第36話 貧乏くじ

「……外れを引いてしまうなんて、ついてないわ」

「急いでいるの。投降して素直に道をお開けなさい。さもなくば、あなたは今この場で死ぬことになる」


 ペルル王女らのいる別館の地下書庫を目指していたコゼットは、本館と別館とを繋ぐ渡り廊下で暗殺者の待ち伏せを受けていた。彼らの言うとところの貧乏くじを引いたのは、美麗びれいなシエルとの対面を望んでいた嗜虐しぎゃく趣味のピトレスだ。男の顔を溶かす行為に興奮を覚えるピトレスにとって、同性であるコゼットは外れ中の外れ。理不尽に苛立ち、コゼットへの殺意を剥き出しにしている。


「急いでいるはこっちの台詞よ。さっさとあなたを殺して、シエル王子の下へ向かわせてもらうわ。綺麗な顔を溶かしてあげたくてうずうずしているの」

「……シエル様の顔を溶かす?」


 それまでは投降とうこうを促し、穏健な態度を取っていたコゼットの眼光が、凍てつくような殺意を宿す。目の前のぞくは大切な主君の顔を溶かすなどという不敬ふけいを吐いた。今この場で重い罰を与えてやらねばいけない。


「決めました。あなたは今この場で処刑します」


 どのみち地下書庫へ向かうにはこの渡り廊下を抜ける他ない。不敬と合わせて殺す理由は十分すぎる。


「それはこっちの台詞よ。近衛騎士だが何だか知らないけど、さっさと死にな――」


 ピトレスはスカートの中に仕込んでいた麻痺まひばりを、コゼット目掛けて瞬時に10本抜き放った。


「ラーミナ」


 コゼットが詠唱えいしょう破棄はきで魔術を発動し、体の周辺に発生した無数の斬撃が麻痺針を一本残らず叩き落とした。

 近衛騎士のコゼットが魔術騎士であることは周知の事実。この程度の対応はピトレスにとっても想定の範囲内だ。


「魔術騎士ってのは厄介ね。あんたのことがますます嫌いになったわ」

「グロブス」


 ピトレスは太腿ふとももに携帯していたダガーを抜き、コゼット目掛けて一気に迫る。コゼットは光弾を発射する魔術グロブスで牽制けんせいするも、ピトレスは素早い動きで全ての光弾を避け切った。詠唱破棄とはいえ、術名を発するまでの間に微かな時間が生じる。接近戦に持ち込めば分があるとピトレスは考えていた。出し惜しみをしないピトレスのダガーには暗殺部隊特製の秘毒が常に塗られており、一撃でも傷を与えればその瞬間に勝敗は決する。

 しかし、王子の近衛騎士を任される程の逸材が、接近を許しただけで形勢不利となるはずもない。コゼット・ジャルカエフは魔術騎士――魔術と武術の両立を果たしてこその称号だ。

 

「浅はかですね。接近戦ならば分があるとでも?」


 コゼットは腰に帯剣していた波打つ刀身が特徴的な短剣――クリスダガーを抜き、曲面を活かしてピトレスの毒刃を華麗に受け流していく。背には愛用の長剣――フランベルジェも装備しているが、空間の狭い渡り廊下内では取り回しの利く短剣の方が扱いやすい。


「むかつく女」

「お互い様ですよ」


 刃と刃とが、再度接触を果たした瞬間それは起こった。


「えっ?」


 ピトレスのダガーの刀身が、バターを裂くかのようにあっさりと真ん中で両断された。たった二度の接触でダガーが限界を迎え、こんなにも鮮やかに両断されることなどまず有り得ない。


「熱?」


 ダガーの持ち手が微かに熱を帯び、切断面が焼けていた。

 ダガーは断ち切られたのではない。焼き切られたのだ。


「何をした?」

「答える義理はありません」


 冷笑を浮かべるコゼットの握るクリスナイフの刀身は、発熱によって刀身全体が赤くなっていた。魔術騎士は接近戦もたしなむが、接近戦にもまた魔術的な要素を組み込むことが多い。あらゆる物を焼き切る灼熱しゃくねつの刀身は、短剣らしからぬ破壊力を発揮する。


