第4話 言葉を交わすことを放棄してはいけない

「イリスは眠っているのですか?」

「泣き疲れたようでな。今日もまた、恐怖に押し潰されそうになったみたいだ」

「……悔やんでも悔やみきれません。私にもっと力があれば、オネット夫妻や多くの領民たちの命を救うことが出来たかもしれない」

「……俺達は全力を尽くした。もしもを考えることに意味などないさ……なんて、口先だけならいくらでもリアリストを気取れるが、悔やんでも悔やみきれないのは俺も同じだよ。過去に戻れるのなら戻りたいさ」


 リビングに通される直前、寝室のベッドで寝息を立てるイリスの寝顔がソレイユの目に止まった。泣き腫らした目元と、温もりを求めるように丸まった姿が痛々しい。


「好きにかけてくれ」


 リビングへと通されたソレイユは木製の椅子へと着席。テーブルを挟んでニュクスと向かい合った。


「お加減は如何ですか?」

「傷は大方塞がったよ。目に関しては如何せん視界の半分を失っているからな。まあ、そのうち慣れるだろう。我ながら眼帯も似合っているし、これはこれで悪くない。お嬢さんもそう思うだろう」

「お洒落しゃれでつけているというのならばともかく、負傷の痕跡を茶化すような真似は出来ませんよ」

「らしくないな、そこは話に乗っかってくれよ。その方が話も盛り上がる」


「らしくないのは、あなたの方ですよ。飄々ひょうひょうとした態度で誤魔化していますが、今のあなたからは以前のような鋭さが感じられない。まるで錆びついてしまったかのように」

「……あれだけの大勢が死んだ激戦の後だ。右目だって失った。心境に変化が訪れるのは当然だろう」

「本当にそれだけですか?」

「どういう意味だ?」


「あなたは例え重症を負ったとしても、それで心を錆びつかせるような人間ではないでしょう。大勢の死に関してもそうです……これまでのあなたならきっと、例え見知った人物の死であったとても、事実は事実だからと感情をコントロール出来る術を持っていたはず。そうでないとアサシンなど務まらないでしょう。もっとあなたの根幹を揺るがすような、大きな転機があったのではありませんか?」


「……知ったよう口をきくな! お嬢さんに俺の何が分かる」


「分かりませんよ! だから教えてください。あなたの抱えている物を、あなたの言葉で私に打ち明けてください。もう、二度と話せない相手だっているんです。生き残った私達が、こうして顔を突き合わせる機会に恵まれている私達が、相手を理解するために言葉を交わすことを放棄してはいけません。それはあまりに愚かですから」


「……お嬢さん」


 二度と話せない相手だっている。

 誰もが心の中では理解していながら、口にすることを躊躇ためらってしまう言葉。


 温厚かつ陽気な人柄でいつも食卓を盛り上げてくれたオネット夫妻はもういない。


 共有した時間は少なくとも、クラージュをいじる時にだけは妙に意気投合したウーとの掛け合いももう出来ない。


 出会った当初は険悪な関係だったが、徐々にお互いを認め合い、奇妙な信頼関係が生まれつつあったクラージュとの皮肉の応酬ももう出来ない。


 ソレイユの臣下の中では一緒に過ごす時間が最も長く、年下の友人のように思っていたリスとも最悪、もう再会することは叶わないかもしれない。


 ニュクスがリアンの町に滞在していた頃、絵を習いに来ていた町の子供達。悪戯っ子だがムードメーカーでもあったカイルと、口下手だが芸術センスに溢れていたハンナは、両親と共に乗り込んだ馬車がカキの村でしゃくりょうエマの犠牲となった。


 イリス共々いつも最前列で熱心に授業を受けていたアレットは、最初の襲撃発生時には家業である農園の手伝いを行っており、共に作業中だった兄共々犠牲になったと後に知った。

 

 一瞬、脳裏を掠めただけでもこれだけの人々の顔が思い浮かぶ。ソレイユの言うようにニュクスは変わってしまった。これまでなら、見知った人々の死をいたみこそしても、感情を切り離して無表情を貫くことだって出来ただろうに。今はうつむいていないと表情一つ隠すことが出来ない。


「……イリスが眠っているんだ。お互いに感情的に声を荒げるのは止めよう」

「……すみません。つい」


 申し訳なさそうに目を伏せたソレイユの肩に、立ち上がったニュクスが優しく手置いた。何も会話を断ち切ろうというわけではない。


「少し長くなる。お茶でも淹れよう」

「それでしたら私もお手伝いを」

「お嬢さんはまだ片腕の自由が利かないだろう。ここは素直に家主の持て成しを受けてくれ。手元の作業は遠近感に慣れるためのリハビリにもなる」

「そういうことでしたらお言葉に甘えて。私はお紅茶でお願いします。砂糖やミルクは結構です」

「了解」


 ニュクスは戸棚からティーセットを取り出し、手早くお茶の用意を進めていく。王都民のたしなみらしく、ティーセットは借家の戸棚に備え付けだった。


「ニュクスの淹れたお茶を頂くのは初めてですね」

「味の保証はしないぞ。美味しい紅茶を淹れる作法までは習っていない」

「それもまた一興ということで」

「さいですか」


 やはりこのお嬢さんを相手に口では勝てそうにないなと苦笑を浮かべつつ、ニュクスはテイーカップを乗せたオボン片手に、庭へと通じるベランダの扉を開けた。


「イリスにはあまり聞かせたくない話だ。眠ってはいるが外で話そう」

「分かりました」


 庭に備え付けのテーブルにカップを置くと、ニュクスは紳士的に椅子を引いてソレイユを着席させた。


謙遜けんそんしていましたが、なかなか美味しいじゃないですか。私には負けますがね」

「お褒めの言葉は素直に受け取っておくよ。一言余計な気もするが」


 お口にあったなら何よりと、ニュクスは肩をすくめて自分の分のカップをテーブルへ置いた。


「……心境の変化について語る前に、少し俺自身について語らせてくれ」


 神妙な面持ちで切り出したニュクスの言葉に耳を傾け、ソレイユは静かに頷いた。

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