第8話 ソール

 ――俎板まないたを叩く音?


 目を覚ましたカメリアの耳に最初に飛び込んできたのは、キッチンの方から微かに聞こえてきた調理音であった。

 上体を起こし、重たいまぶたを擦る。少しずつ意識と視覚を覚醒させていき、キッチンの方へと視線を向けると、


「お兄さま。もう少し眠っていてもよかったのに」


 野菜を切る手を止め、妹のソールが微笑みを浮かべてカメリアの方へと振り返る。屋敷での給仕中ではないので、今はメイド服ではなく、私服の白いブラウスと紺色のロングスカートの上に、黒いエプロンを身に着けている。朱色の髪は、濃紺のうこんの三角巾でまとめていた。


「……ソール、どうしてここに。屋敷に詰めていたんじゃ?」

「少しは体を休めなさいと、執事長様が帰宅を勧めてくださいまして」


 此度の侵攻を受けて、ソールら屋敷の使用人たちも忙しくなく動き回っている

 騎士達をサポートすべく、昼夜を問わず彼らの寝食を整え、負傷者が出た際は医師と連携して迅速に措置。物資不足に陥りつつある町の住民への配給や、不足気味の包帯を補うべく、屋敷の備品である敷布等の切り出し作業等、連日の活動内容は多岐に渡っている。

 最前線で戦う騎士達が最大限の力を発揮出来ているのも、ソールら屋敷の使用人達のサポートあってこその部分も大きい。


「お食事は栄養満点のシチューにしました。今は付け合わせにサラダを作っているところです」

「良い匂いだ。ソールの料理の腕は天下一品だからね」

「褒めすぎですよ。だけど、お兄さまに褒めて頂けるのは、素直に嬉しいです」


 頬を紅潮こうちょうさせながらも手早く野菜を切りそろえると、ソールは木製の器にサラダを盛り付けテーブルへと運ぶ。

 首を鳴らしながらベッドから立ち上がったカメリアが、静かに食卓へと着席した。


「こちらのパンは、宿屋のパメラさんが分けてくださいました。こちらのチーズはご近所のジェシカさんから」


 ルミエール邸から自宅へ戻る際に、ソールは町の人達から幾つか食料品のおすそ分けを受けていた。アマルティア教団の侵攻によって、流通網である街道は事実上の閉鎖状態。収穫期を迎えていた農園も大きな被害を受けている。徐々に物資が不足してきている現状、食料品は貴重だ。


「物資の調達もままならない時期に、何だか申し訳ないな」

「状況は厳しいけど、こうして町が戦場にならずに済んでいるのは騎士様たちのおかげだから、せめて食事くらいは、栄養のある物をお腹いっぱい食べてもらいたいからと、皆さん笑顔で食料品を分けてくださいました」

「……そうか。皆の思いに応えるためにも、絶対に負けられないな」


 領民たちの心遣いを知り、カメリアが俯きがちに目頭を押さえていた。

 先の見えぬ戦いに身を投じる疲労感の影響もあり、カメリアは柄にもなく、いつもよりも感傷的であった。

 領民たちの思いを無駄にしてはいけない。彼らのためにもこの戦に絶対に勝利しなくてはいけない。受けた好意を血肉へと変え、これからの戦いに備えよう。食べれる時に食べ、休める時に休む。カメリアは一口一口をしっかりと味わい、ソールの手作りシチューや住民達が分けてくれた食べ物を残さず平らげていった。


「ソールのことも、町の人達のことも、僕が、僕達が絶対に守ってみせるからね」

「……お兄さま」

藍閃らんせん騎士団の一員として、ルミエールの戦士として、僕は最期の瞬間まで戦い続ける」

「……厳しい戦いであることは分かっています。ですが、最期だなんて言わないでください。私、お兄さまのいない人生なんて考えれません」

「……ソール」


 戦況は決して芳しくない。増援でも到着しない限り、状況の好転は見込めぬだろう。

 藍閃騎士団の疲労は日増しに蓄積されていく一方だ。アマルティア教団側が本格的な侵攻再開に踏み切ったなら、第一波以上の被害が生じることは間違いない。感情だけではどうにもならないこともある。そこが自分の死に場所になる可能性が高いと、カメリアはそう考えていた。


 気休めなど言うべきではないと分かっている。

 それでも、この世界で一番大切な人が、たった一人の肉親が優しい言葉を求めている。理性を感情が上回り、自然と言葉を発していた。


「僕は死なないよ。何度戦場に向かおうと、絶対にソールの下へ帰って来る」


 優しく微笑むと、カメリアは幼子を宥めるかのように、涙を浮かべるソールを優しく抱き留め、朱色の髪を撫でてやった。

 戦場に立つ以上、死なない保証なんてどこにもない。激戦が確定しているのなら猶の事だ。それでも、大切な人が死なないでと言ってくれた以上、死ぬわけにはいかないだろう。

 ソールも町の人達も、故郷であるルミエール領も。全てを守り抜いた上で、自分自身も死に物狂いで生き残って見せると、カメリアは強く己の心に誓った。

 騎士であった父はある戦場で魔物に敗れ散った。母はその数年後に、流行り病でこの世を去った。ソールにはもうカメリアしかいない。


 これ以上、肉親を喪う悲しみをソールに背負わせるわけにはいかないから。


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