第19話 殺人者の原石

 その記憶の一片は、灰髪の少年と黒髪の少女が出会ってからの一年後の、忘れたくても忘れられない、二人にとって人生の転機となった出来事。


「えへへっ」

「ご機嫌だな」

「君と一緒に旅行に行くのは初めてだから。何だか嬉しくて」

「旅行じゃないんだけどな」


 キャラバン隊の馬車の中で、黒髪の少女があざとく灰髪の少年の肩にもたれかかった。出会ってから早いもので一年。少女の小悪魔的な仕草にもすっかりと慣れ、今となっては堂々と肩を貸している。

 二人はお互いの両親も参加するキャラバン隊へと同行していた。キャラバン隊はアルテの街を三日前に出発し、西の貿易港を目指している。今は深い森の中を進行中だ。

 西の貿易港は観光地として有名で、今はちょうど祭のシーズン。黒髪の少女は完全に旅行気分であり、出発以来ずっとご機嫌だ。灰髪の少年は画商の父の手伝い――仕事としての参加なので少女とはやや温度差があるが、自由時間に二人で町を見て回ろうという約束はとても楽しみにしている。

 半年前、少年の父親が画商の仕事の拠点をアルテの街へと移したことで、灰髪の少年と黒髪の少女の距離感をグッと近いものとなった。共に過ごす時間も長く、二人は互いにとって掛け替えのない、とても大切な存在となっていた。


「向こうに着いたら、今度こそ私の絵を描いてよ。何なら水着になっちゃうよ」

「まだ駄目だ。俺はまだ自分の絵に自信が持てない」

「十分上手だと思うけどな、君の絵」

「こういうのは自分との闘いだから、絶対に妥協したくな――」

「きゃっ!」


 言いかけて、突然馬車が急停車。慣性かんせいでバランスを崩した少女の体を、少年は咄嗟に抱き留めた。


「盗賊団の襲撃だ!」

「かなり多いぞ!」

 

 キャラバン隊を護衛していた傭兵部隊が叫ぶと同時に、隊は大混乱に陥った。


「怖い……」

「大丈夫だ。俺が側にいるから」


 恐怖に震える少女の体を、少年はそのまま抱き留め続ける。少年も恐怖を感じていたが、今にも泣きそうな少女を前に、どっしり構えて少しでも安心させてあげなきゃと自らを律し、とても優しい声色で少女を励まし続ける。


「いやああああああああ――」

「今の何?」

「大丈夫だ」


 女性の悲鳴が木霊した瞬間、少年は咄嗟に少女の耳を両手で塞ぎ、必死に作った笑顔を少女に向ける。聞き間違えるはずがない。今の断末魔は給仕係としてキャラバン隊に参加していた女性の悲鳴だった。周辺からは武器同士が接触する音が鳴っているが、戦闘音はだんだんとキャラバン隊の本体へと近づきつつある。子供心に、状況が切迫していることは理解していた。


 どれくらいの時間が経っただろう?

 何時の間にか悲鳴は途絶え、野太い男達の声による談笑だけが聞こえるようになった。

 男達は「稼ぎ」だの「分け前」だの、「何人殺した」だの「後で楽しもうぜ」だの、という言葉を口々に発している。

 

「この馬車で最後だな」


 馬車の中に、頭に黒いバンダナを巻いた盗賊が乗り込んできた。恐怖に震えながらも、灰髪の少年は必死に黒髪の少女を背に庇った。少年の服の裾に握る少女の手は、布越しでも分かる程に震えていた。


「何だ、こんなところにガキもいたのか」

「うっ」


 不敵な笑みを浮かべ、盗賊が少年の胸ぐらを掴み上げて軽々と持ち上げた。


「外に出ろ。面白い物を見せてやるよ!」

「うわっ!」


 少年は盗賊に無理や馬車の外へと放り出され地面へと落下した。土に塗れる感触と同時に、粘性の液体が少年の衣服を濡らした。


「父さん?」


 少年は大きく見開いた目で衝撃的な光景を目の当たりにした。

 目の前には、腹を裂かれて虚空を見上げたまま息絶えた血塗れの父の遺体。少年の体は父の体から溢れ出た血液と臓腑ぞうふに塗れていた。


 絶句。混乱のあまり、喉からは悲鳴さえも出てこない。


 周辺の状況は似たり寄ったりで、キャラバン隊に所属していた傭兵や商人は、一部の若い女性を覗いて全員が殺害がされ、自然豊かな森の中に鮮烈な血の海を生み出していた。

 若い女性達は盗賊達に捕縛され、盗賊達の用意していた移送用の馬車に物のように詰め込まれている。特に美人な二人の女性は、欲情し抑えの利かなくなった盗賊達に剥かれ、その場で回されていた。

 

「止めろ……」


 盗賊に強引に腕を引かれた黒髪の少女が、馬車から連れ出されそうになっていた。

 自分の命が危険な状況にあっても、少年は少女のことだけを思っていた。こんな残酷な現実をあの子に見せるわけにはいかない。繊細せんさいで優しいあの子にこんな光景を見せたら、きっとあの子の心は絶えられない。


