第50話 あなたのようになりたかった

「腕を上げたなアントレーネ。昔は力不足でナイフの扱いに苦慮くりょしてたってのに」

「黙れ。昔話なんてしたくない」


 剣戟けんげきいろどる皮肉の応酬おうしゅう。アントレーネは邪魔だと言わんばかりに被っていたキャスケットを投げ捨て、髪を振り乱しながら、侮蔑ぶべつの念を刃に込めて斬りかかっていく。


「感情的になるなんて、アサシンとして失格だろ」

「任務ならばそうだがこれは私闘しとうだ。私情を持ち込んで何が悪いんです」

「なるほど、一理ある」


 アントレーネはニュクスを慕ってくれた後輩で、ロディアを除けば最も親しくしていた人間の一人だ。しかし、慈悲をかけようとなどという感慨はまるで浮かんで来ない。殺人者としての意識は、目の前の青年を殺めるべく標的と完全に認識している。


 ニュクスは左のハルペーの一撃をバックステップで回避すると、渾身の二刀で右手のスクラマサクスを手元から弾き飛ばしてやった。アントレーネは焦らずハルペーで牽制しつつククリナイフの届かぬ距離を取り、利き手である右にハルペーを持ち替え、腰に帯剣していた新たな得物を左手で抜いた。左手に装備したのは手を守る大きなガードが付いた短剣マインゴーシュ。補助用の武器として盾代わりとしても使用可能だ。二刀を使っての攻撃力ではニュクスに分がある。ならば片手は完全に防御に回し、切断力のあるハルペーを利き腕で使用し一撃を狙おうとアントレーネは考えていた。


「マインゴーシュか。実戦で相手するのは初めてだな」


 ニュクスの高速の二刀をアントレーネはマインゴーシュのガードで受け流し、即座にハルペーで薙いだ。刀身はニュクスの胸部を微かに掠め、薄い赤い線を引いたが、ニュクスはまったく意に介さず冷静に反応を返している。


「……『英雄殺しのニュクス』に憧れ、攻撃的な二刀流を極めようと努力してきましたが、どうしても彼の域にまで達することは出来なかった。ならば、私なりの二刀流で肩を並べるしかない」


 目の前にいる男は「英雄殺しのニュクス」ではない。そう自分に言い聞かせているからこそ、本人が目の前にいるにも関わらずアントレーネは「彼」という表現を用いている。しかしその一方で敬語が完全に抜けきっていない。葛藤していることは明らかだ。


「昔からお前は様々な短剣を組み合わせた多種多様な二刀流を研究していたな。中でもお前が最も得意としたが、攻撃的なハルペーと防御力の高いマインゴーシュとの組み合わせだったか」

「……いつか『英雄殺しのニュクス』と肩を並べて、私の編み出したこの剣技で共に任務を果たしたかった」

「皮肉なものだな。こうしてお互いに刃を交えることになるとは」


 問答の最中にも激しい剣戟は続く。アントレーネがニュクスのククリナイフをマインゴーシュのガードで弾くと同時に、その刀身で刺突し左肩を貫いた。


「どうして毒を使わない?」

「実力だけで倒さなくては意味がない」

「そうか――」


 刀身が抜かれた瞬間にはニュクスが反撃。投擲とうてき用のダガーナイフを右手で抜き、アントレーネの左腕へと突き刺した。


「……どうして変わってしまったんです」

「俺自身にもよく分からないが、お前の言う通り腑抜ふぬけたのかもしれないな。確実に昔よりも弱くなってしまった気がしている。無論、アサシンとしての矜持きょうじを忘れたことは一度たりともないがな」


 自嘲じちょう気味に苦笑しながらニュクスはククリナイフで切り上げ、アントレーネのハルペーを頭上へと弾き上げた。回収は間に合わない。アントレーネはマインゴーシュのガードで追撃を防ぎつつ、背に携帯していたククリナイフを右手で抜いた。


