第47話 貂熊

「感情的でありながらも、それをあくまでも力へと変えるか。流石は剣聖けんせいの娘といったところ。相手にとって不足無しだ」


 ソレイユのタルワールの一閃を、晦冥かいめい騎士きしゼウスは抜群の反応速度で正面から受け止める。回避ではなく受けを選択したのは、力量を見極める意味もあったのだろう。


「……素直に喜んではいられませんね」


 流石に凶星きょうせいタナトスには及ばないとはいえ、研ぎ澄まされたゼウスの殺意もまた、一切油断ならぬ達人の域にいる。

 それだけにとどまらず、黒い刀身を持つゼウスのシミターから流れ出す禍々しい気配もまた、ソレイユに強い警戒心を抱かせる。まとう魔力の揺らぎによって、刀身が時折陽炎のように歪んで見える。特殊な魔術武器であることはまず間違いない。刀剣型であることから、妖刀と称した方がより的確だろうか。


「……その禍々しい刀身には、一体何が宿っているのですか?」

「案ずるな。貴女ほどの使い手に出し惜しみする気など元よりないよ」

「これは――」


 ゼウスのシミターと拮抗していたはずのソレイユのタルワールが突然、これまでにない圧力で弾かれた。刀身を突き合わせていた以上、膂力りょりょく以外の力が働いたとは考えにくいが、同時に膂力だけでは考えにくい突然の衝撃でもあった。

 武器だけは手放すまいと辛うじて右手で握ったまま持ち堪えたが、刀身を上方へ弾かれた衝撃でソレイユの体勢は悪い。


「どう受ける?」


 その隙をついてゼウスがシミターによる刺突を繰り出すが、


「こう受けますね」


 即座にタルワールをシミターの直線上には戻せない。いつでも武器として扱えるよう、抜きやすくしてある硬質なさやを左手で抜き、前方へと突き出した。シミターの切っ先の右側面をなぞるようにして圧をかけ、微かに軌道を逸らす。回避距離と合わせて、刺突のラインから完全に外れた。


「剛だけではなく柔もなかなかのものだ。咄嗟の機転も面白い」

「そういうあなたは随分と凶悪な武器をお使いになる。一瞬のことで驚きましたが、その能力は剣圧をより高めることといったところでしょうか?」

「当たらずも遠からずだ。剣圧の強化はあくまでも能力の一端に過ぎぬよ」


 瞬間、ゼウスは一度鞘へと戻した黒いシミターを抜刀。距離を取って様子を伺っていたソレイユに対して刀身は届かぬが、その攻撃は確かに、ソレイユ目掛けて斬撃として飛来した。


「これは……」


 咄嗟にタルワールの刀身で受け切ったが、数メートル後退してしまう程の圧のある一撃だった。体に直撃していたら真っ二つに両断されているところだ。剣の達人ともなれば斬撃を発生されることも不可能ではないが、これだけの飛距離を、これだけの破壊力を持って飛来するなど人間技ではまず不可能。これもまた、黒いシミターの魔力が生み出した芸当と見て間違いない。


「剣を振るう際の剣圧や斬撃を強化し撃ち放つことが私の愛刀の力だ。かつてメ―デン王国内に出現した、鋭い爪と牙を持つ人食いの黒い魔獣を素材としている」

「刀剣へと姿を変えた魔獣ですか。なるほど、形を変えてもとても凶暴なようですね」


 剣圧を増幅させ、斬撃を相手を殺傷するレベルまで強化する。距離感を選ばずに戦えることはゼウスにとって大きなアドバンテージだ。剣圧の増幅は恐らく防御時にも有効。下手に打ち込めば、弾かれた衝撃でこちら側に隙が生まれかねない。攻守に富んだ非情に厄介な能力だ。

 攻略法があるとすれば、シミターによる防御が間に合わない程の超高速で仕掛けるか、あるいはゼウスの意識の外から不意打ちを仕掛けることぐらいだろうか。


「むっ!」


 反射的に身をひるがえしたゼウスが、背後から迫った二刀のククリナイフを、ギリギリのタイミングでシミターで受け止めた。


「気配は完全に消していたはずなんだが、流石は晦冥騎士と言ったところか」


 あえて剣圧に弾かれた衝撃を利用することでニュクスは勢いよく後退。一瞬でゼウスのシミターの刀身のリーチから外れた。そのまま追撃で斬撃を放ってくることをニュクスは期待したのだが、実力者だけあり、ゼウスはそう簡単には隙を見せてはくれないようだ。


