第15話 それぞれの夜 2
夜の
オッフェンバック邸の客室には、寝間着姿のクラージュとウーの姿があった。
婚約者同士、今回も二人には同室が宛がわれている。
「……ねえクラージュ。今日は一緒のベッドで寝てもいい?」
「ルミエールへの出立を前に不安か?」
「少し……」
そうかと短く頷き、クラージュは自身のベッドへウーを座らせ、その肩を優しく抱き寄せた。
「……本当なら、来春には結婚式の予定だったのにね」
初代領主アルジャンテの意向もあり、ルミエール領は古くから、家柄や身分に囚われぬ、恋愛や婚姻の自由を広く認めている。クラージュのアルミュール家、ウーのスプランディッド家は共に名門ではあるが、二人の婚姻に政略的な意味合いは一切なく、幼馴染として共に過ごす時間の多かった二人が、自然とお互いを異性と意識していった末の婚約である。両家もそれを快く祝福してくれた。
何事もなければ来春には婚姻の儀が執り行われ、ウーはアルミュール家へと嫁ぐはずだったのだが、現状それは無期限の延期とせざるおえないだろう。二人とも騎士として前線に赴く身であり、何よりも故郷であるルミエール領そのものが、かつてない危機に立たされている状況なのだから。
「ほんの数カ月前までは、このような状況はまったく想定していなかったからな。大陸の情勢不安だけに留まらず、よもやルミエール領そのものが危機を迎えることになろうとは」
「……どうして私達の世代でこんなことになってしまったんだろう。少なくともこの500年間は、目立った動乱なんて起こってこなかったのに」
「実際に起きてしまった以上、もしもなんて考えても仕方がない。それに物は考えようだ。私達の代で
「先のことまで見据えるなんて、クラージュはやっぱり凄いな」
「そんな大げさな話ではないさ。後世の人間などと仰々しい表現を使ったが要は……将来私達の間に生まれるであろう子や、さらにその子供達が生きる時代が平穏たるように、今の時代を生きる私達が戦う。そう思えばこそ頑張れる」
「……そうだね。クラージュの言う通りだ」
気恥ずかしそうに視線を逸らすクラージュの言葉に勇気づけられ、それまで不安気だったウーの表情も自然と綻んでいた。未来を悲観してしまった自分と違い、
「ねえねえ、子供は何人ほしい?」
「流石に気が早くないか? 子供について考えるのは正式に結婚してからでも」
「いいじゃん、いいじゃん。人生設計くらいしてもさ」
そう言ってウーは勢いをつけてクラージュの胸に飛び込み背中に腕を回す。大胆な行動とは裏腹に、その体は感情的に震えている。
此度の戦はこれまでで一番怖い。故郷の危機であることはもちろん、大切な人が戦渦の中で命を落してしまうのではないかと、どうしたって不安になってしまう。
「……絶対にルミエール領を守り抜こうね。ルミエールは故郷であり、あなたとの未来を育んでいく大切な場所でもある。絶対にアマルティア教団なんかに渡さないんだから」
クラージュは目を伏せると、無言で優しくウーの体を抱き締めた。
――愛する者も主君も故郷も、この命に代えても絶対に守ってみせるさ。
ルミエール領で戦闘が開始されれば、これまで経験したことのない激戦が繰り広げられることとなるだろう。もちろんウーと共にこの難局を生き抜く覚悟ではあるが、命の保証など存在しないこともまた事実。最悪の場合はウーだけでも生かしてみせるとクラージュは己に誓っていた。
制御不能故に実戦で使用したことはないが、命を賭してでも大切な人を守らねればならぬ時には、奥の手の使用も
「ウー。私より先に眠りに落ちてくれないか?」
「どうして?」
「久しぶりにお前の可愛らしい寝顔を観察したい」
「もう。なによそれ」
「がはっ――」
嬉しそうに頬を赤らめながらウーは、照れ隠しで掴み上げた枕でクラージュの顔面を一撃した。
〇〇〇
「眠れないのか?」
