第52話 慟哭と咆哮
「まさかたったの三人で、十分近くも魔物の軍勢を足止めするとは、流石に想定外だったな。本隊が離脱するに十分な猶予を与えてしまった」
護衛の
「……全員手負いとは思えぬ奮戦ぶりでしたが、中でも最後まで戦い続けた、ベルセルクルコアの騎士が一番手こずらせてくれました。両腕を使えなくなってもなお止まらず、口に
北部から侵攻する魔物の軍勢を率いていた赤いローブの教団司祭が、到着直後のパギダ司教へと、微かに声を震わせて状況を報告する。前線の指揮を執る司祭クラスの人間に恐怖心を与える程に、
「最後はどのように?」
「足を断ち、心臓を三度貫くことでようやく止まりました。獣性に支配されて狂っていたのでしょうか? 最期はこのルミエール邸の方角に向けて、笑いかけるようにして事切れましたよ」
「死の瞬間に笑うか。君の言うように狂っていたのか、あるいは達成感を得ていたのか。いずれにせよ、気持ちの悪い話だ」
侵略者たちには、最期まで騎士の
ましてや、愛する者の眠る場所へ微笑みかけるようにして
「まあよかろう。目的であったルミエール領制圧は果たせたのだ。獣一匹の奮戦など些末な問題よ。ルミエール領を掌握した今、アマルティア教団を脅かす最大の脅威は取り除かれたも同然だ」
一転、ルミエール領を手中に収めたという実感が湧き上がり、パギダ司教は歓喜の声を上げる。小さなジャンプをも伴う無邪気な喜びように、配下の晦冥騎士や赤いローブの司祭が一瞬呆気に取られていた。
ルミエール領掌握はアルジャンテの刀剣の取得とイコールだと、パギダ司教は確信している。すぐさま刀剣捜索のための部隊を編成し、一両日中にも発見するつもりでいた。
大規模な戦力を送り込んでまで制圧を果たしたルミエール領に、意中の刀剣は存在していないのだという事実を、アマルティア教団側はまだ知らない。
後にその事実を知った際に生じる徒労感や、脅威の排除に至らなかった危機感を強く刻み込むことこそが、ルミエール領前領主フォルス・ルミエールによる、マルティア教団側に対する最大の攻撃だったのかもしれない。
〇〇〇
「……リスが両足を失った上に、教団側に連れ去られた?」
先遣隊はルミエール領を脱出し、安全圏たる近隣のロゼ領のキャンプまで撤退を果たしていた。
先発したゾフィーらの隊と合流したソレイユはそこで、リスの不在及びその理由について聞き及ぶこととなった。離脱後に合流出来ると信じてやまなかった、最も親しい臣下がこの場にいないという事実は、とてつもない威力の鈍器となってソレイユの感情を打撃する。
「……そんな……リスまで……私の前から……」
脱力したソレイユはその場で崩れ落ち、膝を折った。
愛する父や臣下達を
それでも先遣隊の隊長として、新たな領主として涙だけは見せまいと、震える体と心で必死に感情の爆発を抑え込んでいる。
臣下たちはどのような言葉をかけていいか分からず、辛そうに目を伏せることしか出来ない。主君や同僚、故郷を失ったルミエールの騎士達もまた混乱冷めやらず。自分達の心の整理さえもついていない状況で、すぐさま気の利いた言葉を発することは難しいだろう。
「ソレ――」
それでも騎士団長として、カジミールは意を決してソレイユに慰めの言葉をかけようとしたが、カジミールがソレイユに呼びかけるよりも早く、彼女に駆け寄り、その体を優しく抱きしめた者がいた。
「感情を抑え込む必要などありませんよ」
言葉と体の両方でソレイユを優しく
「いけません。指揮官として、感情的になるわけには……」
「戦場は脱しました。指揮官としての役目は十分に果たしたと思いますよ。私達は指揮官や戦士であると同時に、一人の人間でもあります。感情を抑えることはもちろん大切ですが、時には感情を吐き出さなければ、心が耐えられません。今はその時だと思いますよ」
