第70話 もうどこにもいない

「ソレイユ様。僕の方からも一つお尋ねしてもよろしいですか?」


 ソレイユとファルコとの間に傭兵としての契約が結ばれた後、今度はファルコの方からソレイユへと尋ねた。


「ヴァネッサさんのことですか?」

「はい。あの後、彼女がどうなったのかを知りたくて」

「戦闘終了後、彼女の身柄は捕えたアマルティア教団の召喚者共々、グロワールの騎士団の預かりとなりました。アマルティア教団に協力した市民の中で生き残ったのは彼女だけ。色々と事情を聞く必要がありますからね。事情を抱えていたとはいえ、アマルティア教団に協力してしまったことは大きな罪です。彼女は後に正式な裁判へとかけられることになるでしょう。情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地はありますが、それでも彼女に与えられる罰はそれなりに厳しいものになるかと思います」

「そのことについて、彼女は何と?」

「全てを受け入れているようでした。その上で、あなたにお手紙を預かっています」

「手紙を?」


 ソレイユから手渡されたヴァネッサの手紙に、ファルコは目を通していく。


『ファルコさん。あなたがこの手紙を読んでくれていることが、私はとても嬉しいです。この文面に目を通しているということは、あなたの意識が戻ったということだから。

 私は今、グロワール騎士団の詰所つめしょにてこのお手紙をしたためています。償いとして、先ずは王国騎士団の調査に全面的に協力することから始めようと思います。例え、後の裁判で死罪を言い渡されることになっても、私はそれを素直に受け入れる所存です。これは決して死にたいから言っているわけではありません。これは私の犯した大罪に対する罰です。それは受け入れなければいけませんから。

 まだまだ心の整理はつかないけど、私はファルコさんが繋いでくれた命を、自ら断つような真似は絶対にしないと誓います。例え行き着く先が死罪であったとしても、死を迎えるその瞬間まで、私は自分の人生を生き続けます。それが私なりのあなたへの感謝の印です』


 読み終えた手紙を、ファルコは穏やかな顔で折り畳んだ。

 彼女の置かれている状況は厳しいものではあるが、自ら死を望むという考えを改めてくれたことは素直に嬉しかった。彼女の犯した罪は大きい。手紙にも記されているように、死罪となる可能性も十分に考えられるだろう。ヴァネッサの行く末がどのようなものになろうと、彼女の命を救った者の責任として、それを見届けなければならない。


「ヴァネッサは今?」

「彼女の身柄は、今朝方グロワールの街へと到着した王国騎士団の部隊へと引き渡されました。現在は捕縛した教団の召喚者と共に王都へ向けて移送中です。残念ながら、あなたが目覚めるのと入れ違いになってしまいましたね」

「また、彼女に会えるでしょうか?」

「ある程度状況が落ち着いたら、私達は当初の予定通りに王都へと向かいます。その際にはヴァネッサさんと面会出来るように王国騎士団へと掛け合ってみましょう。私達も当事者ですし、面会程度ならば認められるはずです」


 名将フォルス・ルミエールの娘であり、先のルミエール領内での事件や今回のグロワールでの一件。短期間にすでに二度もアマルティア教団と対峙しているソレイユは、王国騎士団に対しても大きな存在感を発揮している。ヴァネッサとの面会を取り付けるくらいの我儘わがままは通用するはずだ。


「ありがとうございます。ソレイユ様」

「私達はもう仲間です。持ちつ持たれつですよ」


 


 同時刻。ヴァネッサとアマルティア教団の召喚者達を馬車で移送中の部隊は、グロワールの西約40キロに位置するシプレの森へと差し掛かっていた。

 馬車は三台で先頭の一台にはヴァネッサと監視役の騎士1名が搭乗。ヴァネッサには抵抗の意志はなく調査にも協力的なため、過度な拘束は施されてはいない。少し離れた後続の二台にはアマルティア教団の召喚者が搭乗。こちらは召喚術や魔術によって抵抗する可能性があるので、猿轡さるぐつわを噛ませた上で念入りに体を拘束されている。


 ――ファルコさん。大丈夫かな。


 馬車に揺られながら、ヴァネッサは先の戦闘以来眠り続けたままのファルコのことを思っていた。手紙はソレイユへと託したが、街を離れる前に最後にもう一度だけファルコと会うことが出来なかったのは心残りだった。ヴァネッサは今後、王都で事情聴取を受け、その後は裁判へとかけられる身の上だ。もしかしたらもう二度と、ファルコと顔を会わせることは出来ないかもしれない。


「何者だ!」

「きゃっ!」


 不意に、馬で馬車を先導する騎士が声を荒げ、同時に馬車が急停車。馬車が大きく揺れ、ヴァネッサは短い悲鳴を上げた。


「がはっ――」

「一体どこか――あぐっ――」


 馬車の周辺を固めていた騎士達から断末魔の絶叫が上がり、馬車には騎士達の血液が豪快に付着していく。


「君はここを動かないように」

「は、はい」


 ヴァネッサを見張っていた男性騎士が状況を確認すべく、馬車から下り立ち外の様子を確認しようとしたが、


「かはっ――」


 瞬間、男性騎士の喉元へとククリナイフが突き刺さり、首の後ろから貫通した刃先が覗いた。ククリナイフが抜かれた瞬間、男性騎士の体は仰向けに倒れ込み、再び馬車の中へと舞い戻った。


