第36話 縋ることさえも許されず

「正面から来るぞ、気を付けろ!」


 ファルコとリカルドの奮戦によりカキの村を脱出。ヴェール平原方面への脱出を図っていたジルベール傭兵団の真正面から突如、風切り音と共に漆黒しっこくの長槍が飛来。

 殿しんがりを務めていた弓兵のロブソンがいち早く気づき、先頭を行く重装のガストンへ向けて叫ぶ。咄嗟に回避したら、直ぐ後ろにいるギラとイルマに直撃する危険があると判断したガストンは、肉厚なタワーシールドを構えて槍を防ぎきろうとするが、


「……盾を抜いたか。だが、これ以上は」


 槍の尖端がタワーシールドを貫通したが、ガストン自身には届かず勢いは止まった。防ぎきれたとガストンは一瞬、安堵したが、


「何だと……」

「ガストン!」

「そんな……」


 即座にガストンの表情が驚愕と苦痛とに歪む。

 タワーシールドを貫通した槍の尖端から、リーチを延長するようにして赤い光が飛び出し、ガストンの腹部を刺し貫いた。


「回避を選択すればよかったものを、無策で受けようとするからこうなる」

「無念……」


 青いローブをまとった晦冥かいめい騎士きしが、音も無くガストンへと接触。自身の投擲した槍を、ガストンの体から躊躇なく引き抜く。腹部に風穴のあいたガストンの巨体は、力なく後方へと倒れ込んだ。


「ドルジアや団長だけじゃなく……ガストンまで!」

「絶対に許しません!」


 激情にられ、ギラとイルマの二人が晦冥騎士へ仕掛ける。心を折られながらも、カキの村の戦列から外れることに罪悪感も抱いていたのだろう。その反動もあり、団の仲間の敵討かたきうちに関連したあらゆる感情が攻撃に込められていた。


「落ち着くんだ二人と――」


 ガストンを一撃で沈めた相手に正面から斬りかかるのは危険だ。だた一人冷静だったロブソンが体勢を整え直すべく、二人を呼び戻そうと叫ぶが、


「新手?」


 背後からの風切り音を敏感に拾い、ロブソンは反射的に身をよじる。次の瞬間、ハルペーが右頬を付近を通過していった。まともに受ければ頭部をスライスされていたところだ。

 身を捩った勢いを利用し、襲撃者に回し蹴りを見舞う。直撃した感触はあったが、襲撃者は呻き声一つ上げず、一度静かにバックステップで距離を取った。


「奇襲に対し即座に反撃するとは。なかなかやる」

「……お互い様だ」


 ハルペーを手元で回しながら、青いローブを纏った晦冥騎士が不敵に笑う。

 相手が只者でないことは一目瞭然だ。ギラとイルマの状況は気になるが、二人の方に意識を向ける余裕さえも今は存在しない。油断は即、死に直結する。

 弓を射るには距離が近すぎる。ロブソンは武器を近接装備のダガーへと切り替え、目の前の晦冥騎士の一挙手一投足へと集中していく。


 


「ほうほう。荒いがとても力強い刃だ。実戦で磨き上げて来た、攻撃的な剣術といったところか」

「分析なんて、随分と余裕じゃない」


 ギラが怒りの感情をロングソードに乗せて力強く薙ぐが、刀身を槍の柄で受け止めた晦冥騎士は、ギラの圧をまるで気に留めていない。もっとも、ギラとてこの一撃が通るなどとは元より思っていないが、


「グロブス!」


 ロングソードと槍とが弾けた瞬間、ギラは即座に頭を低くする。次の瞬間、ギラの背後からイルマが放った魔術の弾丸が、ギラの頭上擦れ擦れを抜けて、晦冥騎士の顔面目掛けて飛来する。

 死角からの詠唱破棄による一撃。晦冥騎士は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべるも、首の動きだけで魔術の弾丸を易々と回避。魔術は左頬を掠めて微かに裂いていった。


