第29話 離反の代償
「一体何が!」
ニュクスとクルヴィ司祭の戦闘で発生した閃光に引き寄せられ、近くで住民の救援活動にあたっていたドミニクの部下二名が宿屋前の通りへと駆けつける。
そこにはすでにクルヴィ司祭の姿はなく、イリスを抱きかかえるニュクスの姿と、ぞんざいに転がる何者かの右腕が残されていた。
「
「君はソレイユ様の部隊の」
「この子一人しか助けられなかった……早く安全な場所まで避難させてやってくれ。あんた達の強さなら安心出来る」
「分かった」
只ならぬ気迫を感じさせるニュクスを前にやや緊張した面持ちで、牙噛隊の隊員はイリスの身柄をニュクスから預かり受けた。
「君はこれからどうするんだ?」
「……少しばかり出遅れてしまったが、戦力としてお嬢さんに力を貸さないわけにはいかないからな」
「ルミエール邸へ向かうのか。しかし、その傷では」
「ただの掠り傷だ。戦いなんて、傷を負ってからが本番みたいなものだろう」
負傷度合いに不釣り合いな苦笑を浮かべるニュクスの顔の右半分は、鮮血で真っ赤に染まっていた。縦に傷が走り、右目ごと切り裂かれている。右の視力は完全に失われているものと思われる。負傷の深度も去ることながら、片目を失った状態で戦闘に向かうのは無謀としか言いようがない。
「しかし……」
ニュクスの身を案じ、尚も引き留めようとするドミニクの部下の言葉を他所に、ニュクスは負傷を感じさせない俊足で即座にその場から消えた。
恩人に牙を剥き、その恩人からも廃棄と称して見限られた。役割を失ったアサシンがこの先どのように生きていけばよいのか。それはニュクスにも分からない。
分からないのなら、別の行動理由に
片目を失う大怪我も顧みず、ニュクスは無心でルミエール邸を目指す。
〇〇〇
「ふむ。想定以上の動きだったな」
ニュクスと相打ちとなり負傷したクルヴィ司祭は、東部の街道まで撤退していた。右腕の肘から下を失い、大量の血液が滴り落ちているというのに、痛みをまるで感じさせない涼しい表情を浮かべている。右腕を失うのは随分と久しぶりだ。久しい痛みをどこか懐かしんでさえいた。
負傷する気など無かったのだが、ニュクスの動きはクルヴィ司祭の想像の上を行っており、予定外の出費を払うこととなってしまった。片腕程度いくらでも再生出来るが、万が一にも殺し切られてしまってはたまらない。潜ませていた配下のアサシンでは手負いのニュクスにも及ばないだろうと判断し、あの場は一度引くことを決めた。
ニュクス自身も恐らくは無自覚だったのだろうが、ニュクスもまた、感情を力に変えられるタイプの人間のようだ。幼い少女を救おうという気持ちが、元より優れた身体能力をさらに向上させていた。非情なアサシンとしてこれまで淡々と人を殺してきた人間が、感情的になることでより攻撃性能が高まったというのも皮肉な話だ。
「まあいい。片目は潰せた」
多少は時間がかかるが、腕の再生が可能なクルヴィ司祭にとって此度の負傷はあってないようなもの。対するニュクスは片目を失うという、取り返しのつかない重症を負った。失ったものの大きさという意味ではクルヴィ司祭の大勝だ。
「その腕はニュクスが?」
「ああ。思わぬ力に少し驚かされたよ」
音もなく現れた暗殺部隊所属の銀髪の少女、カプノスが無表情のまま淡々とクルヴィ司祭を迎える。クルヴィ司祭の腕が再生可能なことを、暗殺部隊の中で唯一カプノスだけが知っていた。クルヴィ司祭とカプノスの関係性は、他のアサシンや教団関係者のそれとは少々異なっている。
「ニュクスは裏切ったのですか?」
「私が彼を見限っただけだ。いかに優秀なアサシンといえども、いざという時に命令に反する可能性があると分かれば、手元に置いておくわけにはいかない」
「そうですか」
相変わらず淡々とはしているが、カプノスの視線が普段よりもやや落ちていることを、目敏いクルヴィ司祭は見逃さなかった。
「まさか、ニュクスの監視役を続ける中で、情が移ったということはないだろうね?」
「私に情などというものが有るとお思いですか?」
無垢な少女のように小首を傾げるカプノスの姿を見て、クルヴィ司祭は破顔一笑した。
「今のは私の失言だった。久しぶりに負傷などしたものだから、少し卑屈になっていたのかもしれないな。許してくれ」
無機質な普段とは異なる素の笑みを覗かせ、クルヴィ司祭は健在な左手でカプノスの頭を優しく撫でてやった。
「先の王都での駒の損失に加え、ロディアとニュクスの離反。エキドナらまだ優秀なアサシンは残っているが、人材不足の感は否めない。ニュクスの監視役も今日で事実上の終了だ。カプノスにも前線での仕事を任せることになるかもしれないな」
「いつでも、どのような命令でもお受けいたします。私は淡々と、父上より与えられし命令に従うのみです」
無感情に無表情のままそう返答して、カプノスはクルヴィ司祭へと肩を貸す。
次の瞬間には、親子の姿は煙のように一瞬でその場から消えてなくなった。
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