第31話 歪

「……悪趣味なあの男にね、たくさん酷いことをされたの。よっぽど私のことが気に入ったのか、飽きずに毎日娼館に通って。毎日毎日、私が泣いても酷いことを止めなかった……」


 祭の後の静けさ。殺戮さつりくの終演した娼館内で、血塗れの少女は血塗れのニュクスの懐へ顔を埋めていた。声を震わせ、自らが殺人の一線を越えるに至った経緯を語り出す。

 少女の全てを受け止める覚悟は出来ている。耳を塞ぎたくなるような発言からも決して逃げず、ニュクスは少女の言葉の一つ一つにしっかりと耳を傾けていく。


「……涙なんて直ぐ枯れた。一生分泣いたかもしれない……何度も死にたくなったけど、死ぬ勇気は持てなかった……だって、死んじゃったら……もう二度と君に会えないから……」


 無言で目を伏せ、ニュクスは少女を抱き留める腕に力を込めた。


「……自分が死ぬくらいなら、あいつらの方を殺してやろうと思った。私の境遇に同情して背中を押してくれた人もいた。私は悪くない。悪いのは全て欲望にまみれた汚い大人達だもの」


 少女の悲痛な叫びを肯定するように、ニュクスは少女の頭を優しく撫でた。

 父親を惨たらしく殺害された挙句、奴隷市場へと売り飛ばされ、最後に行きついた娼館でもさらなる絶望へと突き落とされる。一人の少女の心を壊してしまうには十分すぎる、あまりにも残酷な仕打ちだ。


「殺し方を考えている間だけは嫌なことを忘れられた。酷いことをされても、あの男や経営者の死に顔を思い浮かべれば耐えられた……そしてチャンスは突然やってきた。昨日の晩ね、あの男は部屋に剃刀かみそりを忘れていったの。こいつで喉をっ切ってやろうと、そう決めた……」

「……ごめん」

「……どうして謝るの? 私の殺しを横取りしちゃったから?」


 沈痛な面持ちでニュクスは謝罪の言葉を口にする。彼女の犯した全ての殺人を本当に横取り出来ていたならどんなに良かっただろうか。

 クルヴィ司祭から任務と情報提供を受け、最短でこの娼館へとやってきたが、結果的には間に合ったようで、間に合ってなどいなかった。恐らく少しでも到着が遅れていれば、少女は非戦闘員を数名殺害した末に、用心棒たちに返り討ちにあって死んでいたことだろう。命を救うという意味でならニュクスは間に合った。一方で到着が少しでも早かったなら、少女が殺人という一線を越える前に救出することが出来たかもしれない。少女を殺人者としてしまったという意味ではニュクスは間に合わなかった。済んだことに対してもしも考えても仕方がないが、殺人という一線の持つ意味は大きい。間に合っていれば、彼女の殺したい人間を代わりに全員殺害し、全ての罪を引き受けることだって出来たはずなのに。


「他の誰かだったら許せなかったかもしれないけど、君だから特別に許してあげる。本当はもっと殺したかったけんだけどね。殺している間だけは、今までの嫌な気持ちが全部吹き飛んでいくような感じがしてとても気持ち良かったから」

 

 自分に酷い仕打ちをしてきた人間達を殺すことを目標とすることで崩壊を免れていた精神は、実際に殺人という一線を越えたことでいびつな形へと再構成されてしまった。壮絶な体験を経て殺人と精神とが密接に結びつき、殺人こそが一種の精神安定剤であるという認識が少女の中に生まれてしまった。復讐心だけで犯した殺人だったなら、尊厳そんげんを踏みにじられたことで生まれた心の傷と合わせて、時間をかけて心のケアをしていくという選択肢もあったかもしれないが、殺人に別の意味が生まれ、瞳に狂気を宿してしまった今の少女にはもう手遅れかもしれない。


「……もっと殺したかったな」

「……」


 少女の呟きにニュクスの背筋が冷える。これ以上少女が誰かを殺すところを見たくないというエゴで、残る娼館中の人間を自身の手で皆殺しにしたが、その選択もまた過ちだったのかもしれない。

 僅かな可能性ではあるが、少女が自身の手で娼館中の人間を殺害――リセットすることが出来ていれば、殺人の意識が外界にまで及ぶことは無かったかもしれない。少なくともニュクスが強引に幕を引いたことで、少女が殺戮に対して不完全燃焼となってしまったことは事実だ。


「……あなたは、あれからどうしていたの?」

「話すと長くなるな」

「……そっか……それじゃあ、また今度詳しく聞かせて……何だか……疲れちゃって」


 緊張の糸が切れ、少女のまぶたが徐々に重くなる。小さな体に激しい感情を貯め込み、自らの手で大人を4人も殺害した。元より劣悪な環境に身を置いていたこともあり、肉体的、精神的疲労は相当なものだったはずだ。再会の喜びも手伝い、気持ちだけで持ちこたえていた部分も大きい。


「安心してお休み。俺がずっと側にいるから」

「……約束だよ……ずっと、私の側に……」

「ああ、俺達はずっと一緒だ」

「嬉しい……」


 少女の意識は落ち、程なくして寝息が聞こえてきた。悪夢を見ず、健やかな表情をしていることが、劇的な一日においてせめてもの救いであった。




「皆殺しとは、随分と派手にやったようだね」

「クルヴィ司祭……」


 眠る少女を抱えて娼館を出たニュクスを迎えたのは、滅多に現場へ足を運ぶことのないクルヴィ司祭であった。発言から考えて、過剰な殺人に対する叱責しっせきのために現れたのではと、ニュクスは一瞬身構えるが。


「不安がる必要はない。私はただ様子を見に来ただけだよ。意中の少女は救い出せたようだね」

「本当の意味で救えたのかは俺にも分かりません」

「そうか」


 血塗れのまま意識を失っている少女。ニュクスの複雑そうな表情と合わせて、その場に居合わせなくとも、どういった形に事態が動いたのか、クルヴィ司祭にもある程度は想像がついていた。


「この場の事後処理はしておくから、君はその子を連れてセーフハウスへ向かいなさい」

「……やり過ぎたことは自覚しています。俺をとがめないのですか?」

「娼館の主人さえ殺害すれば後は自由にしていいと言っただろう。この程度は十分にその範疇はんちゅうだよ。少女を救い出すための手伝いをすることは、私が君を買った時からの約束だ。此度の件について、君は何ら気に病む必要はない」

「ありがとうございます……」

「流石の君も今回ばかりは疲れただろう。ゆっくりと休みなさい」


 温かい言葉をかけてくれるクルヴィに深々と礼を残し、ニュクスは少女を抱きかかえたまま、一足先にその場を後にした。

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