「詠唱破棄でもこれだけの威力か。赤獵しゃくりょうとの戦いを遠目に伺っていたが、やはり君は条件に適しているな」

「ごちゃごちゃと何言ってるのよ!」


 晦冥騎士がグロブスを回避した隙を突きギラが猛追。ガストンを貫いた槍は、赤い光で延長されることで圧倒的リーチを誇る。有利な間合いを譲るまいと、ギラは踏み込むようにして、一撃一撃を力強く打ち込んでいくが、


「悪いが君に興味はない。私が興味あるのは、相棒の魔術師の方だ」

「かはっ――」


 冷笑を浮かべると同時に晦冥騎士は槍の穂先でギラのロングソードを弾き返すと即座に槍を持ち直し、刃のない石突いしづきの方でギラ目掛けて打撃を繰り出した。あまりの早業にギラの回避行動は間に合わない。硬質な石突が腹部を直撃し大きくノックバック、衝撃でギラは胃液を吐き出した。


「ギラ! こいつ――」

「少し黙っていてもらおうか」


 ギラを傷つけられた怒りからイルマが魔術で攻撃を仕掛けようとするも、突如として彼女の声が消失する。鋭い痛みを感じたイルマが喉元を擦ると、鋭い針が一本、喉に突き刺さっていた。晦冥騎士が即座に投擲した毒針が直撃し、一時的に彼女から声を奪ったのだ。


「かっ――あっ――」


 声帯が思うように動いてくれない。掠れた呼吸音だけが口から零れだす。

 いかに優秀な魔術師であろうとも、魔術の発動には詠唱や術名の発声が不可欠だ。魔術師騎士とは異なり武器を使った戦闘訓練など行っていない。声帯の自由を失った魔術師は、戦場ではあまりに無力だ。


「抵抗の意志を削いでおきましょうか」

「イルマに手を出すな!」


 腹部の痛みを押し殺し、ギラはイルマに迫る晦冥騎士へと、低い姿勢から果敢に斬りかかったが、


「君に興味は無いといっただろう。まったく聞き分けの無い」


 晦冥騎士は無防備なイルマを蹴り飛ばして転倒させると、即座に槍を構え直し、激昂するギラを迎え撃つ。腹部の負傷は確実に身体能力に影響を及ぼしているはず。簡単に返り討ちに出来ると、晦冥騎士は高をくくっていたのだが、


「ぐっ……何だと」


 突如飛来した槍に左肩を貫かれ、それまで平静を崩さなかった晦冥騎士の表情が苦痛に歪む。何事かと思い槍の飛来した方向を見やると、


「……止めはしっかり刺しておけ」

「頑丈な男だ」


 槍を投擲したのは、最初の接触で腹部を貫かれて地に伏したガストンであった。瀕死の重傷を負いながらも仲間を救いたい一心で、気力だけで槍を投擲した。狙いを定める余裕など無かったが、結果的に槍は晦冥騎士の肩へと収まった。執念の成した技かもしれない。


 ガストンの作り出した隙を、ギラは決して見逃さない。至近距離まで迫ったギラが、低い姿勢から晦冥騎士目掛けて切り上げた。


「……舐めるなよ」


 殺意の込められた低音。晦冥騎士は防御行動はとらずに、握った槍を地面へと突き刺した。


 次の瞬間、


「なっ――」


 晦冥騎士の胸部へと接触する寸前、ギラのロングソードの勢いが失われ、力なく彼女の手から零れ落ちた。


「!!!!」


 愛する者の名を叫ぶ権利さえもイルマは奪われている。文字通り声にならない悲鳴を上げることしか出来ない。

 ギラの体は、地面から伸びた無数の赤く鋭い針状の光によって全身を貫かれていた。ロングソードを握っていた両手をもちろん、針の一部は下腹部から侵入し、各種臓器をことごとく貫いている。

 自身の血だまりに沈んでいたガストンも同時に、地面から伸び出した無数の赤い針に貫かれ、今度こそ完全に止めを刺されていた。針状の光の内数本は、眉間から侵入し後頭部へと抜けている。

 無数の赤い光は、晦冥騎士が地面に突き刺した槍の尖端から伸び出したものだ。槍の穂先から伸びる赤い光は、使い手たる晦冥騎士の意のままに操れる。地面に突き刺せば、無数の赤い針による下方からの広範囲攻撃も可能だ。この程度の戦場で使うつもりなどなかったのだが、負傷に対する怒りからつい感情的に発動してしまった。


「イル……マ……あなただけで――」


 赤い針が消失し、ギラの全身から抜けた瞬間、体中から激しく出血。愛する者を守り抜けなかった無念に顔面を濡らしながら、ギラから生命の輝きは消えていった。


「貴様ら!」


 仲間を救えなかった自分自身にもいきどおりながら、残されたイルマだけでも救おうとロブソンが弓に手をかけようとするが、


「お前の相手は私だよ」

「邪魔するな!」


 ハルペー使いの晦冥騎士が即座に射線上へ割って入り、弓を射る寸前のロブソンに斬りかかる。ロブソンは即座に弓を手放し後退。目まぐるしい攻撃を前に、防戦を余儀なくされる。


「うう――」


 愛する者の亡骸にすがり、イルマが憎らし気にうめく。

 声を発することが出来れば、魔術を発動させることが出来れば。刺し違える覚悟で一帯を吹き飛ばしてやるのに。


「お前には利用価値がある。同行してもらうぞ」

「!!!!!」


 無力感に打ちひしがれ、愛する者の亡骸なきがらすがる権利さえも、非情な晦冥騎士は与えてくれない。左肩に刺さったガストンの槍を不機嫌そうに引き抜くと、ギラに縋るイルマの両手を無理やり外すべく、石突で強引に突き、両手の甲の骨を荒々しく砕いてしまった。肩の負傷に対する当てつけもあったのだろう。


「少し眠っていてもらおうか」

「!!――」


 激痛に身を捩るイルマをわずわしく思った晦冥騎士は、イルマの銀色のショートヘアーを掴み上げると、顔面を地面へと豪快に叩きつけた。数度繰り返しイルマの意識が消失したのを確認すると、晦冥騎士は負傷していない右肩の方でイルマの細身の体を担ぎ上げた。


「私はこの魔術師を連れて帰る。そっち男を片付けたら合流しろ」

「了解」


 槍使いの晦冥騎士はハルペー使いの同僚にそう言い残し、この場を離脱しようとするが、


「イルマを離せ!」


 丸腰になることもいとわず、ロブソンはイルマを救うべく、槍使いの晦冥騎士へと手持ちのダガーを投擲したが、


「残念だったな」

「待て!」


 あえて左の掌でダガーを受け止めると、晦冥騎士は人一人肩に抱えているとは思えぬ俊足で、即座にその場を離脱した。ロブソン唯一の近接装備であるダガーを、掌で拝借したまま立ち去るところが性質悪い。


「お前の相手は私だよ」

「くっ――」


 イルマ救出に気を取られすぎた。回避行動が間に合わず、背後からハルペーの一撃に背中を裂かれてしまう。痛みに怯まず、追撃を逃れるために低い姿勢のまま、地面を蹴りつけるようにして一度距離を取る。


「安心しろ。直ぐに仲間の下に送ってやるさ」

「……イルマを救うためにも、ここで死ぬわけにはいかない」


 ロブソンが退避したのは、全身を貫かれて絶命したギラの遺体の直ぐ側であった。咄嗟に、血だまりに沈んでいたギラ愛用のロングソードを掴み取る。


「……剣を扱うのは、随分と久しぶりだ」


 近接武器であるダガーを失った以上、弓を広い直すまでの間使用する近接武器が必要だ。

 仮に目の前の晦冥騎士を倒せたとしても、イルマをさらった晦冥騎士へ追いつくことはもう不可能だろう。しかし、ここでロブソンが死んだら生存者はいなくなる。そうなれば、イルマが攫われたのだという事実そのものを誰かに伝える機会さえも失われてしまう。彼女を救える可能性があるとすれば、それはまず、ロブソンがこの戦場を生き延びることだ。

 

 覚悟を新たに、弓使いは亡き仲間の得物を片手に強敵へと挑みゆく。

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