第37話 剣聖散る

「……どうして、突然戦闘音が止んだの?」


 不安気なソレイユを先頭に、一行はパーティホールへと続く大扉の前まで到着した。

 ほんの少し前まで鳴り響いていた戦闘音が、数分前にピタリと止んだ。状況が沈静化したにしては、あまりにも唐突な出来事だ。ホールまでの道中でも、騎士、教団戦闘員問わずに多くの死体が散乱していた。まさか今更、穏便に事が済んだなどいうわけはあるまい。


「……開けます」


 カジミールとジャメルの二人で、重い両開きの扉を肩で押し開ける。

 戦闘が開始されてもよいように、ソレイユは即座にタルワールを構えるが、扉の向こうから飛び込んできた光景に、大きく心乱されることとなる。


「……父上?」


 ホール内は見渡す限り血の海となっていた。教団戦闘員の遺体もあるが、その大半はホールでの最後の籠城戦に参加していたであろう、藍閃らんせん騎士団所属の騎士達。死屍しし累々るいるいの中には、ウーの父親でもある藍閃騎士団弓兵隊統括、アドニス・スプランディッドの姿もある。


 ホールの中心部だけは血液が剣圧に吹き飛ばされ、血だまりが不自然に少なくなっていた。

 そこには二人の人影が存在。全身を切り刻まれた状態で膝を付く、領主のフォルス・ルミエールと、それを見下ろすように立つ、黒いロングコートを身に着けた長身の男。男の頭部は、人の頭蓋骨を思わせるフルフェイスマスクに覆われており、その素顔をうかがい知ることは出来ない。


「さらばだ。剣聖けんせい

「止めな――」


 必死にソレイユが叫ぶよりも早く、無情にも止めの一撃が風切り音を響かせる。

 骸骨マスクの男の右腕が突如、細く鋭利なブレード状へと変化、目にも止まらぬ速さで凶刃を振るい、フォルスの首を刎ね飛ばす。頭部を失った切断面から噴き出す血液が、元から返り血の飛んでいた骸骨マスクを、さらに真っ赤に染め上げていく。全体が真っ赤に染まった骸骨マスクはさながら、皮膚を剥がした直後のようでもある。

 

「父上――」

「フォルス様!」


 剣聖、領主、父。

 様々な顔を持ち、誰からも尊敬され、愛された一人の英雄の命が散った。

 最愛の父をうしなった娘の慟哭どうこくが天をく。

 敬愛する主君を目の前で無残に殺され、臣下の騎士達が無念に声を震わせる。

 生きた再会は叶わぬまま、別れの言葉も言えぬまま。

 あまりにも呆気なく、あまりにも残酷に、愛する父の命は、誇り高き指導者の命は、誉れ高き剣聖の命は、故郷ルミエールの地に沈んだ。


「お前が剣聖の娘か。お前の父は勇敢だったぞ。病身の身で、本気の私に一太刀浴びせてみせたのだ。叶うことなら、全盛期の剣聖と剣戟けんげきしてみたかったものだ」


 骸骨マスクの男がソレイユの顔を見据える。男の口調に皮肉の色は見えない。武人として、全盛期の剣聖フォルス・ルミエールとの一騎打ちに思いを馳せたのは紛れもない本心だ。


「貴様! よくもフォルス様を」

「許してはおけぬ!」

「早まるな! ジャメル、ダリウス!」


 主君を殺された怒りに身を任せ、骸骨マスクの男目掛けてカジミールの部下、ジャメルとダリウスが同時に斬りかかった。激情故に、カジミールの制止が耳に届いていない。


「愚かな」

「あっ――」

「そんなっ――」


 骸骨マスクがブレード状の両腕を振り抜いた瞬間、ジャメルとダリウスの体が腰の位置で両断されて床面へと沈んだ。両腕に付着した血液を、中心から弧を描くようにして払う。


「……ジャメル……ダリウス……」


 父親の死の動揺も冷めやらぬ内に、今度は臣下二名の命が失われた。

 次々と命の篝火かがりびが失われていく現状に無力感を抱き、ソレイユは自責の念から、血の滲む圧で唇を噛みしめていた。


「お前は何者だ?」


 父や臣下の仇の存在を胸に刻み付けるべく、ソレイユは果敢にも骸骨マスクにその名を問い掛ける。


四柱よんはしら災厄さいやくが一柱、タナトスだ」


 その名を受け、ソレイユとカジミールの背後に控えていたリュカ達がどよめきだった。


 四柱の災厄が一柱――凶星きょうせいタナトス。

 対人戦に特化した性質から、他の災厄のような大量殺戮は起こさぬものの、強者との戦いを望む戦闘狂として数多の戦場に出没。500年前の大戦時にも数々の名うての英傑達を血に沈め、虹色の騎士団の戦力を大きく削いだと伝わる、圧倒的戦闘能力を誇る魔物だ。

