第49話 魂の兄弟

「最期の瞬間まで殺意の塊でした。とても恐ろしい相手でしたね」


 ニュクスを押し倒した姿勢のまま、ソレイユの頬から付いた落ちた汗がニュクスの頬へと落下した。

 

「背中、大丈夫か?」

「内臓や重要な血管は傷つけていないようですし大丈夫でしょう」


 そう言って上体を起こして見せたが表情は苦痛を隠しきれてはいない。命に関わる負傷ではないにしても、左腕もひびが入っているのだし、早目に治療を受けるに越したことはないだろう。


「……どうして俺をかばった? 臣下や領民ならばともかく、俺みたいな人間のために、お嬢さんがあんな真似をする必要はないだろう」

「あなたがどんなに自分を卑下ひげしようとも、私はあなたのことも大切に思っていますよ……このような状況下ならば尚更です」

 

 沈痛な面持ちのソレイユの視線の先には、戦死した父フォルス達の遺体が横たわっている。もうこれ以上、目の前で誰も死なせたくない。ましてや首を飛ばされる瞬間なんて見たくはない。


「……庇ってくれたことには、素直に礼を言っておくよ。お嬢さんの戦力になりに来たのに、窮地を救われてたら世話ないな」

「駆けつけてくれて、私は嬉しかったですよ……町の方はどうなっていましたか?」

「……酷い有様だ。俺は宿に向かったが、救えたのはイリス一人だけだった」

「……それでは、オネットさん達も?」


 目を伏せて無言で頷くニュクスの返答を受け、ソレイユは唇を強く噛みしめ、爪の食い込む勢いで右手の拳を握った。覚悟はしていたが、多くの領民が此度の戦渦の犠牲になったのだという事実を改めて情報として耳にすると、後悔の念と共に、自身の力不足に対する怒りの感情が湧き上がってくる。


「……町の方は、牙噛きばがみ隊やグロワールの傭兵部隊の手で、一人でも多くの住民が救助されていることを祈る他ないな」

「……そうですね」


 現状を悲観している暇などない。今は一人でも多くの命を救うことを第一に考えなくてはいけない。心を整えるかのように大きく深呼吸をすると、立ち上がったソレイユはゼウスの体を貫通していた愛用のタルワールを引き抜き、吹き飛ばされた鞘を回収、刀身を収めた。

 今後何かの役に立つと考えたのだろう。ソレイユはゼウスの亡骸からシミターも回収し、タルワールの反対側に鞘を固定した。


「……苦渋の決断ではありますが、今から戦況を覆すことは困難でしょう。作戦を今よりルミエール領からの離脱に切り替え、一人でも多くの生存者を脱出させます。直ぐにカジミールやクラージュ達と合流して――」

「……そのことなんだがお嬢さん」


 一瞬言葉にするのを躊躇ためらいかけるも、いずれ分かることだとニュクスは残酷な真実を告げることを決断する。個人的感情で、クラージュから託された大切な役目を果たさぬわけにはいかないだろう。


「……こいつをお嬢さんに渡すようにクラージュから頼まれた」


 ニュクスはコートのポケットから取り出したウーの赤い髪紐を、緊張した面持ちで差し出したソレイユの右手へと握らせる。


「……これはウーの。どうしてこれを?」


 言葉にしてしまうのが恐ろしいだけで、ソレイユもきっともう分かっているのだろう。忠義者であるクラージュが、同じく臣下である婚約者の身に着けていた物を主君へと託す。戦場においてその行為の意味するところは、


「……ウー・スプランディッドは戦死した。彼女はきっと主君と共にありたいはずだからと、俺は遺品をお嬢さんへ渡すようクラージュに頼まれた」

「……そんな……ウー……」


 感情の決壊を必死に抑え込みながらも嗚咽だけは止められない。ウーの遺品の髪紐を握りしめながら、行き場のない感情をぶつけるように、ブーツのつま先で床を突く。


「……クラージュはどうしたのですか? どうして私に直接会いに来ないのです?」


 ニュクスはクラージュも戦死したとは言っていない。当惑しなががらも、ソレイユがその疑問に行き着くのは必然だ。


「……彼は、この戦場を死に場所にすると決めたようだ」

「……どういう意味ですか?」

「取り返しのつかない傷を負った。最後まで戦い続けると言っていたが、少なくとももう、俺達の前へ姿を現すことは無いだろう」


 修練場でクラージュの覚悟と願いを聞き届けたからこそ、決して甘い言葉を掛けずに真実を包み隠さず告げる。ソレイユの背中をクラージュから託された。それは決して戦闘に限った話ではない。精神的な支えも同時に意味しているはずだ。