「……はい。休息を取るべきなのは分かっているのですが、どうしたって心穏やかというわけにはいきませんから」
月光差し込むオッフェンバック邸の中庭に佇むソレイユに、ニュクスが背後から近づく。決して奇襲をかけに来たわけではない。考え事をしながら廊下を歩いていたら、たまたま中庭にソレイユの姿を見かけたので声をかけただけだ。
「眠れる方法でも教えてやろうか?」
「息の根ごと止めるとか言わないでくださいよ」
「お嬢さんに対してそれは、全然お手軽じゃないだろう」
「冗談ですよ。それで、眠れる方法というのは?」
「眠れるまで起きていることだ。そうすれば何時の間にか眠っている」
「違った方向性でふざけたご意見でしたね」
「別にふざけてはいないさ。感情が目を冴えさせても体は正直なものだ。連日の長距離移動で消耗しないわけがない。そう焦らずとも自然と眠れるさ」
「そういうあなたは?」
「俺は夜行性みたいなものだから。朝方に少し眠れればそれで十分だ」
「羨ましい限りです」
そう言ってソレイユは微笑みを浮かべる。ずっと気を張っていた影響か、笑い方がいつもよりもがぎこちない。
「ねえ、ニュクス。今から独り言を呟いてもいいですか? 独り言ですので、もちろん聞き届ける義務なんてありません」
「独り言に許可がいるのかい?」
素っ気ない態度で肩を竦め、ニュクスはわざとらしくソレイユに対して背中を向けた。独り言と前置きするくらいだ。きっとソレイユは表情を見られたくたないはずだから。
「あなたとの契約を忘れたことは一度たりともありません。ですが、今回ばかりはそこまでの余裕が持てないのです。私だって一人の人間。故郷の危機に平常心では臨めません。ルミエール領での戦いを前に、余計なことに気を取られたくないというのが正直な気持ち。あなたにとっての好機なのは百も承知ですが、出来ることなら今回の戦の間は余計な動きはしないでいただきたい。作戦の中で、あなたという戦力は重要な要素の一つですから」
ソレイユ・ルミエールともあろうものが、暗殺者に対して活動の自粛を提案する。あまりにもらしくない。それだけ今回の作戦を前に彼女の心境に余裕がないということだ。
ニュクスとて決してそのことを茶化そうとは思わない。自身だって迷いの中に立っている。人の事なんて言えない。
「……事が済んだ後でしたら、またいつでも私の命を狙って頂いても構いません。望むなら二人きりになる時間を作ってもいい。だからどうか、此度の戦の間だけは、私の戦力で有り続けてください……大きな独り言で申し訳ありません」
振り向いた先にニュクスの姿は無かったが、言い終える瞬間までは確かに背後に気配を感じていた。聞き届ける義理など無かったはずなのに、ニュクスは律儀にソレイユの言葉を全てを聞き終えてからこの場を立ち去ったのだ。
無情に言葉を遮ることはなく、ソレイユの思いの丈を全て受け止めた。その上でニュクスがどのような答えを出すのか。それはニュクス本人にしか分からない。
「……非情なふりをして、優しい人ですね」
今度こそ本物の独り言を呟くと、ソレイユも静かに自分の客室へと戻っていった。存分に戦うためにも休息は必要だ。感情が高ぶっており眠れる自信はあまりないが、ニュクスの言うように、起きていればいつかは眠れるはずだろう。
明日はいよいよルミエール領に向けて出発だ。
到着は二日後を予定。ソレイユ率いる先遣隊の到着と教団の大規模な侵攻。どちらがリアンの町に及ぶのが先か、時間との勝負だ。
いずれにせよ、ルミエール領到着後にはこれまで経験したことのない激戦が繰り広げられることだろう。まさか睡眠不足を理由に全力が出せないなどという失態を演じるわけにはいかない。
死線の幕開けは、もうすぐそこまで迫っている。
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