 タナトスは大戦時、ルミエール初代領主であるアルジャンテ・ルミエールと幾度となく剣を交えて来たと、伝記にも記述がある。決着を前に邪神封印が成されたことで、ついぞアルジャンテとタナトスとの間に決着はつかなかったとされるが、ルミエールの血筋にとってあまりにも因縁深い相手に違いない。500年の時を経て復活し、現領主であるフォルス・ルミエールを殺害した今、その因縁はさらに深まったと言ってもよい。ルミエール家にとって、ソレイユにとって、タナトスは何者よりも許しがたい仇敵きゅうてきと化した。


「降りかかる火の粉こそ払わせてもらったが、私自身はこれ以上ここで事を構えるつもりはない。与えられた使命は、確実に剣聖の首を取ることだけだ」

「……目の前で父を殺された娘が、素直に仇敵を逃がすと思いますか?」

「ならば問うが、勝てるつもりか?」

「……くっ」


 激情に身を任せて斬りかかりたい衝動を、理性が必死に抑え込む。

 一縷いちるの隙もない、研ぎ澄まされた鋭い殺意。直接刃を交えなくとも、今の自分とタナトスには大きな力量差があると、武人としての感覚が全身でそう訴えかけてくる。

 斬りかかっても、無駄に命を散らせるだけ。そうなれば、共にこの戦場に立つカジミール達はもちろん、地下倉庫で生存しているかもしれない領民達の命をも失わせる結果となってしまう。フォルスが戦死した今、領主として民や臣下を守り抜くのはソレイユの役目だ。

 事を構えるつもりがないと言っている以上、四柱の災厄との戦闘など避ける方が無難。仇敵だからと、感情的に斬りかかるような真似は出来ない。


懸命けんめいな判断だ。それでは私は失礼するよ」


 事を構えるつもりはないというタナトスの言葉は本心だったようだ。人の形へと戻った両腕をコートのポケットにしまうと、足元に発生した転移用の魔法陣へとタナトスは踏み込む。タナトスの体が魔法陣から放たれる閃光へ包み込まれ、その姿が徐々にホール内から消失していく。


「もしも君がこの死地から生き延びることが出来たなら、また相対する機会もあるだろう。私に対する殺意は、その時までしっかりと研ぎ澄ませておけ――」


 激励とも取れる意味深な言葉を残し、凶星タナトスの姿はホール内から完全に消失。発光していた魔法陣も静かに消滅した。

 同時に、これまでとは異なるシルエットが一人、ホールの中心部へと姿を現した。金色で縁取られた、特徴的な青いローブを纏った晦冥かいめい騎士きしだ。


「……新手ですか、好都合です。剣を振るっていないと、感情に心が潰されてしまいそうだから」


 気丈にも涙は見せず、父の死の悲しみを振り払うかのように、ソレイユは荒々しくタルワールを抜刀した。


「ここは私が引き受けます。カジミール達は地下倉庫へと向かってください……最後の砦も陥落した……けど、まだ救える命があるかもしれない。お願いです。一人でも多くの命を救ってあげてください」

「承知しました。救出活動を終え次第加勢に参ります。ソレイユ様、どうかご武運を――行くぞ、リュカ、ディディエ、リディアーナ」


 地下倉庫でさらに戦闘が発生する可能性があり、生存者を救助するにしても人手がいる。主君を残していくことは心苦しいが、人選を考えれば今はこうする他ない。複雑な感情を押し殺し、カジミールを先頭に騎士達が地下倉庫へと駈けこんでいく。


「刃を交える前に、お名前を伺っても?」


 得物である黒いシミターを抜刀すると同時に、晦冥騎士はソレイユの問いに静かに答える。


「私は教団内で晦冥騎士と呼ばれる地位にある者。ゼウスの名を与えられている」


 晦冥騎士とは、来る邪神復活を成し遂げるための最高戦力として、アマルティア教団戦術部隊が数十年の歳月をかけて作り出した最強の戦闘集団だ。

 才能ある者たちに幼少より殺しの英才教育を施し、選び抜かれた一部の精鋭だけが名乗ることを許された最上の誉れ。その地位は教団内でも独特なもので、アマルティア教団戦術部隊統括責任者であるパギダ司教の直轄ちょっかつ。それ以外のどんな高位の人間の指示も受け付けない。

 そんな最強の戦闘集団である晦冥騎士の中でも、特に戦闘能力に優れる最上位八名だけが名乗ることを許されるコードネームが存在する。今ソレイユの目の前に立つ晦冥騎士もその中の一人。名持ちの晦冥騎士の脅威はこれまでの比ではない。

 

「今更名乗るまでもありませんが、礼儀として私の方からも一応。私は領主、フォルス・ルミエールが嫡女ちゃくじょ、ソレイユ・ルミエールです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る