 迎撃直後のニュクスには目もくれず、ニュクスの生み出した隙を狙い、俊足で斬りかかったソレイユ目掛けて即座にシミターを振り抜く。しかし、ソレイユとてそれは読んでいた。ソレイユが振るったのはタルワールではなく左手に握る鞘の方。頑丈とはいえ中身が空洞なこともあり、剣圧で手元から吹き飛ばされてしまったが、得物であるタルワールは無事。振り抜いたことで隙の生まれたゼウス目掛けて、右手のタルワールによる刺突を撃ち込む。

 ゼウスは抜群の反射神経で即座に身をよじるも完全回避には至らず、タルワールの刀身は腹部の表面を微かに裂いて行った。


 名持ちの晦冥騎士が当然、やられたままでは終わるはずもない。刺突のために伸び切ったソレイユの右腕を左手で掴み上げる。武器の性能に溺れず、その握力も常人よりも遥かに強く、細身なソレイユの動きを制限するに十分な万力まんりきだ。

 武器を手にした手を封じられた状態。一対一の勝負なら絶望的な状況であるが現状は二対一。ソレイユも数の優位を生かすべく、高威力かつ相手の隙を生み出しやすい、動作の大きな攻撃をあえて放った。人一人に構うというのは大きな隙だ。ましてや相方は経験豊富なアサシンなのだから。


 ソレイユを追撃させる暇など与えずに、ニュクスはゼウスの左側面からククリナイフで仕掛ける。

 ソレイユを盾にすることも一瞬考えたがそれでは間に合わないと判断し、ゼウスはソレイユを一度突き放す。


「判断の早さには恐れ入るが――」


 ニュクスが右手で振り下ろして来た一刀のククリナイフをシミターの中心で受け止め、剣圧によってニュクスの体を弾き飛ばしたが、

 

「――これならどうかな?」


 ニュクスは今回あえて一刀で仕掛けることで片手を自由にしていた。弾かれた勢いで後退しながらも左手で即座に投擲用のダガーナイフを五本、ゼウス目掛けて抜き放つ。当然、刀身には暗殺部隊特製の秘毒ひどくが塗られており全てが一撃必殺だ。

 全力でルミエール邸での戦いに挑むため、あらゆる武器に暗殺部隊特製の秘毒を塗り、追加で秘毒を塗れるように液体状の毒を収めた瓶も持参してきた。アマルティア教団を離反した以上、秘毒の補充ももう効かないが、出し惜しみはせずに今回の戦場で使い切ることもいとわない。


投擲とうてきか。だがこの程度では」


 全力で振るったシミターの刀身が二本のダガーナイフを叩き落とし、直撃しなかった三本も圧倒的剣圧に勢いを完全に殺され、ゼウスの体へと届かず自重で床面へと落下した。


 全てはニュクスの計算通りに運んでいる。これでまた、ソレイユが攻撃に転じるだけの時間は作り出せたはずだ。


「そう簡単に行くかな?」


 ゼウスがダガーナイフに対処した隙を突き、ソレイユが低い姿勢から床面を蹴り上げるようにして一気にゼウスへと肉薄。床面を走らせることで抵抗をため込んだ刀身を一気に上方へと切り上げ解放。これまでで最速の刃がゼウスの胸部へと迫るが、晦冥騎士の反射神経はやはり規格外。刀身での防御は間に合わないと判断し、即座に硬質なシミターの柄頭を用いた防御に切り替え、タルワールの刀身をピンポイントで一撃しその軌道を微かにずらした。結果、タルワールの刀身は直撃はせず、肩口を微かに斬り付けるだけに留まった。


「惜しかったな」

「がっ――」


 ゼウスはソレイユの華奢な体目掛けて躊躇なく蹴りを撃ち込み、その体を吹き飛ばす。強烈な蹴りは臓腑ぞうふを揺らし、ダメージでソレイユは胃液を戻してしまう。

 

