第27話 負い目

「どこかに出かけるのかい?」


 屋敷のエントランスで、外出しようとしていたニュクスの背中にファルコが問い掛ける。

 会食は少し前に終了し、現在は各自屋敷内で自由に過ごしている。時間に余裕があるということで、シエル王子らもまだ滞在中だ。

 リス、ペルル、レーブの三人はリュリュの案内で屋敷の大きな書庫を探検している。名門かつ有名な商家でもあるビーンシュトック邸の蔵書量はかなりの物。読書家、勉強家にとってはまさに宝の山だ。

 ソレイユとシエル王子は屋敷の中庭で二人きりで過ごしている。到着直後はペルルに、会食の場ではレーブにソレイユとの時間をゆずっていたので、ようやくゆっくりと私的な話にもきょうじれるというものだ。

 プライベートに配慮して、近衛このえ騎士の二人はシエルと距離を置き、屋敷の大広間でティータイム中。知人であるクラージュとウーもその場に同席していた。


 そして、ニュクスはというと――


「屋敷内でやることもないし、少し散歩でもしてこようかと思ってな」

「屋敷には居づらいから?」


 優しい声色ながらも、ファルコの顔に表情はない。初対面の時のような緊張感だ。


「別に。ただ、俺みたいな人間がいない方が、お嬢さんも王子たちとの時間を心置きなく過ごせるんじゃないかと思ってね」

「ソレイユ様はそんな些細ささいなことを気にするようなお方じゃない。君の存在の有無にかかわらず、自分の時間をしっかりと、心行くまで過ごされるだろうさ。それは君だってよく分かっているだろう? 彼女と共に過ごした時間は、僕よりも君の方が長いのだから」

「意地悪な奴だな。いつもみたいな軽い口調で、『行ってらっしゃい』とでも言って適当に見送ればいいだろうに」

「意地悪ではなく純粋な興味だよ。この屋敷に到着して以来、君は何かに対して遠慮しているような印象を受ける。あえてもう一度言おう、屋敷に居づらいのかい?」

「気づいているのはお前だけか?」


 歩みをピタリと止め、ニュクスは背を向けたまま抑揚なく聞き返す。

 

「ほんの些細な違和感だ。ソレイユ様だって気づいていないと思う」

「鷹の目は感情の機微きびさえも見逃さないのか。恐ろしいね」

「そんな大そうなものじゃないよ。昔から色々な土地を旅してたくさんの人達と関わって来た。顔色をうかがうのが得意なだけだよ」

「それで、俺が何に対して遠慮しているって?」

豪奢ごうしゃな屋敷に気後れするタイプとも思えないし、タイミング的に考えてリュリュさんが有力かな。君は彼女に遠慮している」


 容赦ない指摘にしばしの沈黙が流れる。

 無言で立ち去ることも出来ただろうに、ニュクスは律儀に答えを口にした。


「……負い目だ」

「事情を追求するつもりはないけど、少し意外だったよ。君は負い目なんて感じない、もっと非情な人間だと思っていた」

「こういった状況は初めてだから、少し困惑しているだけだ」


 確信に触れずとも、ニュクスの経歴を考えれば、二人の間にどういった因縁があるのかファルコにも想像はついていた。

 暗殺者の役割は命令に従い標的を殺害すること。凶器に過ぎない暗殺者は、暗殺に成功した後のことなど気にする必要はない。ましてや、標的の身内や関係者の存在など、本来なら完全に意識の外であろう。そもそも関わる機会もない。

 しかし、運命の悪戯か、ニュクスは暗殺者としての仕事の中で命を奪った男の婚約者と対面を果たしてしまった。事情を知らぬとはいえ、辛い時期だろうにリュリュは気丈に振る舞い、暗殺者本人も大事なお客様として扱ってくれている。客観的に見たらとても残酷な状況だ。

 無表情にはなれても無感情にはなれない。そのことにニュクス自身が一番困惑していた。以前までならもっと非情になれたはずなのに。ルミエール領を発つ時のイリスとの別れ際といい、最近のニュクスはらしくない。

 身勝手なのは百も承知だが、リュリュが高慢こうまんで憎たらしい貴族であったならば、こんな感慨を抱くことも無かったのにとニュクスは思う。寛容で意志が強く、心優しく教養に富む。一人の人間としてリュリュにはとても好感が持てた。ニュクスが暗殺した剛腕ごうわん騎士きしサングリエは多くの情婦じょうふを囲っているような男ではあったが、リュリュのやつれた顔を見るに、少なくとも彼女の抱く愛は本物であったことが分かる。大切な存在を突然失った悲しみや絶望感は計り知れない。暗殺者本人が抱いてよい感情ではないだろうが、今のリュリュの状態にニュクスは同情的だ。


「なるほど、思っていた以上に君は人間らしいようだ」

「失望したか?」

「いや。むしろ安心した」

「……」


 今度こそニュクスは無言で屋敷を後にした。ファルコもそれを引き留めようとはしない。


「……色々あったんだろうね。君はたぶん、本来暗殺者には向いていない」


 本人を前にして言うのははばかられたので、背中を見送った後に呟くようにそう言った。

 身体能力の高さや仕込み武器を自在に扱う器用さなど、確かにニュクスには暗殺者向きの才能はあったのだろう。しかしもっと根本的な、ニュクス個人の人間性に暗殺者の適正があったか否かはファルコには疑問だった。


 無感情に暗殺を続けるには、根が善人に寄り過ぎている。

 そんな人間を闇へと引きずり込むような事件があったのだとしたら、世界はやはり残酷だ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る