第28話 熱情と執心

 ビーンシュトック邸を離れたニュクスは、王都の外れにある現在は使われていない古びた鐘楼しょうろうの陰に寝そべっていた。無人とはいえ周囲には治安維持の観点から魔術式街灯を設置されており、人気はなくともそれなりに明るい。一人になりたい気分だったので、ひたすら人気のない方向へと歩いてきたら、誰も寄りつかなそうなこの鐘楼を見つけた次第だ。


「……人間らしい奴が、暗殺者なんてやってるかよ」


 去り際にファルコに言われた一言が、小骨のように心につかえていた。

 暗殺者となったことを後悔なんてしていない。暗殺者になったからこそ、あの子と再会を果たすことが出来た。

 約束を果たし、あの子の居場所を捜し出してくれたクルヴィ司祭には感謝してもしきれない。いまさら帰れる場所なんてないし、一般人に戻るには両手を血で汚し過ぎた。大恩あるクルヴィ司祭のため、暗殺者として命令を果たしていく生き方に迷いはない。

 クルヴィ司祭が最も警戒を示している英雄の原石、ソレイユ・ルミエール。彼女の暗殺を果たすことは、恩人に対する何よりの孝行になるはずだ。

 ソレイユの信頼を得るため、顔見知りではないとはいえ、同じアマルティア教団の人間だって殺した。それは獲物に手を出されたことに対する怒りの感情から来るものでもあったが、いずれにせよそんないかれた人間が人間らしいはずがない。人間であってはいけない。

 

「……絶対に殺してみせる」


 ソレイユ・ルミエール暗殺を果たしたなら、きっとうれいは消える。少なからず親しみを覚えた相手だからこそ、それを殺したなら人間らしさなど今度こそ完全に消え去るだろう。そうすればきっと、何も考えない本物の凶器のように……。


「やっと見つけた」


 気配には最初から気付いていたので、突然顔を覗き込まれても驚きはなかった。事前にカプノスから教団のアサシンが王都入りしているという情報を得ていたことも大きい。

 時間帯やシチュエーションこそ異なるが、それはまるで初めて出会った時の再現のようでもあった。


「ロディア」

「二人きりの時くらい、昔の名前で呼んでもいいんだよ?」

「昔の名前ではもう呼ばないと、二人で決めただろ」

「そうだっけ――」


 寝そべったままのニュクスの唇に、ロディアは自身の唇を重ねた。数カ月ぶりの再会を喜び熱情の赴くままに舌をねじ込み絡ませる。ニュクスは拒まず、ロディアの気の済むままにと己を委ねる。再会を果たしたあの日から、彼女の愛は全て受け入れようと決めていた。例え昔の彼女でなくとも、その愛が歪んでいようとも。


「美味しい……」


 情熱的な接吻を終え、唇と唇とを糸が引いた。


「激しいな。少しだけ苦しかった」

「数カ月ぶりの再会だもの。こんなにニュクスと離れ離れになることなんて滅多にないから、私、寂しくて……」


 ロディアは甘える幼子のようにニュクスの胸に顔を埋めた。ニュクスは幼子をあやすかのように、ロディアの頭を優しく撫でてやる。お互いに子供の頃とは随分と変わってしまった中、甘えようとするロディアの姿だけはあまり変わらない。


「長い任務なんてさっさと終わらせて、早く私のところに帰って来てよ。あなたがいないと私は駄目なの」


 懇願こんがんするかのように、ロディアはニュクスの胸の中で感情的に声を震わせている。


「……なかなか難しい任務だからな。一度手痛い目にってるし」

「だったら、今夜はきっとチャンスだよ」


 ロディアを撫でるニュクスの手の動きがピタリと止まった。


「どういうことだ?」

「ニュクスの暗殺対象の女、今はビーンシュトックとかいう貴族の屋敷にいるんでしょう? 今夜、私達はそこを襲撃する」

「……標的は?」

「アルカンシエルの王子様。私達以外にも、別部隊が王城の方にも向かっている」

「現場を誰が仕切ってる? エキドナか」


 王族の暗殺などという大それた任務。協調できるかは別としてまとめ役の存在は必須だろう。そんな器用な真似が出来る実力者とくれば、エキドナあたりだろうかとニュクスは想像したが、


「アントレーネだよ。エキドナは今、別の任務で国外だから。今日になって王子様の会食相手があの女だって判明したんだけど、まさか、ニュクスの暗殺対象が同じ屋敷に居合わせるとは思わなかったって、アントレーネが凄く驚いてたよ」

「……あのお嬢さんが友人の危機を見過ごせるはずがない。暗殺部隊と衝突するのは必至だな」

「……暗殺は間もなく決行される、だから、隙を見計らってニュクスもあの女を殺しちゃいなよ。誰も獲物を横取りなんてしない。殺すのはあくまでもあなた自身。屋敷の戦力が一人でも減れば王子の暗殺の成功率も上がるし、一石二鳥、いや、ニュクスが私の下に帰って来れるんだから一石三鳥だよ」

「……戦いの混乱で隙が生まれるくらいならとっくに殺せてる。お嬢さんは侮れ――」

「気に入らない!」


 激昂したロディアがニュクスの言葉を遮った。


「私の前で、他の女の顔なんて想像しないで……」


 一転、激情は悲しみの色へと変化し、ロディアの瞳から涙が伝い落ちる。

 

「違う、俺は――」

「例え殺すための執心しゅうしんであったとしても、他の女があなたの心の中にいるなんて、私には耐えれないの……私にはあなたしかいない。あなただってそうでしょう?」


 ロディアはニュクスの体へと馬乗りになり、身に着けていた黒いブラウスを荒々しく脱ぎ捨てる。下着も剥ぎ取り、色白な美しい上半身が露わとなる。

 ニュクスの右手を強引に引き上げ、ロディアは自身の色白な左の乳房に触れさせた。感触を確かめろと言わんばかりに、自身の乳房へと強引にニュクスの手を押し付ける。


「今すぐ、あなたの心を私だけで満たしてあげるから――」


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