第71話 別れの形
翌日の午前。
自由に歩き回れる程度まで回復していたファルコは、先の
「体の方は大分良さそうだな」
「おかげ様で上々だよ」
背後から声をかけたのはニュクスだった。順調に回復しているとはいえファルコはまだ病み上がりだ。行動を止めはしなくとも、様子を見守るために念のため屋敷からつけてきていた。もちろん単なるお節介だけでついてきたわけではないが。
「お嬢さんから聞いたよ。傭兵として正式にお嬢さんと契約を結んだそうだな」
「うん。これで僕も君達の仲間入りだ。新参者だけどどうかよろしく」
ファルコは微笑みを浮かべてニュクスへと右手を差し出したが、ニュクスはその手を素直に取らず、
「俺の正体については聞いているのか?」
「嘘はつきたくないからと、契約を結ぶ前にソレイユ様から説明があったよ。君はアマルティア教団所属のアサシンで、ソレイユ様の命を狙う刺客なのだろう? もちろん君とソレイユ様との契約――現在の関係性についても承知しているよ」
「それを知ってなお、笑顔で俺に手を差し伸べると?」
「雇い主であるソレイユ様は君を必要としている。それは、傭兵である僕がとやかく言う問題ではないからね」
「あんた個人の感情はどうなんだ? 昨日起こった移送部隊襲撃は、恐らくはアマルティア教団の暗殺部隊の
「君自身が仇というわけではないだろう。昨日の今日だしもちろん複雑な感情も多少はあるけど、少なくとも君個人を恨もうなんて気は僕には無いよ。僕達は敵同士ではなく、共にソレイユ様に力を貸す仲間同士。少なくとも僕はそういう認識だ。少数精鋭の部隊で不和だなんて
温和な態度を変えず、ファルコは改めてニュクスへと右手を差し出した。
ファルコの言葉は紛れもない本心だ。少なくとも現状、ニュクスに対して敵意は持っていない。
ソレイユとの契約があるとはいえ、ニュクスはグロワールの街の危機を救うべく奔走し、果てにはソレイユのため、同じ組織に所属するキロシス司祭をも殺害してみせた。本心はどうあれ、ソレイユの戦力であろうとするニュクスの姿勢は本物だ。味方として見るならこれ程心強い相手はいない。ニュクスを戦力として欲したソレイユの気持ちが、ファルコにはよく理解出来た。
「そう言ってもらえるとありがたいよ。俺だって、共に旅をする相手とはなるべく仲良くしておきたいからな」
握手を交わした瞬間、場の空気感が一気に変わる。
「これまでの言葉は全て僕の本心だ。君を恨んではいないし、ソレイユ様のために共に戦う仲間だと思っている。君個人の人柄も決して嫌いではないしね。だけど僕は傭兵だ。雇用主の命は何よりも優先して守らなくてはいけない――」
ファルコは握手を交わしたままニュクスの目を真っ直ぐと見据え、眼光鋭く殺意を発した。
「――君がソレイユ様に牙を
「望むところだ。殺す数、一人も二人も大差ない」
ファルコの殺気に対し、ニュクスは皮肉気な笑みでそう返す。
握手を交わす両者の手にはいつの間にか力が籠っており、交わした右手が微かに震動していた。
「願わくば、その時が来ないことを祈っているよ」
「どうだろうな」
両者の握手がゆっくりと解かれ、
「俺はこれで屋敷に戻るけど、ファルコはどうする?」
「僕はもうしばらくここにいるよ。昼食までには戻る」
「了解だ。それじゃあ、お先に」
陽気に手を振りながら、ニュクスは何事もなかったかのようにその場を後にした。
「おやニュクス、外出していたのですか?」
オッフェンバック
「ファルコを見ませんでしたか? お話しがあったのですが、どうやら部屋にはいないようでして」
「あいつとならさっきまで一緒だった。今は、倒壊した例の食堂にいるんじゃないかな」
「ヴァネッサさんの務めていたあの食堂ですか。昨日の今日です、色々と思うところもあるでしょうからね」
「あいつに何か用でもあったのか?」
「急ぎではないのですが、滞在中の王国騎士団の方から、ファルコからも竜撃当時の状況を聞きたいという要請がありましたので、その確認をと」
「昼食までには戻ると言っていたが」
「そうですか、では昼食時にでも確認してみることにしましょう」
ファルコへの確認を終えればソレイユの午前中の仕事は終わりだ。
午後からはオッフェンバック卿と共に王国騎士団の視察に立ち会う予定だが、それまでの間はしばしの自由時間となる。
「ニュクス。今からお茶にしようと思っているのですが、あなたもご一緒にどうですか?」
「別に構わないが」
「でしたら私の部屋へとどうぞ。ティーセットが備え付けですから」
笑顔のソレイユの招きを受け、ニュクスはソレイユの滞在する客室へと通された。
「ファルコと一緒だったと言っていましたが、何を話されていたのですか?」
「これからよろしくって、固い握手を交わしてきた。同時に、お嬢さんに牙を
「私を殺すハードルが上がってしまいましたね」
「さあ、どうだろうな」
悪戯っ子のような笑みを浮かべてソレイユは紅茶を
「例えばの話ですが、私を殺せぬまま月日が経った場合はどうなされるおつもりですか?」
「例え何年かかろうとも、俺は課せられた任務を果たすだけだ。もちろん長引かせるつもりはないけどな」
「なるほど。その理屈でいけば私達は、例えば50年後にも共に戦っている可能性があるということですか」
「例え話とはいえ恐ろしいことを言ってくれる。この先50年もお嬢さんと一緒なんてごめんだぜ」
「そのまま老いて、お互いに寿命で人生を終えるなんてこともあるかもしれませんね」
「それだけは有り得ないな」
冗談めかしたソレイユの口調に対して、ニュクスの返答は珍しく冗談も皮肉も混じらぬ真剣なものであった。決して苛立っているわけではないが、暗殺者としてこれだけは断言しておかなくてはいけない。
「どちらかが相手を殺す。それ以外に、俺とお嬢さんに別れの形なんてないさ」
「そうですね。あなたは暗殺者で私はその標的。どこまで行ってもその関係性は変わりません。それこそ50年後でもね。どうぞ、いつでも私の命を狙ってください。その際は返り討ちにして差し上げますから」
「いいね。それでこそお嬢さんだ」
ニュクスは心底嬉しそうに表情を綻ばせる。
気高い戦士としてのソレイユの返答。これこそがニュクスの求めていたものだ。
しおらしい言葉などソレイユには似合わない。標的と暗殺者の会話など物騒なくらいが丁度いい。
「紅茶のお代わりは如何ですか?」
「頂こうかな」
ニュクスのティーカップに、ソレイユは笑顔で紅茶を注いでいく。
直前までの物騒なやり取りが嘘だったかのような、穏やかなティータイムが流れていった。
ニュクスがソレイユを殺すまでの間、血塗られた契約は継続していく。
邪神の復活が危惧され混沌を迎えようとしている世界で、英雄の血を引く少女と灰髪の暗殺者は、どのような運命を辿るのだろうか?
第二章「竜撃都市」 了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます