第59話 混沌は加速する

「おや、買い物帰りですか」

「ちょいと画材の調達にな」


 8日後。ビーンシュトック邸の正門前で、買い物帰りだったニュクスと、散歩に出ようとしてたソレイユが鉢合わせした。私兵が全滅した影響で新たな門番はまだ配属されておらず、今この場にいるのはニュクスとソレイユの二人だけだ。

 この日は連合軍からの招集もなく一日を通しての休日。それぞれが思い思いに予定を過ごしている。二人も私服姿で、ニュクスはルミエール領でもよく身に着けていた、刺繍ししゅうの施された浅葱あさぎ色のプルオーバーにベージュのコットンパンツ。ソレイユは花柄の刺繍が施された薄紅色のブラウスを、黒いフリルスカートにインしたスタイルだ。

 事件以降も、一行は変わらずビーンシュトック邸に宿を借りている。あのような事態となり、リュリュも一時期は疲労を隠しきれない様子だったが、気心知れたソレイユと同じ屋根の下で生活していることもあり、現在は随分と落ち着いている。


「今日も他国の軍隊が連合軍に参加すべく王都へ到着したようだ。町の方は歓迎ムードでえらい盛り上がりようだった」

「今日到着予定といえば、西のフォンタイン王国所属の騎士団ですね。アイゼン・リッターオルデンを筆頭に、連合軍へと参加する他国の軍も大分増えてきましたね。連合軍もいよいよ多国籍軍としての様相を強めてきました」

「歓迎ムードなのは、レーブ王子の死を受けての怒りの感情も大きいんだろうな。他国の軍勢であろうとも、共にアマルティア教団の脅威に立ち向かう重要な戦力。レーブ王子の仇討ちのためにも、喜んで戦力を迎え入れようと、そういう意識が民衆に根付いている。王都へ到着した他国の軍人だって、歓迎されて悪い気はしないだろうしな。現在の展開を見越して、レーブ王子の死を、民衆の感情を奮い立たせるような絶妙な文面で公表した。フィエルテ王子の計算高さには恐れ入るよ」

「確かにフィエルテさんはとても計算高い方ですが、今回に限っては、レーブ君の死を無駄にはしたくないという強い思いもあったのだと思います。例え内容が真実とは異なっていようとも、レーブ君の死をいたみ、アマルティア教団への怒りをあおる一文は、計算云々を抜きに、フィエルテさん自身の率直な感情を書き記したような印象を受けましたから」


 ソレイユは門の鉄柵に背中を預け、鉄柵の方を向くニュクスは左手で柵を握り、横目にソレイユの表情を伺っている。私服姿の休日とはいえ、会話内容は国家情勢に関わる事柄。表情は自然と真剣みにあふれている。


「これからは教団との戦いもより激化する。あなたの力、頼りにしていますよ」

「無論、お嬢さんの力としての活躍は約束しよう。だが、忘れるなよ。教団との戦いが激化するということは、俺がお嬢さんを殺す理由がより強まったことでもあることを」


 情勢が激化すればするほど、重要戦力の一人であるソレイユ・ルミエールという人間の価値は高まっていくこととなる。当然、ソレイユの死がもたらす影響の大きさもだ。情勢的な意味でのソレイユ・ルミエール殺害の好機は、確実に近づいてきているといえる。

 

「あなたとの関係性を忘れたことなど一分、一秒たりともありませんよ。例え今この場で争いに発展しようとも、余裕で想定の範囲内です」

「流石に今は止めておくよ。今の俺は私服かつ丸腰だ」

「紙袋には、凶器になりそうな物もありそうですが?」

「画材を殺しに使うことは俺のポリシーに反する」

「一応聞いてみただけですよ。あなたのそういうところ、嫌いじゃないですよ」


 緊張感の終わりを告げるかのように、ソレイユがキュートな笑顔と共に、鉄柵から静かに背中を離した。


「私はこのまま散歩に出かけることにします。ニュクスは?」

「俺は久しぶりに絵に没頭させてもらうことにするよ。次はいつ時間が取れるか分からないからな」

「完成したら、後で見せてくださいね」

「気が向いたら――」

「ソレイユ様、大変です!」


 ニュクスが緩い返事をしようとした瞬間、血相を変えた一人の兵士が、息を切らしながらソレイユの下へと駆けつけてきた。腕章を見るに、王国騎士団所属の兵士のようだ。よほど急ぎの要件なのだろう。


 只ならぬ雰囲気に、その場に再び緊張感が満ちてくる。


「一体何事ですか?」

「先程、大陸全土で同時多発的に、アマルティア教団による侵攻が発生したとの一報が飛び込んでまいりました。アルカンシエル王国内でも複数個所で衝突が確認されており、その内の一ヶ所は――」


 兵士の表情で事態を悟ったソレイユは思わず息を呑んだ。

 アマルティア教団が先に発表した布告でも、大陸中のあらゆる土地が標的であると、早々に明言されている。その可能性は常にあった。


「――北部のルミエール領です」


 ニュクスがソレイユを殺すまでの間、血塗られた契約は続いていく。


 邪神の復活が危惧され、混沌を迎えようとしている世界で、英雄の血を引く少女と灰髪の暗殺者は、どのような運命を辿るのだろうか?




 第三章「悪意の螺旋」 了

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