしめられていると、両手で耳を塞ぐことも出来ないんだが」

「そんなの知りませんよ」


 ニュクスから体を離さないどころから右腕の力を強めるあたり、ソレイユは確信犯だろう。


「あなたは優しく、そしてとても強い人です。犯した過ちに背を向けるような真似はしないでしょう。だからこそ同時に、命を守るために剣を振るった今のあなたの行動を否定しないであげてください。呪いによる支配ではなく、あなた自身の明確な意志で行った行動を否定してはいけません」


「……自己肯定は自己否定よりも難しいものだ。どうしたって安易な方を選んでしまう。俺はお嬢さん程強くはないから」


「私だって、実力不足を自覚しながら日々もがき続ける小娘ですよ。立場や責任の重圧に押しつぶされそうになる時だってある。命を救えなかった後悔で胸が張り裂けそうになる時だってある。これでもまだ17歳の乙女。鉄の心には程遠い」

「それでもなお折れないお嬢さんの芯とはいったい何だ?」


「守りたい人達がいる。守りたい日常がある。そのために剣を振り続ける生き方に一切迷いはありません。領主の家に生まれたからでも英雄の系譜だからでもない。例え異なる立場に生まれ出ていようとも、私は守るために剣を振るう道に進んだことでしょう。守るために剣を振るうこと、それは生まれ育った環境により示された使命という名の方向性ではなく、私という人間の本懐ほんかいなのだと確信しています」

「本懐か……」


 迷いなく己の意志で本懐を歩める人間がどれだけいるだろうか。本人は小娘と自嘲じちょうしているが、これほど心の在り方が気高く、力強い少女はそうはいないだろうとニュクスは思う。


「俺にとっての本懐とは何なんだろうな」

「他者が答えを示せる問題ではありません。その答えを知るのも、その答えを見つける可能性を持つのもこの世界でただ一人、あなただけなのだから。一つだけ言えることがあるとすれば、楔という名の支配を脱したのなら、あなたは今度こそあなたの意志で方向性を決めていくべきだということです」

「お嬢さんは優しくして、それでいて厳しいな」

「そうかもしれませんね」


 微笑を浮かべると、ソレイユはようやくニュクスの体を解放してくれた。


「予定が控えていますので、今日はこれで失礼しますね。紅茶をご馳走様でした」

「途中まで送ろうか?」

「そろそろルミアが迎えに来てくれるはずですから大丈夫ですよ」


 笑顔でそう言い残すと、ソレイユはニュクスの自宅を一人後にした。


「……方向性を示してはくれないか」


 甘えだと、弱さであると自覚しながらも、ニュクスは心の中ではソレイユが自分に方向性を示してくれることを期待していた。これからも戦直として力を貸してくれと指示されれば、その道に注力することで迷いを忘れることも出来ただろう。ソレイユに過ちを咎められ、正式に法の裁きを受け入れろと命令されれば、それもまた迷いを捨てる一つの道だと喜んで首を差し出しただろう。


 だけどソレイユは、自らの言葉でニュクスの運命を決定づけることはせず、進むべき方向性を自らの意志で決めるべきだと説いた。自らの命運を誰かの判断に委ねていては、質は違ってもこれまでと同じことの繰り返しだ。提示された道を進む安易な決断を良しとせず、思い悩むニュクスに己の意志での決断を求める。ソレイユの思いは誰よりも優しく、それでいて誰よりも厳しい。


「……俺のような日陰者には、やはりお嬢さんは眩しすぎるよ」


 傾きかける日差しが庭に影を作り、ソレイユが座っていた席とニュクスとの間に線を引いた。


 〇〇〇


「ソレイユ様、表情が優れませんが、喧嘩けんかでもなさったのですか?」


 ニュクスの自宅前までソレイユを迎えに来ていた藍閃らんせん騎士団所属の金髪を三つ編みにした女性騎士、ルミア・ファラージュが、渋面を浮かべるソレイユに伺いを立てる。ソレイユは悲しんでいるというよりも、何かに腹を立てているような印象だ。


「いいえ。お話し事態は穏やかなものでしたよ。少しだけ自己嫌悪を感じていますが」

「何があったのですか?」

「……彼の助力を望んでいるにも関わらず、結局そのことを口に出来なかった私自身の強情さにですよ。彼だってきっとそれを望んでいたでしょうに……武人としての私が安易な道を示すことを良しとはしなかった。戻ってくるにしても、それが彼自身の決断でなければいけないと、そう思ってしまった」


 本当はただ一言、傷が回復したらまた戦力として力を貸してほしいとそう伝えたいだけだった。なのに、弱り切ったニュクスから心中を吐露された瞬間にそんな考えは頭の中から消えてしまった。今の彼に必要な救いとは他者が救済の道を示すことではない。己の心を己自身で救うことの方であるはずだと、魂がそう直感したから。


 ニュクスがこの苦難を自らの力で乗り越え、そのうえで再び戦列に加わってくれたなら、精神的にも肉体的にも、凶器としてではなく心強い名刀として、その切れ味を如何なく発揮してくれるだろう。


 しかし、この決断は大きな危険性もはらんでいる。ニュクスは優しく力強い人間であるとソレイユは確信しているが、そんな人間の心を易々と粉砕してしまう程に、現在のニュクスの置かれた状況は厳しいものだ。このまま再起不能となってしまう可能性も否定は出来ない。そうなってしまえばニュクスとソレイユの線は二度と交わらず、別離の道を辿ることとなるだろう。


「……あるいはもっと感情的になれたら、お互いに楽だったのかもしれませんね」


 迷いはないつもりだが、それでも安易な言葉をかけてあげられなかったことを心苦しく思う自分がいた。


 重責を担おうともまだ17歳の乙女だ。表には出さぬ感情に葛藤を抱える場面は多々ある。鉄の心には程遠い。一人きりで帰路についていたなら、全てを振り切る思いで全力で駆けだしていたかもしれない。

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