「おのれ!」


 まともに接近戦を続ければ武器がいくつあっても足りない。ピトレスは牽制として麻痺針を投擲とうてきしつつ、バックステップで再度コゼットから距離を取った。


「一発でも当てれば私の勝ちだ。さっさと死ね、糞女!」


 感情的に声を張り上げ、ピトレスは体中に仕込んでいた10数本の毒針をコゼット目掛けて我武者羅がむしゃらに投げ放つ。全ての針に秘毒が塗ってある。一撃掠めただけで死は確定だ。


「冷静さを欠くとは愚かですね――ラーミナ」


 コゼットが無数の針を叩き落とすべく、再びラーミナの斬撃で身を守った瞬間、ピトレスは勝利を確信して口元に笑みを浮かべた。取り乱した様さえも、相手の油断を誘うための芝居。攻撃の本命は無数の毒針などではない。

 ラーミナの斬撃を発動中のコゼットの顔付近目掛けて、ピトレスは液体の入った手のひらサイズの瓶を投げつけた。瓶の中身は警備の兵士の顔を溶かしたのと同様の液体だ。斬撃で瓶が割れれば、至近距離で強酸性の液体が降り注ぐこととなる。いかに斬撃といえども、液体全てを払うことなど不可能のはずだ。


「溶けろ!」


 瓶が斬撃へと接触し、液体がコゼット目掛けてぶちまけれた瞬間、ピトレスが狂喜乱舞したが、


「シトゥルス」

「えっ?」


 コゼットは冷静に魔術を発動し、顔面に降り注ぐと思われた強酸性の液体は瞬時に空中で静止、次の瞬間には意志を持ったかのように一か所へと集合し、コンパクトな球体へと姿を変えた。


「フーニス」

「があっ!」


 理解の追いつかぬピトレスが一瞬呆けていた隙を見逃さず、コゼットが敵兵の捕縛ほばくに利用する魔術フーニスを発動。ピトレスは見えないなわに両手両足を拘束され、その場に転倒して頭部を打った。詠唱破棄ゆえに本来は戦闘時の拘束は難しいが、よっぽど不意打ちの失敗に衝撃を受けていたのか、精神的な意味でつけ入る隙は十分であった。


「……私の毒液を防ぐなんて、そんな魔術は知らないぞ」


 拘束され地に伏すピトレスが、憤怒ふんどの形相で睨みを効かせる。

 滑稽こっけいでしかないそんな姿に、コゼットの表情は終始冷ややかだ。


「別に大した魔術ではありません。水汲みなどに利用する生活レベルの魔術です。水に限らず、あらゆる液体を固定し、手を触れずとも自由に運ぶことが出来る便利な魔術なんですよ」

「痛っ」

「フーニス」


 拘束され、うつ伏せとなっていたピトレスの体を、コゼットはゴミのように蹴り飛ばして無理やり仰向けにさせた。追加でフーニスの魔術を発動し、より厳重に、一切の身動きとが取れないようにピトレスをその場に完全に固定する。


「シエル様に対する不敬。絶対に許しません」

「な、何を……」


 高圧的にピトレスの焦り顔を見下ろし、コゼットは空中に固定していた強酸性の液体を呼び寄せ、ピトレスの顔の真上で静止させた。


「詠唱破棄なので効果の持続時間が短いんです。ものの十数秒で、球体は元の液体へと戻ることでしょう」

「や、止め……それだけは……」

「何を恐れる必要があるんですか? 顔を溶かすのがお好きなのでしょう?」

「拘束を解きなさい! 早く!」


 ピトレスは大粒の涙を浮かべ、顔面蒼白で脂汗を浮かべている。必死の懇願を受けてもコゼットは冷笑を浮かべるのみだ。


「先を急ぎますので私はこれで」

「待っ!」


 今はペルル王女たちの保護へ向かっている途中。慈悲深く止めを刺す義理も、愚かな侵入者の因果応報な死に様を見届ける余裕もない。コゼットは無情にもその場を足早に後にした。


「覚えてろ糞女! いつかお前をお前……嫌、駄目、まだ駄目……やめ、落ち――あぐああえはああああああああぁぁぁ――ぎゃぎあああああああ――」


 渡り廊下を通過したコゼットの姿が別館へと消えると同時に、ピトレスの顔面に大量の強酸性の液体が降り注いだ。

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