第35話 伸ばした手はその手に届かず

「今よ、リスちゃん!」

「ラディウス!」


 屋敷周辺での戦闘も激化する一方であった。

 ゼナイドが両足を切り落として転倒させたガストリマルゴスへ向けて、リスが真正面から詠唱破棄で放ったラディウスを見舞う。詠唱破棄のため威力こそ以前カキの村で放った時よりも劣るが、真正面から体全体を飲み込むような形でラディウスを受けたため、ガストリマルゴスの再生能力も追いつかず、霧散し消滅した。

 休む間もなく、今度は狂喜乱舞するかのように計四刀のシミターを振り回しながら、二体のコプティスが迫るも、


「エールプティオー!」


 爆発を発生させる魔術、エールプティオーを詠唱破棄で発動。巨体の人外相手では致命傷には至らぬが、ピンポイントで顔面付近に爆発を発生させたことで、爆炎と爆音とで二体のコプティスを同時に怯ませる。

 再生能力を持たぬコプティス相手ならば、大剣を扱うゼナイドでも止めを刺すことが可能だ。


「流石リスちゃん。狙いが適格!」


 賛辞を述べると共に、ゼナイドが大剣とは思えぬ剣速でクレイモアを瞬時に振るい、一体のコプティスの首を切り落とした。爆発の混乱から回復したもう一体がゼナイド目掛けて頭上からシミターを振り下ろして来たが、振り下ろされた剣先にすでにゼナイドの姿はない。股下から後方へ回り込んだゼナイドが即座にコプティスの両足首を切断し、駄目押しに背後から蹴りつけてやることで前方へと転倒させる。そのまま背面へと飛び乗り、鉄仮面では守り切れていない襟首えりくびへと容赦なくクレイモアを突き立て、二体目も撃破した。

 

 ――手強い魔物には違いないけど、こいつらだけで屋敷周辺の守りを突破出来たとは思えない。一体、何が起こっているの?


 連日連戦の疲労の蓄積ちくせきや、リアンの町に突如出現した灰燼王かいじんおうラヴァにより引き起こされた火災と混乱。圧倒的不利な状況にあったことは間違いないが、それを踏まえてなお、この短時間で屋敷の守りが突破されたことはに落ちない。少なくとも、教団の一般戦闘員や魔物如きではこうはならないはず。何かより危険な存在が絡んでいるのではとゼナイドは想像する。


 その想像は、即座に実感を持ってゼナイドへ襲い掛かることとなる。


「何時の間に!」

 

 不意に背後から微かな殺意を感じ取り、ゼナイドは即座に前方に転がり込むようにして回避する。次の瞬間、先程までゼナイドの頭部があった位置を、水平に大ぶりな黒い刀身が通過していった。一瞬でも回避が遅れていれば、頭部を消し飛ばされていたところだ。


「ほう、今の一撃を回避したか。コプティスを軽々と切り伏せたことといい。なかなかの手練れのようだ」


 色白な肌と黒い長髪が印象的な、金色の縁の青いローブをまとった長身の男が、無表情のまま下手くそな口笛を吹かし、得物である黒い両手剣を両肩で担いだ。


「音もなく私の背後を取るなんて……いったい何者?」

「私はアマルティア教団の中で、晦冥かいめい騎士きしと呼ばれる者の一人だ。個人名は存在しない」

「晦冥騎士?」


 聞き慣れない役職だが、油断出来ぬ相手であることは間違いない。

 軽快に言葉を返しているが、その間にもまるで隙が見当たらない。下手くそな口笛も油断ではなく、実力者特有の余裕としての印象の方が強い。


「問答はこの程度で十分だろう。そろそろ始めさせてもらう」

「……やるじゃない」


 晦冥騎士の振り下ろして来た黒い両手剣を、ゼナイドはクレイモアで真正面から受け止める。ゆったりとしたローブのせいで体格は把握しきれないが、晦冥騎士の膂力りょりょくはかなりもの。力には自信のあるゼナイドをもってしても、刃の勢いを消し切れず、徐々に刃が押し返されていく。


「援護します! グロブス」

「レフレクシオ」

「きゃっ!」


 ゼナイドを援護すべく晦冥騎士目掛けて放ったグロブスの弾丸が、レフレクシオの魔術により発生した障壁に跳ね返された。リスは短い悲鳴を上げて咄嗟に軌道から退避。自身の放った弾丸が、右頬を掠めて赤い線を引いていった。


「リスちゃん! 平気?」

「大丈夫です……しかし、一体どこから?」


 後方を振り返る余裕が持てず、ゼナイドは晦冥騎士の攻撃を受け止めたまま背中で叫ぶ。

 幸いリスは掠り傷だけで済んだものの、状況把握には至っていない。ゼナイドと交戦中の晦冥騎士には魔術を発動した素振りはないが、かといって周辺にも魔術師らしき姿は確認出来ない。

 魔術師としては優秀であっても、一人の戦士としては、リスは若さもあって未熟と言わざる負えない。慌てた様子でキョロキョロと当たりを見回す姿には、付け入る隙が多すぎる。


「詠唱破棄で魔術を放てる優秀な魔術師か、使わない手はないな」

「えっ?」


 突如として背後に出現した無感情の声と、両足の太腿ふとももに巻き付いた違和感とに、リスの表情が凍り付く。これから襲い掛かるであろう激痛を、体が予測してしまった。


「止めて……ください……」

「持ち運びに不便なのでな」


 懇願こんがんむなしく、背後を取った男は躊躇ちゅうちょなく左手を引く。

 リスの両足の太腿に巻き付いた細く硬質な戦闘用の糸が、リスの両足の肉と骨とを一瞬で断ち切った。突如として両足を失ったリスはバランスを崩し、前のめりに勢いよく倒れ込んだ。