「止めろ! その子には見せるな――」

「だそうだ。しっかりと見なよ、お嬢ちゃん」

「嫌! 離し――」


 少年の叫びも虚しく、盗賊は状況を楽しむかのように愉悦の笑みを浮かべる。

 少女が目を逸らせないように両手で強引に首を正面に固定し、この世の地獄とも呼べる光景を、はっきりと少女の双眸そうぼうへと焼きつけさせた。


「いやあああああああああああああああああ――」


 喉を潰さん程の絶叫が少女の小さな体から木霊する。

 見知った人物達が物言わぬ屍と化し、血の海と共に周辺を埋め尽くしている。

 その中心にいたのは少女の唯一の肉親であり、大好きな大好きなパパ、だったもの。

 キャラバン隊のリーダーであった少女の父は見せしめとして、四肢を断たれて大木にはりつけにされるという、あまりにも酷い姿で息絶えていた。

 少女にとってそれは、まさにこの世の終わりに等しい衝撃であった。悲鳴が枯れた瞬間には激しく嘔吐し、目は虚ろで焦点が合わない。


「いいねいいね。絶望って感じで」


 悪趣味な盗賊は一人の少女が精神的に追い詰められていく様を、娯楽として楽しんでいた。


「ふざけるな!」


 守りたい人がいるからこそ少年は立ち上がれた。この一瞬だけは恐怖や悲しみを忘れ、一心不乱に盗賊目掛けて突進していったが、


「ガキに何が出来るんだよ」


 ゾンザイに足蹴りにされ、少年の体は無情にも押し戻された。殺人もいとわぬ盗賊と声変わりすらしていない少年。体格も戦闘能力もあまりにも違い過ぎる。


「寝てろ」

「がふっ――」


 強烈な蹴りを腹部に受け少年は悶絶。意識が徐々に遠のいていく。


「君を……助け……」


 茫然ぼうぜんと膝を折る少女と一瞬目が合ったが、少女はとても虚ろな目をしており、その瞳に少年の姿が映りこんでいるかは分からない。


かしら、ガキを二人見つけたんですがどうしますか?」

「まだ幼いが、女の方は美人に育ちそうだし、男は男で珍しい髪色をしているな。どちらも人買いに渡せばそれなりの金になりそうだ。金品や女どもと一緒に、一先ずアジトまで連れていけ」


 ――いつか絶対、お前らを殺してやる……。


 激しい憎悪の芽生えと共に、少年の意識は消失した。


 〇〇〇


 その男は、奴隷商に買われて奴隷市場へと送られた灰髪の少年の前に、人の良さそうな笑みを浮かべて現れた。


「君は良い目をしている」

「……」

「無言か、それもよかろう」

「……」

「君にはすでに買い手がついているそうだ。ある娼館しょうかんの主人が君の灰色の髪を気に入ったようでね。君を男娼だんしょうとして使いたいらしい。近年は少年男娼の需要が高まっているからね」

「……」


 無言ながらも、灰髪の少年の表情には確かな嫌悪感が滲みだしていた。


「私には君をより高額で買い取る用意がある。私の下で、殺人のすべを学ぶ気はないか?」

「……どうして俺を?」

「原石を見つけた気がしてね。人を殺した気なその瞳。磨けばさぞ光りそうだ」

「……」

 

 少年はまた無言へと戻ってしまった。人を殺したいと思っているのは事実だが、殺人者の原石などと言われるのは心外だ。残酷な現実の中にあっても、少年の本質は心優しい善人だから。


「私の提案を受けてくれるのなら、私は君にそれ相応の報酬を支払おう。もちろん報酬とは私が君を買い取ることとは別だ。君を買い取ることはあくまでも私の個人的投資。このことに恩義も感じる必要はない」

「……報酬?」

「君が大切なものを取り戻すための手伝いをしよう。君の事情については承知している」

「俺は、あの子を取り戻せるのか?」


 少年が話に食いついた。

 肉親であった父親を失った少年に、唯一残された大切な人。

 黒髪と赤い瞳が印象的なあの少女の姿を思い浮かべ、少年の目に微かに生気が戻った。

 盗賊団のアジトへと連れていかれた後、少年と少女はそれぞれ別の奴隷商に買い取られ、別々の奴隷市場に送られてしまった。少女の方が先に買い取られて盗賊団のアジトを離れていったので、そこから先の消息は不明だ。


「私の持つ情報網を駆使して、意中の少女を見つけ出すと約束しよう。それまでの間、君は自らの手で少女を救い出せるように殺人の術を身に着けなさい。決して悪い話しではないだろう?」


 何故自分にこんな提案をしてくるのか。その真意は不明だが、あの子を助けられるというのなら何でも良かった。


「分かった。あなたの提案を受けるよ」

 

 少年の決断は早かった。あの子のためなら、人殺しにだって何にだってなってやる。もう失うものなんて何もない。


「契約成立だな。早速君の売り手と交渉してくるよ」

「そういえば、あなたの名前をまだ聞いていなかった」

「私かい? 私はアマルティア教団の司祭、クルヴィという者だ」

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