第58話 歪に笑う

「……今日も街は平和そのものだ。レーブの死を公表した際の民衆の悲しみを想像すると、気が重いな」

「……隠し通すわけにもいきませんからね。こればかりは仕方がありません」


 フィエルテが実父と決別したのと同時刻、シエルとソレイユは、王国騎士団本部の屋上から王都を見渡していた。二人とも昨日中には傷の治療を終え、シエルも自由に動き回れる程度には回復していた。まだ先日の事件をおおやけにしていないこともあり、今現在、王都に目立った混乱は起こっていないが、公表予定の明日には一転、大きな混乱が発生することは必至だ。


「あれから、クリスタルさんはどうされていますか?」

「自死こそ思い留まってくれたが、今回の事件で心に一番大きな傷を負ったのはクリス姉さんだ。気丈には振る舞っているが、随分ずいぶんとやつれてしまっている。フィエルテ兄さんとも話し合った結果、心の傷を少しでもいやせるよう、ゆっくりと静養せいようしてもらうことにしたよ。この状況で姉さんが公務から外れることは痛いが、家族としてはやはり、姉さんの心の安寧あんねいを何よりも優先させたい」

「私も、クリスタルさんの回復を心から祈っております。友人のご家族だからというのはもちろんのこと、クリスタルさんは一人の政治家としてもとても優秀な方です。今後の王国の発展に、必要不可欠な存在でもありますから」


 亡き王妃に代わり、10代の頃から女性王族の代表として外交に尽力してきたクリスタル王女。時期国王である長兄ドゥマンの政権運営には、外交経験豊富なクリスタルの存在が必要だ。国の未来を思えばこそ、例え時間はかかったとしても、クリスタルにはまた政治の第一線へと帰ってきてもらいたい。


「ペルルはどうしていますか? 事件以降はまだ顔を合わせていないので気になっていました」

「我が妹ながら強い女性だよ。静養に入る姉さんの公務を代理で執り行うべく、今は引継ぎ作業にいそしんでいる。多忙さで悲しみを誤魔化している部分も多少はあるだろうが、意志の強い瞳を見るに、国のために全力を尽くそうとする思いはひしひしと伝わって来た」

「ペルルは繊細せんんさいに見えて、とてもしんの強い子ですからね」

「俺の妹で、お前の親友だからな」

「そのとおりです。親友として、私も誇らしいです」


 負傷と不眠の影響で少しだけやつれていたシエルが、この日初めて笑ってみせた。もやのかかった胸の内が澄んでいく。こうしてソレイユとゆっくり会話をする機会を設けて本当に良かった。シエルにとって、やはりソレイユは特別な存在なのだ。


「俺もペルルに負けてはいられないな。まだ傷が完全には塞がっていない故、今は書類仕事が中心だが、包帯が取れ次第、訓練を再開する予定だ。間もなく連合軍の活動も本格化する。中核を任される俺が、負傷を理由に腕をびつかせるわけにはいかないからな。訓練時にはソレイユにも付き合ってもらうぞ」

「喜んでお付き合いいたしますよ。今のままではまだ強さが足りない。私ももっと強くなりたい」


 大切なものを守るには、どこまでも強くなる必要がある。貪欲に強さを追い求める強い意志が無ければ、この先の難局を乗り切ることは難しいだろう。平和な未来を自分達の手で掴み取ることを誓い、二人の戦士は、闘志の宿る瞳を互いに見据みすえた。




「――以上が、今回私が見聞きした全ての事柄となります」

「……ふむ」


 アマルティア教団本部の執務室にて、カプノスからニュクスに関する報告を受けていたクルヴィ司祭は、微笑みを浮かべつつも、明確な不満の宿る嘆息たんそくらしていた。


「此度の暗殺任務の現場にソレイユ・ルミエールが居合わせたのは誤算だったな。まさかニュクスが暗殺部隊の同胞どうほうと相対する羽目になるとは……アントレーネの代わりはまだ利くが、ロディアが行方不明というのが痛い。あれだけの攻撃性を秘めた人材は、そう簡単に手に入るものではないからね」


 此度の任務は、クルヴィ司祭が直々に発案した暗殺計画である。現国王であるトルシュの命は風前の灯火。そのような状況下で、次世代を担う優秀な王子たちの命が失われたなら、アルカンシエル王国の混乱は必至。まだ幼いが、王位継承権を有するレーブを協力者として引き込むことで、将来的には王室の掌握しょうあくも想定していた。 

 無論、これは全てが上手くいった場合の想定だ。近衛騎士を筆頭した王族周辺の戦力を考えれば、教団の暗殺部隊といえども任務の完遂は厳しい。実質目標としては、王子を一人でも殺害出来れば良いとクルヴィ司祭は考えていた。協力者であるレーブも含めて、計二人の王子を殺害。その衝撃により発生する王国の混乱を考えれば、投入戦力すべてが刺し違えようともりがくるレベルだからだ。しかし、実際には暗殺目標であった王子は一人も殺せぬまま、内通者であったレーブただ一人が死に、その事実さえも第二王子のフィエルテの策に利用された始末。結果は大敗という他ない。


「ニュクスを糾弾しますか?」

「……ソレイユ・ルミエール殺害を何よりも優先しろと命じたのは他ならぬ私自身だ。しかし、此度の作戦失敗の一因いちいんがニュクスにあるのもまた事実」


 自身の立案した作戦が失敗することは、クルヴィ司祭にとっては許しがたい屈辱だ。

 ニュクスが暗殺部隊と遭遇したことは不幸な偶然だ。長年の実績も手伝い、この程度でニュクスを見限るような真似はしないが、貴重な戦力を失った直後ということもあり、ニュクスの存在が自身にとって有益なのか否かを、一度見極める機会を設ける必要があるとクルヴィ司祭は考えていた。


「彼のことは信頼しているが、その信頼をより強固とするため、一度彼の非情さを試す必要があるかもしれないね。直近にちょうどいい機会もある」


 目元にえつを、口元に狂気を浮かべ、クルヴィ司祭はいびつに笑う。


「正規部隊の例の作戦。飛び入りだが私も参加させてもらうこととしよう」


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