第16話 リュリュ・ビーンシュトック

「こちらが、王都滞在中の皆様の宿泊場所となります、ビーンシュトック邸です」


 騎士団本部でのシエル王子との面会を終えたソレイユたちは、街で合流したニュクスとファルコを加え、王都の北部に居を構える、別館二つと噴水付きの大きな庭を備えた豪奢ごうしゃな屋敷――王国を代表する名門貴族の一角、ビーンシュトック家を訪れていた。ここまでの案内を遣ったのは、到着時と同様、シエル王子の臣下のギュスターブ・カプトヴィエルだ。


 ビーンシュトック家はアルカンシエル王国建国にも携わった名門だ。初代当主イシドール・ビーンシュトックはアルカンシエル王国建国以前、アブニールが邪神討伐軍を率いていた時代から彼に仕えており、戦闘能力は皆無であったものの、商才や資産運用に秀で、軍の財政面を支えた人物として有名だ。建国後も財務大臣としてアルカンシエル王国の発展に尽力した。

 その後もビーンシュトック家は長きに渡って王国の財政に関わって来たが、先々代で一度国の仕事からは退き、民間で商売を開始。これが見事に当たり、さらなる財を築くことに成功している。その家柄と経済力から、現在でも王政に対する影響力は大きい。

 近年、王国の財政顧問を担当していたオッフェンバック卿は、先の竜撃を受け、グロワールの復興に尽力するためにその任を辞退。これを受け現在は、ビーンシュトック家の現当主――フェルナン・ビーンシュトック卿が財政顧問へと就任。ビーンシュトック家の当主として国の有事を放ってはおけないと、フェルナン氏は王国からの打診を快諾かいだくしたという。一族としては、約60年振りに王国の財政部門へと関わることとなった形だ。


「お待ちしていましたわ、ソレイユ」


 屋敷の正門へと到着した一行を、フェルナン・ビーンシュトック卿の息女――リュリュ・ビーンシュトックと、数名の使用人が出迎えた。

 リュリュ・ビーンシュトックは現在23歳。三つ編みにした金髪と藍色の瞳を持つやせ型の女性で、きらびやかな女性が多い王侯貴族には珍しく、素朴な顔立ちであまり化粧っ気もない。元より色白だった肌は、気疲れのためか白みが増したように見え、実年齢よりもやや老けた印象を与えている。

 同じ王都内とはいえビーンシュトック邸とイストワール城とはそれなりに距離が離れている。通いでは何かと不便と判断したフェルナン・ビーンシュトック卿は財政顧問に着任以来王城に詰めており、当主不在の屋敷は現在、娘であるリュリュが取り仕切っていた。


「御無沙汰しております、リュリュさん。お招きに感謝いたします」


 先頭のソレイユが感謝の意を込めて深々と頭を下げ、後方の臣下や仲間達もそれに習う。世慣れたファルコはもちろんのこと、郷に入っては郷に従えと、ニュクスも周りの動きにしっかりと合わせていた。

 初代頭首イシドール・ビーンシュトックはアルカンシエル建国以前からアブニールに仕えていた。当然アブニールの同士であり、影の英雄の一人であったアルジャンテ・ルミエールとも親交があった。ビーンシュトック家とルミエール家の交流は、昔ほど密ではないにせよ、500年が経った今でも続いている。

 ソレイユもリュリュとは顔見知りだが、お互いに何かと忙しく、直接顔を合わせるのは久しぶりだ。


「また少し大人になったわね。だんだんとお父上に似てきたわ」

「そう言って頂けるととても嬉しいです。父上は私の目標ですから」


 兄弟を持たぬリュリュは、会うたびに6つ年下のソレイユを妹のように可愛がっていた。今も昔を懐かしむかのように、ソレイユの頭を優しく撫でている。


「すみません、リュリュさん。大変な時期でしょうに、私達のために宿を用意してくださって」

「よいのです。まだ心の整理がついたとはいえませんが、いつまでも引きずっているわけにもいきません。私に出来ることは何でもしようと決めたのです。こうしてソレイユと会う機会を得られたことは、とても嬉しいですしね」

「リュリュさん」


 あんな出来事があってからまだ二カ月程度しか経っていないのに、気丈にも自らを律して前へ進もうとしている。とても強い人だと、ソレイユは一人の女性としてリュリュのことを尊敬していた。


