第40話 今生の別れ
「……すまなかった、ウー……私はお前を守れなかった」
「……クラージュが……謝ることじゃ……ないよ……
瀕死のウーを抱きかかえ、クラージュは体温が失われてきた弱々しいウーの右手を、熱を分け与えるかのように力強く握った。ウーはもはや、気力だけで言葉を
「……お前を守ると誓ったのに。どうして」
愛する者を守るためならば、獣道にだって堕ちる覚悟だった。なのに運命は、その力を解き放つよりも前に、ウーに死の運命を刻み付けてしまった。あんな何の変哲もない一撃で全てが決していたなどと、いったい誰が想像出来ようか?
愛する者を救うべく、獣性を解き放った。愛する者を傷つけた怨敵だって殺した。それなのに、愛する者を救うことはすでに不可能。そんな残酷な運命を、誰が受け入れられようか。
「……泣かないで……あなたは……子供達の命を……救った……ヒーロー……」
そうだ。獣性を解き放ち、
「……私、幸せ者だ……よ……故郷の地で……愛する男の……腕の中で……眠れ……」
「ウー! しっかりしろ! ウー!」
「愛し……――」
脱力したウーの右手が、クラージュの手からすり抜け落ちていく。
愛する男の顔を最期の瞬間まで見据えたまま、ウー・スプランディッドは深く深い眠りの中へと落ちていった。激痛を伴う死に際だったにも関わらず、その口元は微笑むかのように穏やかであった。
「私は……私は……ああっ――」
愛する女性を救えなかった後悔と怒りとが混在し、クラージュは天へ向けて
背に突き刺さったままのククリナイフや、その刀身がもたらす呪いも意に返さず、やり場のない怒りを地面へとぶつけ、何度も何度も拳を打ち付けていく。
己を痛めつけるような行いを、普段ならば「止めなさい」と諫めてくれる女性はもういない。仕方がない状況だったと、幾ら本人にそう言われたからと、愛する者を救えなかったという事実を、愛する者が目の前で命を落したという事実を、すぐさま割り切れる人間などいるはずがない。
直ぐにでも子供達を避難させるべきであることは分かっている。それでも今だけは、せめて涙と声が枯れるまでは、愛する者の側に。
「……まさか晦冥騎士様を二人も打ち倒すとは」
「しかし、奴はすで
物陰より状況を静観していた一般の教団戦闘員が、好機と見て無粋にもクラージュを奇襲しようと画策するが、
「何やつ――」
「何時の間――」
即座に急所を斬り付けられ、4名いた教団戦闘員は一瞬で沈黙した。
「……別れの邪魔をするものじゃない」
教団戦闘員の遺体に向けて
「……客人か。どうやら手間をかけさせたようだな」
「……すまない。俺がもう少し早く到着していればあるいは」
クラージュの背後へ現れたニュクスがウーの死を
ニュクスの到着があと少し早く、三人がかりで晦冥騎士との戦いに臨めていたなら、あるいは違う未来を
「……客人が気に病む必要などない。ウーを救えなかったのは全て、私の弱さが招いた結果だ」
絞り出すようにそう言うと、クラージュはウーの
「……この修練場で客人と対戦したのも、もう随分と昔のように感じるよ。あの頃はまだ、肩を並べて共に戦うことになるとは、夢にも思っていなかった」
「俺もだ。割と最近のことのはずなのに、まるで何年も昔のことみたいだ。お互いに色々変わったってことなのかね」
意見の一致を受けて、お互いに口元に苦笑を浮かべた。
「変わったと言えば今の客人の姿こそだ。その右目はどうした?」
「……離反の代償ってところかな。イリスを救うために、教団の上司の腕を切り落としてきた」
「幼い命を救うために所属から離反したか。何とも客人らしい。片目を失った客人に言うのは不謹慎かもしれないが、私は今とても嬉しいよ。客人の刃の切っ先は、私達と同じ方向を向いていると確信出来た。今の客人にならソレイユ様の背中を任せられる」
「騎士様、死を覚悟しているのか?」
「……覚悟も何も、もはや確定事項なのだ。背に受けたククリナイフには呪いが宿っている。何となく分かる……今は獣性のもたらす生命力が呪いの侵攻を食い止めているようだが、その均衡が崩れるのも時間の問題だ。
突如クラージュから告げられた別れの宣告を、ニュクスは決して目を逸らさずに真正面から受け止めた。かつては反目していた時期もある騎士クラージュ・アルミュールが、死を目前として、主君の背中を託すと告げて来た。その言葉は重く、切ない。
以前の、王都のビーンシュトック邸でのやり取りが思い起こされる。戦場で自分の身に何かあったら、ソレイユの力になってくれとクラージュがニュクスへときり出して来た。あの時はクラージュに対し、もしもなんて考えずにソレイユの身は自分で守れとそう告げた。しかし、クラージュはもうこの先、ソレイユを守ってあげることは出来ない。例え話に過ぎなかった出来事がこんなにも早く現実のものとなってしまうとは、お互いにまったく予想していなかった。
「俺はお嬢さんの剣だ。俺はお嬢さんと共にある」
「その言葉が聞けて安心したよ。
安堵の笑みを浮かべると、クラージュはウーの亡骸に寄り添い、髪を結んでいた赤い髪紐を解いた。
「ウーの形見だ。後でソレイユ様にお渡ししてくれ。ウーもきっと、主君と共にありたいはずだから」
「絶対にお嬢さんに届けるよ」
「私はこれを貰っていく」
ウーの唇にそっと口づけすると、クラージュはウーの手元に落ちていた狩猟用ナイフを拾い上げ、腰のベルトへ帯剣した。出来ることなら最期の瞬間までウーに寄り添っていたいが、ウーは決してそんなことは望まない。最期の瞬間まで、クラージュが主君たるソレイユの力となることを何よりも望むだろう。だからせめて、彼女の愛用していた武器と共に最後の戦場へ。
「ソレイユ様のことを頼んだぞ。私は先ず、武具庫に隠れる子供達を避難させる。救った命、最後まで守りきらねばな」
「俺はこのままお嬢さんの加勢に向かう。パーティーホールだったな?」
クラージュの無言の頷きを受け取ると、ニュクスはパーティーホールの方向へと体を向ける。
「さらばだ! 絵描きのニュクス」
「……あんたのこと、嫌いじゃなかったぜ。クラージュ・アルミュール」
これがクラージュと交わす最後の言葉なのだとニュクスも察している。悲し気な表情を背中で隠し、ニュクスはパーティーホールの方角へと駈けて行った。
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