「きゃああああああああ!!」


 男性騎士の首から噴き出した血液が馬車の内部とヴァネッサの顔面を濡らし、恐怖のあまり絶叫が木霊こだまする。恐怖におののくヴァネッサの姿を他所よそに、ククリナイフを手にした襲撃者は不敵な笑みを浮かべて馬車の中へと乗り込んできた。

 襲撃者は黒い長髪をちょうの形をしたバレッタでまとめた可憐な少女だった。少女の服装はほとんどが黒衣で、ノースリーブの黒いブラウスに黒いフリルスカート、黒いニ―ソックスに黒いロングブーツを合わせている。唯一、ブラウスに合わせているリボンタイだけは鮮やかな赤色をしていた。

 少女の色白な肌は黒衣によく映える。美しい赤い瞳からは感情の色があまり感じられず、それらの要素は一瞬、彼女は人間ではなく精巧せいこうに作られた美しい人形なのではと錯覚さっかくさせる。


「後始末が私の仕事だから」

「ファル――」


 想い人の名を呼ぶことさえも叶わぬまま、ヴァネッサはククリナイフの一撃で首をねられ、馬車の内部は血の赤一色に染まった。


「エキドナ。そっちも終わったの?」

「ああ。これにて任務完了だ」


 馬車から降り立った黒衣の少女の問い掛けに、くせ毛気味のオリーブ色の短髪と三白眼さんぱくがんが印象的なアサシン――エキドナが笑顔で答えた。エキドナは教団の召喚者達の乗る馬車の方を襲撃し、すでに始末を終えていた。二人のアサシンに強襲され、移送部隊は移送対象もろとも全滅。辺り一面が血の海だ。

 アマルティア教団所属のアサシンである二人に課せられた任務は、正規部隊によるグロワール襲撃の後処理。今回の場合は情報がアルカンシエル王国側へと伝わらないよう、捕縛された教団関係者を始末することがそれにあたる。現地の協力者にしか過ぎないヴァネッサは、そもそも流出したら困るような情報は持ち合わせていないが、関係者には違いないので念のため口を封じておいた。


 当初の計画通りに正規部隊の作戦が達成されていたのなら、こうして彼らが出張ではる必要もなかっただろう。正規部隊の作戦失敗の可能性を考慮し、独断で配下のアサシンを遣わせたクルヴィ司祭の読みは正しかったということだ。これで、暗殺部隊は正規部隊に対して大きな貸しを作ることも出来た。


「今からでも街に行きたいな。ニュクスが滞在してるんでしょ?」


 馬車の縁に腰掛け、黒衣の少女は手持てもち無沙汰ぶさたに手元でククリナイフを回転させる。


「彼だって今は任務中だ。邪魔をしたら駄目だよ」

「だってお互いに任務任務でもう3カ月以上も顔を会わせてないんだよ? ニュクスに会いたいよ~」

「駄目なものは駄目だ。次の任務も控えているし、一度本部に戻らないと」

「エキドナの堅物」


 黒衣の少女はふくれっ面でエキドナの脇腹を小突いた。


「何とでも言ってくれ。とにかく、今は一度戻るよ」

「はーい」


 渋々ながらも黒衣の少女はエキドナの言葉に頷いた。彼女とて暗殺部隊に所属するアサシンだ。任務優先の姿勢は当然持ち合わせている。

 

「ねえ、エキドナ。ニュクスの暗殺対象って誰だっけ?」

剣聖けんせいフォルス・ルミエールが嫡女ちゃくじょ、ソレイユ・ルミエール。あのニュクスが一度仕損じた相手だし、かなりの使い手なのは間違いないだろうね」

「そいつが死んでくれないから、ニュクスはなかなか帰ってこれないわけか」

「そう焦らなくても、ニュクスはそのうち戻って来るさ。彼は『英雄殺し』と呼ばれる暗殺部隊最強のアサシンだよ」

「心配はしてないよ。ただ、少しだけむかついてるだけ」

「何に?」

「ニュクスが他の女に執心しゅうしんしていることに」

「執心といっても、それは殺すためのものだろう?」

「それでも嫌なものは嫌。どんなものであれ、ニュクスの感情は私だけのもの」

「ニュクスは幸せ者だな。ロディアにこれだけ愛してもらえて」


 皮肉交じりに苦笑を浮かべて、エキドナは大仰おおぎょうに肩を竦めた。

 ロディアは執心という言葉を使ったが、それはむしろロディアにこそ相応しい言葉だ。

 ロディアにとって、ニュクスは世界の全てなのだから。


「うん。私、ニュクスのことが大好き!」


 ロディアの浮かべる満面の笑みには、所有欲にも似た狂気的な感情が見て取れた。同じ笑顔でも、ニュクスが絵画に残した笑顔とは質がまるで異なる。

 

 あの頃のロディアはもういない。

 あの頃のような、純粋で穏やかな笑みを浮かべてくれるロディアは、もうどこにもいない。

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