「……だからといって、クラージュを戦場に置いていく真似なんて出来ません。今からでも捜しにいきましょう!」


 父やウーの死を受けた反動もあるのだろう。まだ生きているクラージュを見捨てるような真似は出来ないと、ソレイユは感情的に言葉を発してしまったが、


「なりません、ソレイユ様!」


 ニュクスが諭そうとするよりも早く、パーティホール内へ叱責しっせきが響き渡る。

 声を張ったのは、救出した十数名の住民を伴って地下倉庫から上って来たカジミールだ。


「カジミール?」

「地下倉庫内で数名の住民の救出に成功いたしましたが、これ以上教団の侵攻が激化すれば、もはや我が方の戦力では到底太刀打ちできますまい。町に下り他の部隊と合流し、ルミエール領からの脱出を図るべきです」

「……しかし、クラージュが」

藍閃らんせん騎士団の団長として進言させて頂きます。臣下一人の身を案じ、守るべき民や同じ戦場に立つ仲間達の命を危険に晒すおつもりですか? クラージュが手負いで長くないというのなら尚更です」

「……騎士団長? どういう意味ですか?」

「先程、地下倉庫で息を引き取ったドラクロワ団長より、新たな騎士団長として任命を受けました」

「……ドラクロワ団長が」

「……本音を言えば、私とてクラージュを見捨てるような真似はしたくない。あいつは私にとって弟のような存在ですから……ですが、騎士団長を拝命した今、これまで以上に私情を挟むわけにはいきませぬ。領民のため、騎士達のため、そして忠誠を誓いし主君のため、時に非情な判断も下さねばなりませぬ……どうかご理解ください」


 カジミールとクラージュの付き合いは、ソレイユがこの世に生を受ける前にまでさかのぼる。一人っ子であったカジミールにとってクラージュはまさに弟のような存在。互いに成長してからは騎士として日々切磋琢磨する、兄弟弟子であり、戦友であり、良き友人同士であった。そんな存在を見捨てる決断を主君に迫らなければいけない。その状況にカジミールが心を傷めぬはずがない。


「……カジミール、辛い役回りをさせてしまい、申し訳ありません。あなたの言葉で頭が冷えました。父上亡き今、私が領主として民を守り抜かねばならない。先遣隊のリーダーとしても、共に戦ってくれた戦士達の命に責任があります……先ずはシドニー達やゼナイド達と合流し、屋敷からの離脱を図りましょう」


 藍閃騎士団の新団長の進言を受けてソレイユは感情を改める。上に立つ者として、大局を見据えた判断を素早く行わなくてはいけない。全てを守れるものならばそうするが、時には命を天秤てんびんにかけねばならぬ時もある。クラージュもきっとソレイユの決断を尊重してくれるはずだ。


「……行きましょう」


 覚悟を決めたソレイユを先頭に、救出された住民達の周辺を三人の騎士達が囲む形でパーティーホールを後にしていく。


「ニュクス、負傷しているところ悪いが、感覚の鋭い君ならば不意打ちへの対処も可能だろう。僅かな間でいい、最後尾を任せたい」

「カジさんは?」

「取り残された住民がいないか確認したら直ぐに追いつく。そこから先は俺が殿しんがりだ」

「分かった」


 察した様子で頷くと、ニュクスは住民達の最後尾へと付いた。


「俺達はまたルミエール領に戻って来る。この手で故郷を再び取り戻すと、強く誓う。今ここで、共に最後まで戦うことが出来ない俺を許してくれ」


 半ば直感的に、唐突に、カジミールはパーティホールに隣接する調理場の方向へ言葉で覚悟を示す。居るという確信があるわけではないが、今ここで誓わなければ後悔してしまう気がしていた。


「俺はお前のことを、騎士クラージュ・アルミュールのことを誇りに思う……さらばだ、弟よ」


 一刻の猶予もない状況。使える時間はこれが限界だ。

 今この瞬間を以て迷いは捨てる。騎士団長として、主君のため、領民のため、未来のため、誰よりも冷静であり続けなければいけない。

 静寂のパーティホール内に取り残された住民がいないことを確認すると、カジミールは覚悟の据わった表情でパーティホールを後にした。

 

「……ありがとう。カジミール兄さん」


 カジミールと前後して、一人の騎士が調理場を後にした。

 主君や領民、仲間達が脱出する時間を稼ぐべく、命を戦場で散らせる覚悟はもう決まっている。

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