第30話 殺戮さえも厭わず

「ニュクス、先日の暗殺任務も見事だった。初仕事から数えてこれで5件目。君の迅速かつ的確な仕事振りには頭が下がる」

「勿体なきお言葉です」


 盗賊団を壊滅させてから約3カ月。ニュクスは単身ですでに5つの暗殺任務を達成していた。中にはシュトルム帝国騎士団所属の騎士を暗殺するという高度な任務も含まれていたが、支給されていた暗殺部隊特製の秘毒を使用することで辛くも殺害に成功した。この時点でニュクスは若干13歳。いかに毒物を使用したとはいえ、腕利きの騎士をも殺害してみせたその手腕は才能の塊という他ない。返り討ちに遭うリスクもあっただろうに、13歳の少年に騎士の暗殺を命じたクルヴィ司祭の真贋しんがんもまた恐ろしい。


「続けざまで申し訳ないが次の任務だ。これは君にとってとても重要な任務となることだろう」

「どうしたんですか? 改まって」

「まあまあ、最後まで聞きなさい」


 直ぐには疑問に答えず、クルヴィ司祭は言葉を続ける。


「次の標的はある娼館しょうかんの主人だ。主人はアマルティア教団に対して批判的で、同じ思想の仲間と共謀し、教団の大切な信徒をリンチにし殺害した重罪人だ。教団に対して批判的な勢力への見せしめの意味も込め、殺害すべしとの結論に至った」


 疑問は未だに解消されないが、最後まで聞くようにとのお達しなので、ニュクスは頷きだけを返した。


「重要なのはここからだ。どうやら一年前に君の意中の少女を奴隷商から買い取ったのは、この娼館の主人のようでね。暗殺の標的にと考えていた男と君の意中の少女とが繋がった際は流石の私も驚いたよ。君と彼女には運命めいたものがあるのかもしれない」


 クルヴィ司祭の言葉を受け、暗殺者としての任務の中ですっかりとよどんでしまったニュクスの瞳が微かに澄んだ。ようやく念願が叶う。あの子をこの手で抱きしめることが出来る。


「標的たる主人さえ殺害すれば後は自由にしてくれたまえ。君自身の手で意中の少女を救い出すのだ」

「……本当に、何とお礼を言ったらいいか」

「礼には及ばぬよ。約束だったからね」


 教団のアサシンとなって以来、初めて感情的に声を震わせたニュクスの体を、クルヴィ司祭は我が子を労わる父のように優しく抱き寄せた。




「……な、何だお前は?」

「さあな。死にたく無ければ俺の質問に答えろ」


 音もなく娼館へと侵入したニュクスは、私室で売り上げを数えていた、顎髭あごひげたくわえた中年の主人の首元へとククリナイフを当てた。普段と違い直ぐには殺さない。クルヴィ司祭の情報は信頼しているが万が一ということもある。少女がここにいるという確証が欲しかった。


「お前は一年前に、黒い髪を持つ赤目の少女を買ったな?」


 奴隷市場に送られた時点で名前や元の身分など失われたようなもの。身体的特徴で確認した方が確実だ。


「……ああ」

「客に出したのか?」

「……さ、最初は下働きだけさせていたが、じょ、常連が気に入ってな。作法を仕込んで3か月前から……」

「そうか……」

「ひっ!」


 刃が肌へと食い込み、微量の血液が滴る。


「今、彼女はどこにいる?」

「に、二階の西の角の部屋で、きゃ、客と一緒だ! 彼女を気に入っている常連の貴族!」

「分かった。西の角部屋だな」


 喉元からククリナイフが下ろされ、生を実感した娼館の主人は深く息を吐いた。


「……作法を仕込んだのはお前か?」

「それがどうか――」


 返答を聞き終える前に、ニュクスはククリナイフで娼館の主人の心臓を背後から貫いた。普段ならこんな荒々しい殺し方はしないが、始めから分かり切っている答えを聞いた瞬間、感情が暴力性を爆発させてしまった。


「……どういうことだ」


 主人から告げられた西の角部屋を荒々しく蹴りやぶったニュクスは、思わぬ光景を前に、目を見開いたまま硬直していた。

 ニュクスが部屋へと飛び込んだ時点で、部屋の中はすでに血の海であった。赤い塗料の源泉は首を裂かれた上半身裸の肥満体系の中年男性。部屋の隅では、薄い下着だけを身に着けた血塗れの黒髪赤目の少女が、剃刀かみそりを手に震えていた。


 状況から考えて、少女が中年男性を殺害したことに疑い用はない。

 

