第34話 乙女である前に戦士

「こんなに穏やかな夜を過ごすのは久しぶりだ。お前と一緒だからかもしれないな」

「立場上、気苦労も絶えないでしょう。私などで良ければいつでも話し相手になりますよ」


 月明かりの差し込むビーンシュトック邸の庭園内で、シエルとソレイユは木製のベンチで肩を並べていた。当初は姉弟きょうだい弟子でし同士、久しぶりに手合わせでもしようかという話になったのだが、静かで美しい夜には手合わせよりも語らいの方が相応しいと考え直し、思い出話に花を咲かせていた。


「不思議なものだ。昨日再会するまで久しく顔を合わせていなかったはずなのに、お前との間にはまったく距離感を感じない。昔のように気さくに接せる」

「私もですよ。お互いに外見や精神的に成長しても、根っこの方まではそう簡単に変わりません。幼馴染として共に過ごした時間は、今でも昨日のことのように思い出せます」

「幼馴染か……」

「シエル?」


 熱血漢でいつも真っ直ぐなシエルが、珍しくソレイユの前でうれいを帯びた表情など浮かべている。一瞬気疲れのせいかとも思うが、シエルの性格なら決してそれをおもてに出しはしないだろう。


「なあソレイユ、お前幾つになった?」

「17歳ですよ。シエルの2歳下ですからね」

「そうか。貴族の子女として、縁談の一つや二つ持ち上がってもおかしくはない年齢だな」

「どうしたんですか、急に?」

「ふと気になったんだ。お前はその……女性としての幸せというものについてどう考えているだろうかとな。もしや、すでに縁談の話も来ているのではないか?」


 不躾ぶしつけかと思い、王都滞在中のフォルスに直接確かめることは出来なかったが、一部の貴族がフォルスに対してソレイユとの見合いを持ち掛けたという噂を聞いていた。一人の男性として、その件について気になっていた。


「いえ、特に縁談の話などは聞いておりませんが?」

「そ、そうか」


 縁談の話はフォルスの位置で止めてあるので、その件についてソレイユは何も知らない。突然何を言い出すのだろうと、困惑気味に小首を傾げていた。


「女性としての幸せについては、今はあまり考える余裕がありません。もちろん人並みに憧れはありますが、此度の大陸の動乱を鎮めるまでは、それどころでないというのが正直なところです。大勢の人達の幸せを守るためにも今は戦うのみ。私は乙女である前に戦士ですから」

「乙女である前に戦士か。お前らしい力強い言葉だな」


 乙女である前に戦士であろうとする。ソレイユのそういうところにシエルは強く惹かれていた。これが恋慕れんぼの情であることはシエルも自覚しているが、一方で心の内には、一人の気高い戦士に対する尊敬と憧れの念も混在していた。思いを告げることは、きっと戦士としてのソレイユには重荷となる。有事の今なら尚更だ。言い訳のようにも聞こえるだろうが、そう思うと、シエルはどうしても自分の気持ちを素直に伝えられずいた。

 王子として、一人の騎士として、重役に就きながらもまだ10代の青年。年相応に繊細せんさいな部分もある。


「そういうシエルの方こそ、浮いた話はないんですか?」

「お前と同じだよ。此度の動乱を終結するまでは、平和を守ることだけに心血を注いでいく所存だ。色恋に走るのは全てが終わってからだな」


 これは自分自身に言い聞かせた言葉でもある。再び大陸に平和が戻り、ソレイユが一人の乙女として心穏やかに過ごせる時がやってきたなら、その時こそ自身の思いを伝えようとシエルは決めていた。物事には優先順位がある。今は何よりも平和のために戦うべき時だ。


「思いを寄せる人が?」

「お前にはいずれ教えるよ」

「分かりました。その時を楽しみにしています――」


 微笑みを返しながら、ソレイユが不意にベンチから立ち上がる。


「どこへ行く?」

「御手洗いですよ。女性に言わせないでください」

「……すまん。相変わらず俺はガサツでいかんな」

「まったく」


 苦笑しながら庭園内を後にしたソレイユの背中を、シエルは気まずそうに見送った。


「本当に綺麗になったな……」


 一人庭園へ残され、シエルは思わず感嘆かんたんを漏らしていた。

 昨日再会した時はもちろんのこと、月明かりに照らされていた今宵こよいのソレイユはこれまでで一番美しく見えた。体つきもすっかりと大人びてきており、少女から女性への成長を感じさせる。内面の美しさと相まって、外見がより魅力的に見えている部分もあるだろう。

 一国の王子として、美しい女性貴族と顔を合わせる機会も多いが、決してソレイユ以外の女性に興味を抱いたことなどない。初恋以来、シエルはソレイユに対してずっと一途いちずだ。


「……無粋の極みだな」


 不機嫌そうに目を伏せたシエルは、愛用のサーベルを手にベンチから静かに立ち上がった。招かれざる客とはいえ、何もこんなにも穏やかな夜に現れることはないだろう。


「何者だ?」


 庭園へと侵入したぞくの存在に、シエルはいち早く勘づいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る