「ああああああああ――足が、足が……」


 激痛と出血とに、リスが絶叫を上げてのたうち回る。華奢な足は作り物のように転がり、切断面から絶えず赤色が漏れ出していた。


「リスちゃん! この!」


 耳を覆いたくなるような悲痛な叫びに、ゼナイドの心も乱れる。火事場の馬鹿力で強引に晦冥騎士の両手剣を弾き返す。リスを救いたい一心で、自身の背中ががら空きであることも構わずに、即座に体を反転させてリスへと手を伸ばす。


「愚かな」

「あぐっ――」


 負傷した少女の下へ素直に向かわせてくれる程、晦冥騎士は甘くはない。

 隙だらけの、がら空きのゼナイドの背中目掛けて容赦なく黒い両手剣で斬り付けた。硬質な鎧で威力が弱まったとはいえ、ゼナイドの背中が鎧ごと大きく裂ける。それでもなおゼナイドは膝をつかずにリスに手を伸ばそうとするが、晦冥騎士は十字を作るようにしてゼナイドに背後から追撃。より重い一撃を受け、ゼナイドの体は前のめりに沈む。


「ゼナ……イドさん……」

「リスちゃん――痛っ!」


 気絶したリスへと必死に伸ばした手は無情にも、リスの両足を切断した男に踏みつけられる。

 文字通りの体勢でゼナイドを見下ろす男は、ゼナイドと対峙していた晦冥騎士と同様の、金色の縁の青いローブを羽織っている。服装や戦闘能力から考えて、この男もまた晦冥騎士の一人なのだろう。ローブのフードを目深に被っているため、その表情を完全に窺い知ることは出来ないが、ゼナイドが見上げた先の口元は、確かに笑っていた。


「……その子は、殺させない」

「殺しはしない。詠唱破棄でガストリマルゴスを滅せるだけの優秀な魔術師には、こちらとしても利用価値があるのでな。これも任務の一環だ。足を断ったのは抵抗の意志を削ぐためと、単純に運びやすくするため。それ以外の意味などない。出血は後で止めてやるから安心して見送ってやれ」

「ふざけ……ないでよ!」


 重症のリスを両腕で抱えた晦冥騎士のズボンの裾に、ゼナイドは必死に右手ですがるが、


「しぶとい女だ」

「あっ――」


 強引にゼナイドを引き剥がそうと、晦冥騎士は自由な方の足で勢いよくゼナイドの顔面を蹴りつけた。意識が一瞬跳び、ゼナイドの右手が晦冥騎士の裾から外れる。


「私はこの魔術師を連れて離脱する。その女の始末はお前に任せるよ」

「了解」


 リスを抱えた糸使いの晦冥騎士は音もなく即座に離脱。その場に残った両手剣使いの晦冥騎士は、ゼナイドの首に狙いを定めて大剣を振り被った。リスの悲鳴に心乱されなければ、ゼナイドは晦冥騎士と互角に渡り合えた可能性がある。晦冥騎士もそのことを理解しているからこそ、手は抜かずに首を落とすことで確実に殺そうとしている。


「リスちゃん……」

「終わりだ。女騎士」


 負傷で意識が朦朧もうろうとしているゼナイド目掛けて、晦冥騎士が剣を振り下ろそうとするが、


「……ここまで激しい怒りを覚えたのは久しぶりです」

「むっ!」


 鋭い殺意の急接近を感じ、晦冥騎士は即座に剣の方向を変え、剣の腹で右側面をガード。次の瞬間、凄まじい衝突音と衝撃が晦冥騎士へと襲い掛かり、バランスを崩した晦冥騎士は数メートル吹き飛ばされた。


「突然で少し驚いた。大量のガストリマルゴスに囲まれていたから、加勢にはもうしばらく時間がかかると思っていたのだが」


 派手に吹き飛ばされた割に大してダメージは無いようで、晦冥騎士は悠然と立ち上がり、景気づけに首を数度鳴らした。


「可能な限り撃破し、残りは同僚に任せてきました……急いだつもりでしたが、出遅れてしまいましたね」


 ゼナイドを庇うようにして、アイゼンリッターオルデンの騎士、イルケ・フォン・ケーニヒスベルクが、血塗れのウォーハンマー片手に晦冥騎士の前に立ち塞がった。傍らには魔術騎士のラウラ・フランケンシュタインも控えている。クヌート・バイルシュミットとフーゴ・ファルケンマイヤーは、イルケとラウラの穴を埋めるべくたったの二名で、絶えず雪崩れ込んでくる無数の魔物と教団戦闘員へと対処している。


「ラウラ、ゼナイドさんに応急処置を。リスさんの救出には間に合わなかった。せめてゼナイドさんだけでも救ってあげたい」

「全力は尽くすけど傷が深い。助かるかどうかは彼女の生命力次第ってところね――」


 それだけ言うと、ラウラはすぐさま魔術の詠唱を開始し、ゼナイドへの応急処置を試みる。その間ラウラも無防備に晒されることになるが、イルケという絶対的強者が守ってくれているので安心して治療に臨める。


「アイゼンリッターオルデンのイルケ・フォン・ケーニヒスベルクか。これはまた厄介な相手だ!」

「せいぜい恐怖してください。私の攻撃は、激痛程度じゃ済みませんよ!」


 低い姿勢から殴り掛かったイルケのウォーハンマーと、晦冥騎士の振り抜いた黒い両手剣とが激しく接触した。

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