第19話 血塗れのペンダント

「何が起きたというの?」


 ヴェール平原を抜けカキの村へと到着したソレイユは、その惨状に絶句し思わず後退りしてしまう。その肩を優しく受け止めたクラージュも冷や汗交じりに目を見開き、これまで見せたことのない困惑の表情を浮かべている。


「……俺達が発った時点では異常はなかったのに」


 周辺を警戒しつつ村の中央の大きな血だまりへ近づいたカジミールが、落ちていた血塗れのブロードソードを拾い上げ、沈痛な面持ちでソレイユ達の方へ向き直る。


「……カメリアのだ」

「そんな……嘘でしょう」


 ウーが嗚咽おえつを漏らして口元を両手で覆う。

 残された大量の血痕。主を失った損傷した武器。カジミールの後続としてカキの村を訪れたであろうカメリアの部隊。最悪の結論に行きつくことは必然だ。


「……これは」

「ニュクス?」


 街道方面に散乱する馬車らしき木片とその周辺の血だまりを探っていたニュクスが何かを発見したらしい。生々しい肉片も一部残されている。あまりソレイユに間近で見せるものではないと判断したのだろう。ニュクスはやりきれない表情で、その場で血塗れのペンダントを掲げて見せた。


「……そんな……だってそれは……」


 ソレイユは感情的に声を震わせながらも、決して非情な現実からは目を逸らさず、ニュクスの掲げたそれをしっかりと双眸そうぼうで捉えていた。

 屋敷で一緒に過ごす時間の多かったそそっかしいメイド。そんな姿も愛らしく、時には同年代の女性同士楽しい時間を過ごした大切な友人。

 メイドのソールがいつも肌身離さず身に着けていた、母親の形見だという翡翠ひすいのペンダント。それがどうして、凄惨な血だまりの中などから発見される?


『泣かないで。今生の別れじゃ無いのだから』


 ルミエール領を発つ前夜のソールとのやり取りが思い起こされる。

 あの時はまさか、こんな未来が訪れるなどとはまるで想像していなかった。

 命の危険が伴うのは、対アマルティア教団の最前線へと向かうソレイユの方。そんなソレイユの身を案ずるソールを宥めるための言葉だったのに。


 ……どうしてソールが命を失ってしまったのだろう。

 

「……カジミール。カメリアの護衛する馬車にはソールも乗っていたの?」

「……直接確認したわけではありませんが、カメリアの護衛する馬車には住民の他、屋敷の使用人も同乗させると聞いておりました。恐らく、ソールも同乗していたものと思われます」

「……そうですか」


 必死に歯を食いしばりながらも、ソレイユは決して涙は見せなかった。

 領主の娘であり、先遣隊の指揮官でもある自分が作戦中に感情を表に出してはいけない。

 悲しむのは全てが終わってからだ。大切な友人の、守るべき民たちの、最期の瞬間まで戦い続けた勇敢な騎士達の、かけがえのない命を無残に奪い取ったアマルティア教団の蛮行を、これ以上許すわけにはいかない。まだ救える命はある。犠牲となった者達のためにも、せめてこれ以上悲劇を繰り返させてはいけない。


「……事は一刻を争います。急ぎリアンの町に――」


 ソレイユが面を上げた瞬間、突然すさまじい爆発音が一同の耳へと飛び込んできた。音の出所は街道の先にあるルミエール領の中心、領主町であるリアン。爆発音と共に激しい黒煙が立ち上り、日中だというのに、激しいほむらの色が空を染め上げんとしている。


「リアンの町が燃えて――」


 さらなる混乱の発生に驚愕する間さえも、惨劇の主は与えてはくれなかった。

 歪な殺意を鋭敏に感じ取ったソレイユが、その場にいる全員に向けて即座に叫ぶ。


「何か来ます! 全員警戒を」


 全員が武器を構えて状況に備える。リアンの方面の爆発音が止み、カキの村は一瞬の静寂に包み込まれる。


「ああああああああ! 足! 俺の足――」

 

 集会場の建物付近にいた、顎髭あごひげを蓄えた槍使いの傭兵の右足が突然切断され、激痛にもだえる絶叫が静寂を割いた。


「おい、今助け――」


 近くにいた相棒の剣士が救援のために近づいた瞬間、突如として集会場を突き破って来た無数の鋭利な触手の波に巻き込まれ、負傷した顎髭の傭兵ごと全身を切り刻まれてしまった。


 破壊され解放された集会場の扉から、元は純白だった、血塗れの赤いドレスをまとった可憐な少女が悠然と姿を現す。裸足の足が、今し方刻んだ傭兵達の血だまりに沈み、赤い靴を履いたかのように染め上がる。


「今度は随分と大勢ですね。楽しませてくれるとありがたいのですが」


 瞬時に、この少女がカキの村の惨劇の張本人であると誰もが悟った。

 目の前で残酷な殺人を目の当たりにしたこともあり、油断している者など誰一人としていない。


「あら、あなた」


 獲物を見定めるかのように一行の顔を流し見る少女の目線が、ソレイユのところでピタリと止まる。


「あなたが噂のソレイユ・ルミエールとかいう小娘ですね。なるほど、憎きあの女、アルジャンテにあなたはよく似ていらっしゃる」

「可憐な少女の容姿で無残に獲物を切り刻む狂気性と、アルジャンテと面識があるかのような口ぶり。まさか……」


 想定していた最悪のシナリオの一つが当たってしまったらしい。

 大規模な侵攻に際し、教団側が戦力を出し惜しみしないとするならば当然、先の国境線でもその凶悪さを存分に発揮した最強戦力を投入してくる可能性は十分に考えられる。

 並の魔物や教団の兵士相手だったなら、カメリアはきっとカキの村の惨劇を食い止めることが出来たはずだろう。しかし、強者である彼をもってしても、文字通り災厄と同義とされる伝承の魔物相手では、あまりに分が悪かったはずだ。

 最悪の敵との遭遇に、その場の空気感は凍り付いている。早々に最強格の魔物と出くわすことは流石に想定外であった。


「……四柱の災厄が一柱。赤獵しゃくりょうエマ」

「正解です」


 満面の笑みで頷き、エマは自身の正体を肯定する。

 500年前の動乱期において、邪神ティモリアに準ずる脅威とされていた最強の4体の魔物――通称「四柱よんはしらの災厄」。

 赤獵姫エマは、可憐な少女の外見で数多の戦場に姿を現し、刃物状の触手で数えきれない数の屍の山を築き上げていったと伝承に綴られている。その存在はもはや死神と同義であり、運悪く彼女と戦場で対峙してしまった者は、どんなに屈強な戦士であったとしても、楽には死ねぬと早々に生存を諦める程の絶望感だったという。赤獵姫の異名も、返り血で自身の衣服を赤く染め上げていく、エマの嗜虐性しぎゃくせいから名付けられたものだ。

 今この瞬間、一行の前に立ち塞がっているエマがそうであるように、伝承に語られる四柱の災厄は皆、一見すると人と区別のつかない姿をしているとされている。

 あらゆる魔物の祖である邪神ティモリアが何故、腹心とも呼べる四柱の災厄達に人と似た姿を与えたのか。歴史学者たちの間では一つの仮説が立てられているという。

 邪神は人の恐怖の感情を糧としてその力をより高めていくとされている。だとすれば、四柱の災厄に人の形を与えたこと理由もそれに関係してくるではないか。

 仮説曰く、人と変わらぬ姿をした脅威の手によって命が蹂躙されていく様は、何よりの恐怖である。だからこそティモリアは四柱の災厄に人と似た姿を与え、大量虐殺を繰り返していったのではないかと。

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