第31話 黒い天使と二人の傭兵

「私に余計な手出しなどしなければ、少しは生き長らえたものを――」

「ドルジア! 危ない!」


 異形の黒い天使の姿が、一瞬にして視界から消えた。

 辛うじてエマを目で追っていたファルコが、かつての集会場近くにいた大斧使いのドルジアに向けて叫ぶが、とうのドルジア自身がエマの姿を追えていない。ファルコは咄嗟にテンペスタで風の刃を発生させようとするが、殺戮さつりく形態けいたいを発動したエマは速度も向上しており、行動が追いつかない。


「まず一人」

「嘘……だろ――」

「ドルジア!」


 背後に気配を感じ取った瞬間には時すでに遅し。

 エマの槍状となった右腕が、ドルジアの心臓を背後から刺し貫いた。

 心臓ごと槍を引き抜くと、エマはドルジアの遺体をぞんざいに投げ捨てた。


「貴様!」


 団員を殺された怒りに震えるジルベールが、大剣で果敢にエマへと斬りかかる。

ドルジアの戦死に動揺しながらも、弓兵のロブソンや魔術師のイルマが遠距離からエマを牽制し、ジルベールの攻撃をサポートする。

 敵討かたきうちに燃える団員たちの感情を嘲笑あざわらうかのように、エマは一切の回避行動を取らずに矢や魔術による攻撃を触手でいなしていく。触手の合間を縫ってジルベールが接近し、本体目掛けて大剣による強烈な一撃を振り下ろしたが、


「なっ!」

「その程度の力で、私に傷をつけるなど不可能ですよ」


 無情にもジルベールの大剣は、甲高い音と共にエマの硬質な体に弾き返される。

 さらなる絶望感を与えるために、剣による攻撃などまるで効かない、圧倒的身体硬度をエマはあえて見せつけたのだ。


 大剣を弾かれた隙をついて、ジルベールの背後から死の触手が迫る。


「やらせるか!」


 生み出した風の勢いに乗って加速したファルコが背後からエマに刺突を繰り出す。今度は間に合った。これ以上の犠牲を出させない。

 殺戮形態と化したエマでも、テンペスタの直撃を受けるのは危険だ。ジルベールを切り刻もうと展開していた触手を即座に背後に回し、テンペスタを受け止める幾重もの大盾とした。殺戮形態と化したことで触手の硬度もより上昇しており、数本でテンペスタの勢いを消し切った。


「やはり、あなたと戦うのが一番楽しいですね」

「ふざけるな」


 後方を振り返り、エマは不敵な笑みを浮かべる。


「これ以上、もう誰も殺させない」

「もう誰もですか。残念ながら、早くも二人目の犠牲者が出そうですよ?」

「なっ?」


 ファルコの背筋を冷や汗が伝う。よく見ると、エマの鋭利なかかとが二本とも地面に深く突き刺さっている。

 エマは全身から刃物のように鋭利な触手を伸ばす。だとすれば踵から伸びるそれも同様の凶器だと思っていい。


「何てこった……」

「ジルベールさん?」

「団長!」


 ジルベールの両腕が突如として脱力し、両手で握っていた大剣が地面へと落下する。踵から伸びる、地面を経由して背後から迫った二本の触手が、ジルベールの腹部を刺し貫いていた。貫通した後に捻りが加えられており、傷口が大きく広がっている。


「止めろエマ!」

「団長を離せ!」


 ファルコがテンペスタで猛攻。危険を承知で接近戦をしかけるリカルドも加勢し、ジルベールの救出を目指すが、エマは槍状の両腕と無数の触手を駆使して二人の猛攻を軽々としのぎきる。その間にも、かかとから伸びた触手に込められた力が緩むことはない。


「二人目です」

「止めろ――」

「団長――」


 団員達の必死の願いも虚しく、赤獵しゃくりょうはその嗜虐しぎゃくせいを持ってジルベールへと止めを刺した。

 

「があああああああ――」


 腹部から侵入した二本の触手が、それぞれ反対方向に斜めへと抜け、ジルベールの体を切断。断面から血液を吹き出しながら、ジルベールの体が斜めにずり落ちた。


「そんな……嘘よ」

「イルマ……」


 嗚咽おえつを漏らしてその場に崩れ落ちるイルマの肩を、近くにいたギラが抱くが、動揺の大きさはギラも同様で、恐怖とも怒りとも分からぬ感情に体が強く震えている。

 大柄で寡黙かもくなガストンも、傭兵としての師であり、戦士としての憧れでもあったジルベールが戦死したという事実を受け止めきれず、その場に茫然と立ち尽くしている。

 戦場で思考停止するなど本来あってはならぬ事態だが、手練れの傭兵達にそうさせてしまう程に、ジルベール・クライトマンの存在は大きなものであった。


「あなたは随分と冷静なのですね」


 槍の勢いを止める暇など存在しない。ジルベールの死を受けてもファルコは冷静にエマへの攻撃を継続している。戦場で傭兵が死ぬのは仕方のないことだ。例え相手が親しい人物だったとしても……死を悼むのは全てが終わった後でだ。四柱の災厄を前に隙など見せられない。今は全力で目の前の戦いに集中するしかない。


