第32話 私だけのもの

「暗殺者としての彼女の名は『ロディア』に決まったよ。儚くも美しい彼女にピッタリの名だ」


 娼館しょうかん惨劇さんげきから半年後。ニュクスはクルヴィ司祭の執務室にて、暗殺者としての訓練課程を終えた少女――ロディアについて聞かされていた。彼女は現在、初任務のため教団本部を離れている。

 行く宛てがなく、唯一残された大切な人、ニュクスが暗殺者であるからといって、何もロディアまで暗殺者の道を歩む必要はない。決して誰かが彼女にその道を進めたわけではない。ニュクスはもちろん、クルヴィ司祭とて彼女を勧誘するような真似はしなかった。暗殺者となる道を選んだのは他ならぬロディア自身だ。

 二人が離れ離れとなった後にニュクスの身に起きたこと。暗殺者となった理由やロディアの救出へと向かった経緯。全ての事情を知ったロディアは自らも教団の暗殺者となると言い出した。当然ニュクスは反対したがロディアの意志は固く、彼女の初任務の日を迎えてしまった。

 彼女が暗殺者を志した理由は大きく二つ。一つは大好きなニュクスと同じ仕事をすることで一緒にいられる時間を少しでも長くするため。そしてもう一つは、殺し続けることで精神の安定を保つため。

 あの後、クルヴィ司祭の計らいでニュクスには暇が与えられ、ロディアと二人で過ごすことを許された。その日々の中でニュクスはロディアに心の平穏が訪れるように努力したが、結局それが叶うことはなかった。殺人の一線を越えさせてしまった代償は、想像以上に高くついたということだ。

 殺人に目覚めた故か、ロディアの暗殺者としての適性も素晴らしいものだった。総合的にはニュクスに劣るが、武器を手にした際の攻撃性は凄まじく、とても尖った凶器となりえる可能性を秘めている。虫一匹殺せなそうな可憐な容姿もまた、油断を誘うという意味で暗殺者向きだ。


「彼女の初めての暗殺対象は何者ですか?」

「気になるかね?」

「はい。あの子ことなら何でも」

「ある奴隷商だよ。彼女にとっても因縁深いね」

「それはもしや、娼館に買われる前の?」

「想像通りだよ。その奴隷商は我がアマルティア教団にとって少々不利益な人間でね。どうせ消すのなら、因縁深い彼女にやらせてあげようかと思ってね」

「あの子のことだ。きっと一瞬で仕事を終わらせてくるでしょう。因縁の相手である必要さえ無かったかもしれない」

「確かにそうかもしれない。彼女はすでに一線を越えた身。それは狂気をはらんだあの目を見ても明らかだ。いまさら殺しに対する迷いなど皆無か」

「……元は普通の女の子でした。あんな目が出来るような子じゃ」

「彼女の事情については聞き及んでいる。あの娼館の環境は劣悪だったそうだ。彼女の語る言葉以上に、酷い思いをたくさんしてきたのだろうね」

「……」


 ようやく一緒にいられるようになったのに、今まで以上に少女が遠くに行ってしまったような気がしていた。昔からよく知る心優しい少女は、狂気を宿す暗殺者へと変貌へんぼうしてしまった。狂気的な笑みではなく、自然で純粋な笑顔を再び見られる日はやってくるのだろうか?


 うれいを帯びたニュクスの表情を見て、クルヴィ司祭が一つの不安を口にした。


「君は続けられそうかい?」

「もちろんです。あなたには返し切れない恩があるし、あの子の、ロディアの居場所もここだ。俺がここを離れる理由はありません」


 ニュクスの即答にクルヴィ司祭は嬉しそうに頷く。


「それを聞いて安心したよ。今後君には、色々と重要な任務を任せようと考えていてね」

「重要な任務ですか?」

「英雄殺しだよ」

「英雄殺し?」

「詳細は追って知らせるが、君ならばきっと私の期待に応えてくれるはずだよ。英雄殺しのニュクス」


 早々に二つ名を口にしたクルヴィ司祭の発言には、圧倒的な自信が垣間見えた。それはまるで未来を確信しているかのようでもある。


 後のニュクスの活躍を考えれば、司祭の自信は決して過剰なものではなかったといえるだろう。「英雄殺し」の名を与えられた灰髪の暗殺者はその名の通り、後に数々の英雄達の命を奪っていくこととなる。




「とてもお上手ですね。ロディアの似顔絵ですか」

「アントレーネか」


 私的な時間にニュクスが広げていた絵を、たまたまその場に居合わせていた同胞どうほうのアントレーネが覗き込んできた。アントレーネはニュクスの後輩にあたり、アントレーネは暗殺者としてのニュクスをとても尊敬していた。


「ロディアってこんなに晴れやかに笑うこともあるんですね。彼女の笑い方は何だか怖いから、こんな表情は少し意外です。昔馴染みのニュクスさんの前だからですか?」

「いや。暗殺者となってからのロディアは、こんなに無垢むくな笑顔を浮かべたことはない。昔はこんな風に笑ってくれたんだけどな」

「それじゃあ、この絵は?」

「俺の想像、いや理想といった方が正確かな。今のロディアの姿をベースに、昔のように笑わせてみた……絵でだけどな」

「ニュクスさん?」

「もうこの頃のロディアはいない。こんな風に笑ってくれるロディアはいないんだ」


 〇〇〇


「……酷いよ……酷いよ」


 王都の外れの鐘楼しょうろうかげで、裸の上半身にノースリーブの黒いブラウスを羽織ったロディアが泣きじゃくっていた。その場にはすでにニュクスの姿はない。

 ロディアが行為に及ぼうとした直後、ニュクスは謝罪を口にして即座にこの場を離れてしまった。向かった方角からして、間もなく暗殺作戦が開始されるであろうビーンシュトック邸へ戻ったことは間違いない。

 自身の暗殺対象であるソレイユに危害が及ぶことを恐れたのだろうが、それはロディアからしたら面白くない話だ。ニュクスの頭の中ではソレイユ・ルミエールが大きな存在感を発揮していると、これで証明されてしまったのだから。


「ソレイユ・ルミエール……私が殺しちゃおうか」


 ニュクスは自身の獲物に手を出されることを嫌う。例え同胞であろうとも、その領域に踏み込めば容赦なく切り伏せる程に。しかし、ロディアの場合は事情が異なる。ロディアはニュクスが暗殺者となった理由であり、お互いにお互いが大事な居場所――心の拠り所でもある。いかにニュクスといえどもそんなロディアを傷つけることは出来ない。

 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。始めからこうすれば良かった。自分の手でソレイユを殺せば、ニュクスは任務から解放されロディアの下へと帰って来てくれる。


 ソレイユ殺害を決意したロディアは、心底楽しそうに瞳を狂気に光らせている。


「あの人は私だけのもの」

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