第50話 離脱開始

「……やあ、リカルド」

「……その声は……ロブソン……か?」


 倒壊した家屋と腐臭が散乱するカキの村の中心部。血まみれで横たわるリカルドの顔を、重症を負いながらも晦冥かいめい騎士きしを退けた同僚のロブソンが覗き込んだ。

 ロブソンは全身を数カ所斬り付けられ、顔面にも真一文字の傷が走っているが、何とか五体満足での生還を果たしていた。交戦したハルペー使いの晦冥騎士も完全撃破には至らなかったが、ギラの使用していたロングソードで牽制しつつ、矢の攻撃力を上げるために携帯していた火薬を上手く使い、晦冥騎士の左腕を吹き飛ばすことに成功。その時点でロブソンも重症を負っていたため追撃は叶わなかったが、晦冥騎士にその場を退かせることには成功した。

 

「……もう、目が上手く……見えなく……てな……」


 倒れるリカルドの方は、すでに瀕死の状態であった。

 エマに腹部を刺し貫かれる重症を負いながらも、100体を超える魔物の襲撃から、気絶し無防備なファルコをたった一人で守り切った。エマ戦での負傷に加え、魔物の攻撃で負った噛み傷や裂傷はもはや数知れず。血で染まっていない部位を見つける方が難しい。それはまさに壮絶な死闘であった。

 もはやリカルドに生存の見込みはないが、取り乱すこともせず、ロブソンは冷静にその事実を受け止めている。アルマ出身の傭兵として戦場の死は身近なもの。例えそれが、最も付き合いの長い友人の死であったとしてもだ。


「……他の……奴らは?」

「……みんな無事に逃がせたよ。戦闘音が静まったようだから、様子を見に俺一人で戻って来た」


 平静を装いながら嘘をつく。死の淵にいる友人に、残光な真実を告げる気にはとてもなれない。後にあの世で恨まれてもいい。リカルドの作り出してくれた好機に、仲間達は無事に脱出を果たせたのだと、最後まで嘘を貫き通すことをロブソンは決めていた。


「……そう……か……」

 

 長年の付き合い故に、リカルドはもしかしたらロブソンの微妙な声色の変化に気が付いているのかもしれない。あるいは親友の言葉をそのまま受け止めているのかもしれない。それはリカルド本人にしか分からない。


「……俺は……ここまでだ……傭兵団を……頼ん――」


 自分達の愛した居場所の未来を親友へと託し、一人の勇敢な傭兵の命が戦場に散った。

 最期の瞬間まで、戦場で傭兵としての矜持きょうじを貫き通したその姿は気高く、たくましく、そして美しい。そんな親友を心から尊敬し、ロブソンは涙一つ見せずにリカルドの最期を看取った。


「……ジルベール傭兵団は、絶対に俺が存続させてみせる。イルマもきっと救い出す」


 亡き親友の前で強くそう誓うと、ロブソンは着用していたフード付きのローブを脱ぎ、リカルドの亡骸へとそっと掛けてやった。


「……ウラガ―ノ。俺達だけ残されてしまったよ」


 カキの村の中心部に気絶して倒れ込んでいるファルコに、ロブソンはそっと囁きかけた。

 リカルドの奮戦で、襲い掛かる魔物の脅威は排除されたが、またいつ新たな敵影が現れないとも限らない。親友が命を賭して守りぬいたファルコを、今後の教団との戦いにおいて重要な戦力となるであろう魔槍の使い手を、無事に戦場から離脱させなくてはならない。


「行こうか、ウラガ―ノ」


 負傷に眉をしかめながらもロブソンはしっかりとファルコとテンペスタを担ぎ上げ、ルミエール領を離脱すべく、ヴェール平原方面へ向かい歩み出した。


 〇〇〇


 凶牙きょうがりゅうブラフォス消滅をもって、リアンの町での戦闘は収束を迎えていたが、これはあくまでも一時的なものだ。周辺警戒に当たっていた監視役からの情報で、東部街道や領の北部から、これまでで最も大規模な魔物の軍勢が迫っているとの報告が上がってきている。晦冥騎士や四柱の災厄の介入により、ルミエール領の防衛機能は壊滅した。教団側は圧倒的物量をもって、今度こそ完全にルミエール領を掌握しょうあくするつもりなのだろう。激戦により、それらに対処する体力はもはや先遣隊せんけんたいには残されていない。大規模な魔物の軍勢到着前に、ルミエール領を脱出しなければ手遅れになってしまう。


