第51話 剣歯虎

「なるほど、頃合いとはこういう意味でしたか」


 ルミエール邸前。アイゼンリッターオルデンの騎士達の奮戦もあり、屋敷周辺を取り囲む教団戦闘員や召喚された魔物たちは一掃されていたが、新たな危機は直ぐそこにまで迫っていた。

 ゼナイドを負傷させた黒い両手剣使いの晦冥かいめい騎士きしとイルケの間には終ぞ決着がつかず、晦冥騎士は「頃合い」だと呟き、つい今し方戦場を離脱していった。その発言は、北部から迫る大量の魔物の侵攻を意味していたようだ。まだ視認できる距離ではないが、北部の森林地帯の方から、地鳴りと魔物の咆哮ほうこうらしき音が近づいてきている。かなりの数の魔物がルミエール邸および、リアンの町に雪崩れ込もうとしているようだ。


「フーゴ、クヌート、大丈夫ですか?」

「……あまり大丈夫とは言えないな。左腕は完全に死んでいるし、内蔵のダメージもでかい」


 ルミエール邸の正門に背中を預ける金髪のフーゴが最初に口を開いた。その表情は負傷を許してしまった己自身を恥じるかのように、眉間にしわを寄せている。フーゴは左腕を粉砕骨折しており、まともに動かせない状態。腹部も数度ガストリマルゴスの怪力を叩き込まれた影響で内臓を損傷しており、血が溜まってきている感覚を自覚していた。


「……私も似たり寄ったりだ。もう少し上手くやるつもりだったんだがな」


 片膝を立てた座り込む赤毛のクヌートは、負傷の数こそフーゴこそ少ないものの、一瞬の隙を突かれてコプティスにシミターで腹部を貫かれ、それが致命的な一撃となってしまっていた。出血を抑えるべくシミターを刺さったままの状態にしておければまだ良かったのだが、コプティス撃破と同時にシミターの刀身も消滅してしまったため、腹部には大きな刺し傷だけが残されてしまった。出血量は多大だ。死の足跡は確実に近づいてきている。


 代償に重症を負ったとはいえ、再生能力を持つガストリマルゴスおよび攻撃性能に特化したコプティスの軍勢相手に、たったの二人で、近接戦闘のみで殲滅せんめつにまで至ったのは、驚異的な戦績に違いない。


「……魔物ども、かなりの数だ。おまけに早い」

「どうやら、もう一仕事必要みたいだな」


 苦笑を交わすと、負傷も顧みずにフーゴとクヌートは同時に立ち上がった。


「脱出までの時間稼ぎならば、私も付き合いますよ」

「イルケはソレイユ隊と共に離脱しろ。時間稼ぎくらい、俺らみたいな死にぞこないでも務まる」

「君は切り込み隊長として騎士団に不可欠な人材だ。時間稼ぎなんてつまらん仕事は私達に任せておけ」

「……フーゴ、クヌート」

「ソレイユ隊には、俺達は先んじて離脱し本隊に合流したとでも伝えおいてくれ。どうせ後で知れるだろうが、このような状況下で余計な心配はかけさせたくないからな――後はそうだ、オトフリートに会ったら、宿舎にある俺の私物は好きに持っていけと伝えておいてくれ。あいつ、俺の私服のコートがえらく気に入っていたようだからな」

「団長と副長にもよろしく伝えておいてくれ。誉れ高きアイゼンリッターオルデンの一員として戦った3年間は、私の人生最良の日々だったよ」


 イルケを思っての振る舞いなのか、帝国最強の騎士団の一員として本心から状況を楽しんでいるのか。二人の騎士は気さくにイルケの肩に触れると、悠然と屋敷の北側へと消えていった。


「ほぼ入れ違いでしたね」


 フーゴとクヌートの背中が見えなくなると同時に、屋敷の正門付近に人の気配が増える。エントランスでシドニーやルミアと合流したソレイユ隊が、屋敷から脱出したようだ。


「イルケさん」

「ソレイユ隊長、ご無事で何よりです」


 突入時に比べて顔ぶれが少なく、ソレイユの負傷も決して軽いものではない。犠牲を伴う死闘であったことは想像に難くなく、当人は複雑かもしれないが、此度の作戦の指揮官たる先遣隊隊長の生還は素直に喜ばしい状況だ。