「……ふざけたことを言わないでください」


 悲哀に満ちた表情でアントレーネがククリナイフで斬りかかるも、ニュクスの二刀を前に有効打を与えることが出来ぬまま、悪戯いたずらに体力だけを消耗していく。アントレーネが手練れとはいえ、ククリナイフの扱いではニュクスの方が遥かに上。慣れた武器故に、独特な形状のハルペーやマインゴーシュと比べたら対処も容易だ。


「……弱くなってしまったなんて言わないでくださいよ。そんなあなたにさえも敵わないなんて私は!」


 アントレーネが荒々しく振り下ろしして来たククリナイフがニュクスの胸部を袈裟切りしたが、間合いを読んでいたニュクスは衣服だけが裂ける擦れ擦れの距離感で刀身を回避した。ニュクスはすかさずククリナイフで薙ぐ。アントレーネはマインゴーシュのガードで一撃を防いだが、強烈な圧にバランスを崩され二刀目への対処が追いつかない。防御手段を奪うべく、ニュクスは左のククリナイフでアントレーネのマインゴーシュを手首ごと斬り落とした。


「どうしてあなたは!」


 手首を落とされても怯まず、アントレーネは気迫だけで右のククリナイフで力強くニュクスへ斬りかかった。その瞬間だけは、ニュクスの意識をも上回る攻撃速度を発揮していた。


 覚悟の一撃はニュクスの胸部をしっかりと捉え、出血を伴う裂傷を刻み込んだ。


「今の一撃は見事だった」


 痛みには決して怯まず、ニュクスは即座に二刀のククリナイフをクロスさせ、アントレーネの胸部を深く切り裂いた。致命傷を負ったアントレーネはその場に崩れ落ちる。


「……なあ、アントレーネ。お前はどうして『英雄殺しのニュクス』に憧れを抱いたんだ?」


 仰向けに倒れ込み、血だまりを広げていくアントレーネの顔をニュクスは覗き込む。「俺」ではなく「英雄殺しのニュクス」にと表現したのは、ニュクスなりの優しさであろう。アントレーネに対しては他のアサシンと違い、親しみを感じていたのは紛れもない事実だ。


「……私が教団に所属するよりも前、あなたは初任務で単身一つの盗賊団を壊滅させたと聞きました……その盗賊団は、私が孤児となるきっかけを作った、家族のかたきです」

「初耳だ。俺と同じか」

「……このことを知っているのは、私とクルヴィ司祭だけでしたから……いつかあなたと肩を並べられる日が来たなら、感謝を込めてこの事実を伝えようと考えていました……あなたは私の憧れだった。無力な私に代わり仇を取ってくれた英雄だった……あなたのように……なりたかった」

「……俺はそんな高尚こうしょうな人間じゃない。俺は英雄ではなく、『英雄殺し』だからな」


 アントレーネは沈痛な面持ちで目を伏せた後、急き込むと同時に吐血した。


「……だったら、最後まで『英雄殺し』でいてくださいよ」

「無論そのつもりだ。『英雄殺し』はただの二つ名ではなく、俺にとっては最早生き方そのもの。もちろん、ソレイユ・ルミエールだって」

「……それを聞いて……少しだけ安心……しまし……た……」


 消え入るような声ながら、アントレーネの表情は穏やかだ。眼差しも、憧れの人に対する敬愛の情へと戻っている。


「……『英雄殺しのニュクス』の……生きざま……地獄から……見物さ……せて……いただき――」


 最後まで言い終えぬまま、アントレーネは出血多量で息絶えた。満足気に口元に笑みを浮かべた死に顔は、壮絶な戦いぶりを感じさせない穏やかなものだ。


「……憧れに感情を左右される純粋さ。お前は本来、アサシン向きの人間じゃなかったのかもしれないな」


 廊下の片隅に落ちていたアントレーネのキャスケットを拾い上げ、ニュクスは手向けとして、アントレーネの安らかな死に顔の上に被せてやった。


「じゃあな。アントレーネ」


 一度も振り返らぬまま、ニュクスはロディアとソレイユを追って窓の外へと飛び出した。

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