「……大丈夫か?」

「この程度問題ありません。私よりも、どう考えても片目を失っているあなたの方が重症だと思いますよ」

「この程度問題ない」


 勢いよく吹き飛ばされたソレイユの下に駆け寄りニュクスがその体を引き起こす。関係性は現在進行形で微妙に変化しつつあるが、この数カ月間命を狙い狙われた仲。会話のやり取りも込みで二人の連携は上々だ。


「上手くいったみたいだな。俺の考えを読み取ってくれて助かったよ」

邪道じゃどうは好きませんが、このような状況下で綺麗ごとなど言っていられませんから」

「掠り傷を負わせた程度で、何をもって上手くいったと言うのかね?」


 二人のやり取りを受け、ゼウスは純粋な疑問として語り掛ける。これほどの使い手が掠り傷を与えた程度で粋がるとも思えないが、かといって致命傷を負わされた覚えなど当然ない。


「一撃でも掠めれば十分だ。傷口から血流に乗った毒の巡りは早い」

「むっ……」


 ゼウスが右目から滴る違和感を受け自身の頬へと触れる。指先へと触れた粘性の液体は紛れもなく血液だ。


「成程、文字通り血が湧き上がるような感覚だ。出血性の猛毒といったところか。しかし不思議だ。灰髪の君からはまだ一撃も貰っていないはず……いや、もしやあの時か?」


 返答を得るまでもなく、ゼウスは自身で結論を導き出した。毒の扱いに慣れていそうな灰髪から攻撃を受けた覚えはない。だったら、受けた覚えのある攻撃の方に毒が仕込まれていたと考える他ないだろう。


「……毒が塗られていたのは、君のタルワールの方か。初撃に毒が含まれていた痕跡はない。毒を塗ったのは、灰髪の彼がダガーを投擲した時といったところかな?」


 ニュクスが片方のククリナイフだけで斬りかかって来たのは、後退と同時にダガーナイフを投擲するためだとばかり思っていたが、真の狙いはゼウスが刃同士の接触に意識を集中させた一瞬の間に、蹴り飛ばされたソレイユの下へと秘毒入りの瓶を転がすことにあった。ニュクスがゼウスに接触している間にソレイユはタルワールの切っ先に秘毒を塗り、ニュクスがダガーナイフの投擲で作り出した隙を突き、即座に斬りかかった。刃の切っ先がほんの僅かでも肉を割けば殺せる、一撃必殺の刃を武器に。


「猛毒に侵されているにも関わらず、随分と冷静かつ的確な分析ですね……本来このような邪道は好みませんが、戦いを長引かせることはデメリットでしかない。あなたほどの強者を倒すためには、手段を選んでいる場合ではありませんから」

「その姿勢は高く評価しよう。こと戦場において、勝利のためには手段を選ぶものではないからね」


 出血量は増え続け、確実に秘毒の効果は表れている。にも関わらず、ゼウスの表情には死への恐怖も、僅かばかりの焦りさえも浮かんでいない。これまでの発言は決して虚勢ではない。この程度ではまだ終わらせないという、強固な意志を感じさせる。


「……どうやら、そう簡単には終わらせてくれないようですね」

「第二幕の開始ってか」


 勝利の確信を早々に捨て、ソレイユとニュクスは武器を構え直し、戦闘再開へと備える。

 毒の巡りと前後して、ゼウスの纏う殺気の色に変化が現れた。名刀のように研ぎ澄まされた殺気に、荒々しい凶暴性のような気配が混じり始めたのだ。


 黒いシミターの切っ先を床面へと接触させる同時にゼウスは不敵な笑みを浮かべた。両の眼窩がんかから血が滴り落ちている光景も相まって、その表情は実に狂気的に映る。それはまさに、ゼウスが人から獣へと魂を切り替えた瞬間だったのであろう。


「ベルセルクルコア(狂乱きょうらん中枢ちゅうすう覚醒かくせい)・グロ(貂熊クズリ)!」


 ゼウスの全身に太い血管が浮かび上がり、その目は血走り真っ赤に染まる。獣性を解き放つと共に被っていたフードを、わずらわしそうに、荒々しく脱ぎ払った。改めて露わになったのは、黒い長髪を結い上げた色白な小顔。本来はかなりの美男子だと見て取れるが、ベルセルクルコアの発動によって今は獣の見紛わんばかりに凶悪化している。

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