「ウー。以前は差し入れをありがとう。家族、使用人一同、とても美味しく頂いたわ」

「お喜びいただけて何よりです。生産者の皆もとても喜ぶと思います」


 ファルスと藍閃らんせん騎士団が対シュトゥルム帝国の対策会議に参加すべく王都を訪れた際、ウーは騎士団を代表して、挨拶のためにフォルスと共にビーンシュトック家を訪れていた。その際差し入れたのは、ルミエール産の果物の詰め合わせだ。お互いに多忙故あまり時間は取れなかったが、フォルスは友人でもあるフェルナン氏と、ウーは年齢が近く同性でもあるリュリュと談笑を交わしたことは記憶に新しい。


「リスちゃんやクラージュさんとは何度か面識がありますが、後ろのお二方は初めましてですよね?」


 リュリュの視線が、クラージュの後ろに控えていたニュクスとファルコの位置で止まった。

 

「槍を背負った彼はファルコ。アルマ出身の傭兵です。先のグロワールの竜撃の際に共に戦い、その後、私と契約を結んでくださいました」

「ファルコ・ウラガ―ノと申します。一介の傭兵に過ぎぬ私めが、名門であらせられるビーンシュトック家の敷居を跨ぐご無礼をお許しください」


 ソレイユの紹介に預かったファルコが深々と頭を下げた。決して先の騎士団本部の件を受けて卑屈ひくつになっているわけではない。これは己の身分を理解した上での礼節だ。


「無礼だなんてそんな。あなた方は大陸の危機に際して立ち上がってくれた誇り高き戦士です。身分の差などありません。私には宿を提供するくらいのことしか出来ませぬが、せめて滞在中は気兼ねなく、この屋敷で英気を養って下さい」

「お心遣いに感謝いたします」


 ファルコはリュリュに対して、名門貴族の名に恥じない懐の深さを感じていた。この女性は、今の状況に対して何が求められているのかをよく理解している。少なくとも頭の固い王国騎士団の古参幹部たちよりは。

 国家や民族、身分や性別、そういった垣根を越えた結束こそが、連合軍を結成せんとする今、最も必要なものだ。


「黒衣の彼はニュクス。絵師であり、同時に優秀な戦士でもあります」


 親しいリュリュに対して嘘をつくのを躊躇ためらったのだろう。ソレイユのニュクスに関する紹介は、口にしても問題のない事実を簡素にまとめたものとなった。


「ニュクスと申します。元は旅人故、不躾ぶしつけなところがありましたら申し訳ありません」


 人当りの良い、爽やかモードでニュクスは微笑みを浮かべた。


「お気になさらず。ご自分の家だと思い、ゆっくりと寛いでください」


 好青年なニュクスの印象はリュリュにも受けがよかった。警戒心など微塵もなく、穏やかにその存在を受け入れてる。


「大きな荷物は事前に届いておりましたので、それぞれのお部屋の方へと運んでおきました。早速、お部屋の方へと案内します」

「お世話になります」


 屋敷内へと案内するリュリュにソレイユが続き、一行は次々とビーンシュトック家の屋敷へと足を踏み入れていくが、最後尾のニュクスだけは足を止め、ソレイユと談笑を交わすリュリュの横顔を眺めていた。


 ――滞在先がビーンシュトック家とは、これも運命の悪戯ってやつかね。


 ニュクス自身はビーンシュトック家に縁のある人間ではないし、リュリュともこの場が初対面であった。だが、リュリュとニュクスの間には、彼女も知らない浅はかならない因縁が存在している。

 リュリュは王国騎士団に所属していた婚約者の騎士を何者かに殺害され、心に大きな傷を負っていた。気疲れの理由もそれが原因だ。

 

 彼女の婚約者だったのは、剛腕騎士の異名を持つサングリエ。


 ニュクスがソレイユ暗殺の任を受ける直前の仕事で殺害した情婦連れの騎士だ。


 ソレイユ暗殺未遂以前にニュクスがどのような殺しを行ってきたのか、そのことはソレイユも知らない。ニュクスがリュリュの婚約者の仇であることを知る者は、この場にはニュクス以外存在しない。


「どうかされましたか?」

「いえ、大きな屋敷なので少し気後れしてしまって」


 使用人の一人に声をかけられたので、怪しまれないようにそれっぽい返答をし、一行の後へと続いた。

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