「リカルド。ジルベールさんをうしなった今、団員に指示を出すのは副団長である君の務めだ。何をすべきかは分かっているよね?」

「当たり前だ」


 想定したくない事態ではあったが、副団長として、団長のジルベールが戦死した場合の心構えは常に持ち合わせて来た。当然、団長の死に心乱れぬはずはないが、一時的に感情を切り離し、冷静に行動することくらいは出来る。傭兵国家アルマ出身の人間として、幼少より戦場に身を置いて来た。死は何時だって身近だ。例え相手が、尊敬する恩人であったとしても。


「ギラ、イルマ、ガストン、お前らは一度戦場から離脱しろ。動揺した今のお前らじゃまともに戦えない、戦場で無駄に命を散らせるだけだ」


 厳しくも核心を突いた命令に、誰も反論を口にしなかった。

 ジルベール団長の死という事実は彼らに動揺だけでなく、圧倒的強者を前にした無力感を植え付け、戦意を喪失させてしまった。ジルベールは一人の戦士としても豪傑であった。そんなジルベールが、一太刀も浴びせられぬまま、惨たらしく殺害されてしまう。自分達では黒い天使には敵わないのだと理解し、三人の心は折れてしまった。


「ロブソンも一緒に行け。残念だが、お前の攻撃じゃエマの表層は抜けない」

「悔しいが、もっともな意見だ。リカルドの指示に従うよ。行くよ、みんな!」


 ロブソンもまた、己の実力を省みることも含め、現状を冷静に受け止めている。リカルド同様にロブソンの胆力も相当なものだ。

 あえてロブソンが語気を強めたことで、動揺していた三人も我に返った。今の自分達では足手纏いにしからならないと理解し、場を退くことを決意する。


「熱くなっているところ申し訳ありませんが、私が素直に他の者達を逃がすとで――」


 エマの言葉を遮るようにして、一瞬で側面に回り込んだリカルドは、激情の込められたモーニングスターのフルスイングでエマの右側頭部を一撃した。エマがテンペスタを握るファルコだけを警戒していることを利用し、テンペスタで生み出した風の流れに乗ったリカルドが、テンペスタで生み出した風の刃を纏い、勇敢にも攻撃を仕掛けたのだ。強敵が現れた際の保険として、この戦術はグロワールを発つ前日の酒の席で立案していた。ぶっつけ本番で成功させる辺りは、同郷どうきょうならではの連帯感といったところだろうか。


「ウラガ―ノ!」

「心得ている!」


 リカルドの一撃は致命傷には至らずとも、頭部を狙ったことで確実にエマの感覚器を揺さぶっていた。即座に回避および、迎撃行動を取ることが出来ない。 


小癪こしゃくな真似を……」


 跳躍したファルコが振り下ろしたテンペスタが、エマの左腕を直撃。切断力抜群の赤い穂によって、エマの槍状の肘から先を切り落とした。

 怒りに吠えたエマがすぐさま触手による全方位攻撃を展開したが、ファルコとリカルドは高い身体能力によって全てをギリギリのタイミングながらも回避。全方位攻撃のあおりを受けて、健在だった家屋のほとんども限界を迎え倒壊。大きな土煙が巻き起こる。

 視界不良は不利だと即断し、ファルコがテンペスタで強風を発生させ、土煙は一瞬にして掻き消される。視界がクリアとなった頃には、ロブソンらはすでに離脱を果たしており、村には黒い天使と、五体満足の二人の傭兵の姿だけが残されていた。


「他の者達がどうしたって?」


 あえて挑発的にリカルドは言ってのける。

 エマの宣言をくじき、四柱の災厄に一杯食わせることには成功した。ルミエール領での戦に、エマ以上の脅威は恐らく存在しないはずだ。団員達を逃がせた。副団長としては上々の成果といったところだ。


「……流石に堪忍袋の緒が切れましたわ。楽に死ねると思わないでくださいませ」


 静かな怒りと殺意とが、エマの無機質な瞳から溢れ出している。

 今までは実力のほんの一旦が垣間見えただけだったようだ。触手が触手から枝分かれし、さらにその数を増やしている。攻撃力、攻撃範囲共に、これまで以上に上昇していると見て間違いない。


「間違っても俺よりも先に死ぬなよ? 魔槍の使い手が先にくたばったら笑い話にもならん」

「安心してくれ全力で生き抜く覚悟だ。君の方こそ、本気のエマ相手じゃ庇いきれないよ」

「自分の身くらい自分で守るさ。そう簡単に死んでやる気はないが、その時はその時だ。戦場に散る覚悟なんざ、いまさら問われるまでもない」


 景気づけに互いの得物同士を鳴らし合わせると、二人の傭兵は覚悟を新たに凶悪化したエマへと挑みゆく。

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