「イルケさんだけですか?」

「他の者達は先んじて町の本隊へと合流しました」


 フーゴの助言をイルケは早速実践する。決して嘘が得意なタイプではないが、常日頃からポーカーフェイスのため、声を抑えるだけでそれなりに真実に聞こえる。


「ではゼナイドやリスも?」

「戦闘で負傷しましたので、応急処置を担当したティナと共に本隊へ合流させました」


 リスの話題に差し掛かっても、イルケは顔色一つ変えずに淡々としている。ゼナイドに関することに限り、発言に嘘はない。本体と合流し、リスの姿がないことが確認されれば事情は直ぐに知れるだろうが、両足切断の重症を伴うリスの略取に関して、この場でソレイユに告げる気にはとてもなれない。今のソレイユの表情には覚悟がわっているが、だからといって脱出を急がねばならぬ状況で、余計な動揺を与えるような発言は避けた方が無難だろう。

 

「……そうでしたか。負傷した臣下への助力に心より感謝申し上げます。合流したら、ティナさんにもお礼を言わなければ」


 気丈に振る舞いながらもソレイユは一瞬だけ不安気な表情を浮かべた。リスの件に勘づいたというわけではない。不安を覚えたのは、臣下の負傷の深度についてだろう。


「ソレイユ様、お会い出来てよかった」

「ロイクさん」


 本隊から派遣されたきばがみたい副官のロイクと部下二名がルミエール邸前に到着。ソレイユの下へと駆け寄った。


「状況はどうなっていますか?」

「領の北部及び東部から大量の魔物が接近しており、これ以上領内に留まるのは危険かと。負傷者や民間人も多いことから、ゾフィー団長の判断で本隊は西部街道からの脱出を開始しました。酷な言い方ですが、ルミエール領陥落はもはや時間の問題。我々も急ぎ、西部街道からの脱出を目指しましょう」

「分かりました」


 もはや一刻の猶予も存在しない。多くの命を預かっている以上、もう迷うこと等許されない。故郷を捨てる決断は苦痛だが、ルミエール領の脱出に邪魔な感情は、今は捨て置かなければいけない。


 ――これで良いのですよね……。


 一度だけ北の方角を見やるも、ソレイユはすぐさま正面へ向き直し、手早く指示を出して脱出のための陣形を整えていく。以降、一度も後方を振り返ることはしなかった。


「参りましょう!」


 〇〇〇


 ルミエール領北部の湖付近。

 間もなく大量の魔物が雪崩れ込もうかというその場所に、三人の騎士が佇んでいた。


「先遣隊結成時に顔合わせはしたが、一応改めて自己紹介をしておこうか。共に最後の戦いに臨む間柄だからな。俺はアイゼンリッターオルデン所属の騎士、フーゴ・ファルケンマイヤーだ。改めてよろしく」

「同じく、アイゼンリッターオルデン所属の騎士、クヌート・バイルシュミットだ。少しでも長く付き合えることを願っているよ」


 先んじて名乗りを済ませると、フーゴとクヌートはそれぞれ、愛用のハルペーとバルチザンを構える。


藍閃らんせん騎士団所属、クラージュ・アルミュールだ。最後の戦場で、貴殿らのような勇猛な戦士と肩を並べられることを誇りに思うよ」


 そう言ってクラージュは右手には愛用のバトルアックスを握り、口にはウーの形見でもある狩猟ナイフをくわえた。左腕が使えないので、咥えるという変わった使い方になってしまったが、ある意味で好都合だったかもしれない。咥えておけば、例え右腕も使えなくなったとしても、頭さえ無事なら戦い続けることが出来る。


「さてと、俺達は先に行くぜ」

「武運を祈るよ、クラージュ・アルミュール」


 迫りくる轟音を迎え撃つべく、フーゴとクヌートが先行して切り込んでいった。


 ――ウーよ。共に行くぞ!


 獣性を完全に解き放つ覚悟は出来た。

 獣のように暴れ回り、魔物の軍勢の血肉をかき乱す。それこそが先遣隊脱出までの何よりの時間稼ぎとなるはずだ。


「ベルセルクルコア(狂乱きょうらん中枢ちゅうすう覚醒かくせい)・マカイロドゥス(剣歯虎けんしこ)」

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