「……涙を見せてもよいのでしょうか?」
「
ソレイユさん、あなたはもっと強くなります。きっと自らの手で仇敵を討ち、故郷を再び取り戻すことが出来ます。アイゼンリッターオルデンの団長として、一人の戦士として、一人の人間として、私はそう確信していますよ」
「……ゾフィーさん」
ゾフィーを見上げるソレイユの瞳には、すでに大粒の涙が溜まっていた。感情はすでに決壊寸前だった。
泣き出してしまいたいというソレイユの本音を引き出せたのは、ゾフィーにもまた、己の無力感に打ちひしがれ、涙しながらも再起を誓った過去があるからであろう。
ソレイユの最後の強がりを
「今は感情的にお泣きなさい。私がそれを許します」
「……私は……私は……あああああああ――」
感情が決壊し、大粒の涙がソレイユの瞳から溢れ出してくる。
大切な人達を救えなかった。生まれ故郷を失った。救えた命もあったが、叶うことならもっと大勢の、全ての人々の命を救いたかった。
後悔、悲しみ、怒り、自己嫌悪、貯めこんできたあらゆる感情が、
「大丈夫ですよ、大丈夫」
感情を受け止め、ソレイユが落ち着くまでの間、ゾフィーはその体を優しく抱擁し続けた。
〇〇〇
「……俺はこれからどうしたらいい」
胸を突くようなソレイユの慟哭は、キャンプ地の敷地内に設けられた救護テントで、イリスに付き添っていたニュクスの耳にも届いていた。ニュクスにも応急処置として、右目などに包帯が巻かれている。
戦場に身を置くことで一時的に感情を誤魔化していたが、戦場を離脱した今、ニュクスの心もまた大きな混乱に陥っていた。
クルヴィ司祭の
此度のルミエール動乱に関してもそうだ。ニュクス自身が直接侵攻に関与したわけではないにしても、所属組織の侵攻により、交流のあった人達や共に戦場をかけた仲間、大勢の人達の命が奪われることとなった。罪悪感と、もっと自分に何か出来ることは無かったのだろうかという、激しい後悔の念が染み渡る。
「……さん――」
イリスの口元が微かに動く。
意識が戻ったわけではない。
「お父さん、お母さん――」
「……イリス」
両親に守られ意識を失っていたイリスは、恐らくまだ両親が亡くなったことを知らない。最愛の家族を喪ったという事実をいずれ、目を覚ましたイリスに伝えなくてはならない。それはきっと、ニュクスにしか出来ない大切な務めだ。
「……お前のことは、絶対に俺が守るから」
過去を変えることは出来ない。直ぐには悲しみを
ならばせめて、オネット夫妻が命懸けで守ったイリスが、これ以上の悲劇に見舞われないように、これ以上戦渦に巻き込まれないように、託された命を絶対に守り抜く。
この先、元アサシンの自分に何が出来るか今はまだ分からないが、せめてイリスが再び笑顔を取り戻せるように努めたいと、ニュクスは混乱の中にあっても、それだけは強く決意していた。
「……少し出てくる」
「待ちたまえ、君だって重症――」
ロゼ領から派遣された医師の忠告も聞かず、ニュクスは足早に医療テントを後にする。
まさか、負傷者だらけのテントの中で感情を吐き出すわけにはいかない。
後ろめたい過去を持つ自分のような人間では、ソレイユのように人前で感情を吐き出すことは許されないだろうと考え、ニュクスは一人、キャンプ地の外れにある、開けた森林の一角へと足を運んだ。
「俺は……俺は――!」
混乱を一時的に振り払うかのように、やり場のない怒りを拡散させるかのように。ニュクスは一人、感情的に
「私は――」
「俺は――」
風に乗って届いたソレイユの慟哭と、ニュクスの
邪神復活の時が刻々と迫り、戦渦の生じた世界において、英雄の血を引く少女と灰髪の暗殺者は、どのような運命を辿るのだろうか?
第四章「死線連火」 了
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