「大丈――」

「私に触らないで!」


 ニュクスの差し伸べた手を血塗れの少女が払いのける。顔は膝に埋めたまま、ニュクスの顔を見ていない。


「俺だ」

「触らな――」

「助けに来た!」


 しっかりと声が届くよう、はっきりと意志を告げる。幸いなことにまだ声変わり前、聞き覚えのある大切の人の声に、少女はゆっくりと涙と血に塗れた顔を上げた。

 極限状態の少女に再会を喜ぶ余裕はない。もう二度と会えないと思っていた人との再会に対し、困惑の色の方が多い。


「……私は、夢を見ているの?」

「俺は本物だ。君を助けに来たんだ」

「……どうして血塗れなの? 怪我したの?」


 真っ先に少年の負傷を心配するあたり優しさは健在だ。ニュクスはそんな少女に少しだけ安堵したが、


「……ここの主人を殺して来た」

「あの男を?」

「ああ、君を縛り付ける奴はもういない。今から一緒に――」

「……先、越されちゃった」

「えっ?」


 少女の赤目に宿る狂気がニュクスを緊張させた。こんな目は知らない。こんな目をするような子じゃない。こんな殺人者の目なんて。


「……いつか殺してやろうと思ってた。あの屑も、そこで転がっている屑も。こんな店を利用している屑も。私をこんな目に遭わせた全ての屑を!」

「落ち着くんだ」

「一人殺せた! もっと殺せる! 全員私が殺してやる! そうすればきっと、全部無かったことになるから」

「いいから落ち着くんだ。俺と一緒にここを出て――」

「見ないで……」

「えっ?」

「汚れた私を見ないで……」


 鬼気迫る様子で少女はニュクスを突き飛ばした。殺害した中年男性の私物である護身用の短剣を手に取り、娼館の廊下へと飛び出していく。ニュクスは慌ててその後を追ったが、


「な、何を――」

「きゃあああ――」


 二つ隣の部屋から木霊する男女の悲鳴。大人二人相手とはいえ、情事の最中であれば、華奢な少女でも不意打ちで殺すことは容易かったであろう。

 悲鳴の止まった部屋から、少女が先程までよりも大量の赤色を帯びて姿を現した。その一つ隣の部屋から、異変を察した客らしき禿頭とくとうの男が顔を覗かせたが、


「がっ――」


 少女は男性の首目掛けて容赦なく短剣を突き上げた。禿頭の男は悲鳴を上げる権利すらも与えてもらえぬまま、その場へと倒れ込んだ。


「何しやがったこの餓鬼!」


 事態を受け、娼館の用心棒を任されていた数名の男達が二階へと駆け上がって来た。手には手斧やメイスといった室内でも取り回しの利くリーチの短い武器が握られている。非戦闘員に不意打ちしていたこれまでとは違う。戦闘に発展すれば、少女は間違いなく殺されてしまうだろう。


 迷っている暇などなかった。


「殺して――」

「その子に手を出すな」


 床面を蹴って一気に距離を詰めたニュクスが、二人の用心棒の首を裂いた。状況に理解が追いつかず内心では大いに混乱していたが、ようやく再会できたあの子をみすみす殺させるわけにはいかない。

 後続の5名の用心棒も瞬く間に屍へ変え、その場を強制的に治めた。しかし、少女の感情の暴走だけは今だに治まることを知らない。


「もっと殺さないと。全部無かったことにしないと……」


 血塗れの少女は短剣片手に、凶刃を娼館の一階へも伸ばそうとしていたが、


「……もう止めてくれ」


 少女の華奢な体をニュクスは背後から抱きしめた。それを受け少女の歩みは止まる。力づくで拘束したわけではない。少年の温もりをその身に感じたことで、少女自身が自発的に歩みを止めていた。


「……離して」

「ようやく会えたんだ。離したくない」

「……今の私、汚い。殺して綺麗にしてこないと」

「……少しだけ俺に時間をくれないか? 3分だけでいい」

「何をするの?」

「君が殺さくなくていいようにしてくる」


 穏やかな日々を送っていた時のような優しい笑みを浮かべ、ニュクスは少女の頭を撫でる。

 身をひるがえした瞬間に表情は一気に冷徹な暗殺者の目へと変わり、少女の返答も待たぬまま一階へと駆け下りていった。僅かな間を置いて、娼館中に犠牲者達の断末魔が木霊する。迅速かつ的確な殺し故に、悲鳴が止むまでの時間も早かった。


 これ以上、あの子が誰かを殺し、返り血に塗れる姿なんて見たくなかった。だけど、殺人者の目をした人間をそう簡単に説得出来るとも思えない。

 だったら、少女よりも先に彼女の標的を殺してしまうしかない。大切な少女を思うが故、ニュクスは殺戮さつりくさえもいとわなかった。

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