第29話 怪物
記憶の欠片の一片は、少年が暗殺者として
少年は新たな名を与えられることで、二度目の生を受けていた。
クルヴィ司祭が少年へと与えた名は「ニュクス」。夜を意味するこの名は、後に司祭の切り札へと成長し、数々の英雄達を葬ることとなる少年にピッタリのものであった。
「厳しい訓練によくぞ耐え抜いた。私の目に狂いはなかったようだ」
ニュクスがクルヴィ司祭に買われてから9カ月。ニュクスはアサシンとしての訓練課程を終えようとしていた。同時期に数名の少年少女がアサシンとしての訓練を受けていたが、無事に課程を終えたのはニュクスただ一人だけであった。肉体を極限まで追い込む厳しい訓練により、ニュクスは並外れた身体能力と剣技を会得していた。しかし、会得したのはあくまでも技術面だけ。訓練課程には殺人の経験そのものは組み込まれてない。初めての殺人を実戦でそつなくこなすくらいでなければ一流の暗殺者にはなれないというのがクルヴィ司祭の持論。初めての殺しがそのまま初任務となるのがアマルティア教団暗殺部隊の習わしだった(例外的に、元より有能な殺人者だった人間を引き入れるケースもある)。任務に失敗し返り討ちに遭えば、そこまでの人間だったというだけのことだ。
「君に暗殺者としての任務を用意した。引き受けてくれるね?」
「もちろんです。標的は?」
クルヴィ司祭の期待に応えることこそが、あの子との再会への一番の近道だ。大事な目的があるからこそ迷いはなかった。
初めて暗殺任務を受けるとは思えない程に、ニュクスは淡々と受け応えてしている。そんな姿を見て、本当に良い拾い物をしたとクルヴィ司祭は微笑みを浮かべていた。
「アマルティア教団を支持する大切な信徒一家が、出先で盗賊団の襲撃を受けてね。金品を奪われた挙句にとても惨たらしい形で殺害されてしまった。我がアマルティア教団としては、信徒の仇たるこの盗賊団を許しておくことは出来ぬ。そこで君には、盗賊団に潜入し頭目と幹部数名の暗殺を命じたい」
「どうして俺に? もちろん自信はありますが、新人向きの仕事には思えません」
「君にとっても因縁のある相手だからね。任務そのものが、訓練課程を終えた君に対する褒美だと思ってくれたまえ」
「どういう意味ですか?」
「
無表情を意識しながらも、ニュクスの眉根が微かに上がっていた。人生を滅茶苦茶にした諸悪の根源にして、唯一の肉親であった父親の仇でもあるあの盗賊団。激しい憎悪の念は、今日に至るまで衰えを見せない。
「気後れしたかね?」
「とんでもない。俺に復讐の機会を与えて下さったことを、心より感謝いたします」
「意中の少女についても全力で捜索中だ。遠からず所在を突き止めることが出来るだろう。君自身の手で彼女を取りも出すためにも、見事に此度の暗殺任務を果たし、生還しなさい」
「もちろんです。そのために俺は暗殺者となった。いや、暗殺者となる」
「良い目をしている。心配など不要だったな」
「任務内容はあくまでも頭目と幹部数名の暗殺だが、必要とあればそれ以外の賊も何人殺しても構わんよ。相手は存在価値など皆無の
「重ねて感謝を申し上げます」
不敵な笑みを浮かべるニュクスの姿を見て、クルヴィ司祭は素晴らしい凶器の誕生を確信していた。
因縁ある盗賊団が標的であることをクルヴィ司祭は、訓練課程を終えたニュクスに対する褒美だと語ったがそれはあくまでも建前。司祭にとって盗賊団の存在は、最強のアサシンを作り出すための生贄としての意味合いが強い。
いかに相手が仇であり、外道の集であったとしても殺しは殺し。ましてや
「期待しているよ。ニュクス」
「お前で最後だ」
深い森の奥に位置する、廃墟となった砦を利用した盗賊団のアジトは、
血を求める侵入者の刃の勢いはとどまることを知らず、アジト内の盗賊を次から次へと切り伏せていった。盗賊達もそれなりに戦闘経験豊富だろうに、一人、また一人と
断末魔も途絶え、残された盗賊は一人だけとなった。
「てめえ……いったい何なんだ……」
黒いバンダナを巻いた盗賊は、血塗れの体で壁面にもたれかかっていた。
腹部を裂かれて息も絶え絶え、武器を振るう余力も残されてはおらず、脂汗交じりに睨みを効かせることだけがせめてもの抵抗だった。
「俺を忘れたのか?」
「……てめえ……まさかあの時のガキ」
返り血で真っ赤に染まっていたが、濡れていない部分の頭髪の色は珍しい灰色。そんな髪色の子供を捕え、人買いへと売り渡した事実を盗賊は思い出していた。
正体を知ったことで、盗賊の顔色がこれまで以上に青ざめる。あれからまだ9カ月程度しか経ってない。何も出来なかった子供がたったの9カ月間で、仇の盗賊団を
「止めろ……」
「
ニュクスがククリナイフを構える。盗賊は逃げ道を求めるが、壁を背にしているので
「安心しろ。俺にはお前たちと違って人をいたぶる趣味はない。殺す時は一瞬だ」
「待っ――」
ククリナイフを振るった瞬間、盗賊の首が飛び、断面から噴水のように吹き上がった血液がニュクスを濡らした。今度こそ元の髪色が分からなくなるくらいに、全身くまなく血の赤へと染め上がった。
最初の殺し――頭目の首を刎ねても何の感慨が浮かばなかった。今だって大差ない。
仇だったからなのか。訓練課程を経たことで抵抗が少なかったのか。襲撃された9カ月前の時点で心が壊れてしまっていたのか。あるいは才能だったのか。途中からはコツを掴み、殺しは完全に作業と化していた。これでは人間ではなく、まるで凶器そのもではないか。
「……人は簡単に死ぬ。簡単に殺せる。俺は殺した」
自嘲するかのように呟きながら、血塗れのニュクスは盗賊団のアジトを後にした。
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