 リアンの町での戦闘に参加していた者達は、何時でも脱出出来るように西部街道に繋がるリアンの西門へと集合。町で救出した数十名の領民も集められている。負傷者も少なく無いが、自らの足で移動可能な者が大半なのは不幸中の幸いだ。

 まだ意識が戻っていないが、負傷者の中にはルミエール邸付近での応急処置を終え、アイゼンリッターオルデンのティナ・フランケンシュタインによって運ばれてきたゼナイドや、ベルセルクルコア発動の反動で疲弊ひへいしているドミニクの姿もある。


「随分と派手にやられたな」


 門の隅に腰を落とすオスカーの顔を、すすけた顔のベルンハルトが覗き込んだ。

 去り際にラヴァが放った一撃を受けてなお、ベルンハルトに目立った外傷は無い。強いて言うならば、黒色鎧の腕部や胸部の表面が、ラヴァの攻撃の熱量で変形してしまったことくらいだろうか。脱出の段取りについて牙噛きばがみたい副官のロイクと話し合うゾフィーの方も目立った傷こそ負っていないが、ベルンハルトを補助すべく、大量の魔力を消費したことで体力をかなり持っていかれているはず。気丈に振る舞っているが、これ以上の戦闘は難しいだろう。


「……腕一本を代償に撤退させるのが限界でした。本来の目的は果たせましたし、後悔はしていませんが」

 

 治癒魔術による措置もあり今は出血が抑えられているが、これまでに失った血液も相当量だ。同僚二人が戦死した喪失感も相まって、オスカーの顔色は優れない。


「状況が落ち着き次第、お前は一度本国へ戻れ」

「……負傷兵はお払い箱ですか?」

「馬鹿を言え。誰が優秀な斥候せっこういとまなど与えるものか。戦闘用せんとうよう義手ぎしゅの工房に紹介状を書いておく。新たな力を得て、一日でも早く戦線に復帰しろ」

「了解しました!」


 不器用だが愛のある激励げきれいを受け、オスカーは傷に響くのも構わず力強く返答した。

 斥候としてのこれまで以上の働きはもちろんのこと、戦況が激化するにつれて、再び因縁ある晦冥騎士と相対する機会もあるだろう。その際は必ずや雪辱せつじょくを果たす。所属するアイゼンリッターオルデンの利益のため、敬愛する副官の期待に応えるため。オスカー・ヒッツフェルトは今以上に強くなることを誓った。


「ベルンハルト、北部からの魔物の軍勢の侵攻が予想以上に早い。町の住民や負傷者を優先し、ルミエール領からの離脱を開始しましょう。当然、西部街道にも一部戦力は流れ込んでくる。あなたには脱出の露払つゆはらいをお願いするわ」

「ルミエール邸の方はどうする?」

「ソレイユさん達も魔物の軍勢が迫っている状況は把握しつつあるはず、脱出を急ぐことでしょう。状況確認と情報共有を兼ねて、ロイクさん達が向かってくれることになったわ。私達は後続のソレイユさん達も無事に脱出出来るよう、改めて西部街道の安全を確保しておきましょう」

「了解した。ただし、お前はもう戦うなよ? それ以上の氷華ひょうか零剣れいけんの使用は寿命を縮める」

「……分かっている。ラヴァという最大の脅威が去った今、戦闘に関してはあなたに一任するわ」

「決まりだな。さて、もう一暴れするとするか」


 露払いを担ったベルンハルトを先頭に、先遣隊のルミエール領脱出の行軍が開始された。

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