第66話 決着の時

「傷を負うこともいとわずに剣を振るう戦乙女か。美しいな」


 ソレイユの斬撃が額をかすめ、傷口から滴り落ちる血液が顔面を濡らしているというのに、キロシス司祭は狂気的な笑みを浮かべて戦いを楽しんでいる。ソレイユと何度も切り結び、すでに全身傷だらけだというのに、キロシス司祭の攻撃は衰えを知らない。キロシス司祭にとって痛みとは、殺し合いという名のショーを盛り上げる重要な要素の一つだ。受け入れることはあっても拒むことなどない。

 

「いかれていますね」


 頬を滴る血液を手の甲で拭いながら、ソレイユは淡々と軽蔑けいべつする。

 ソレイユの全身には無数の細かい切り傷が生じており、濃紺のうこんのジャケットにはにじみだした血が所々に赤い染みを作っていた。

 全身の切り傷は鍔迫つばぜり合いで密着した際に、キロシス司祭が斬撃を発生させるラーミナの魔術を発動し、自分もろともソレイユを切り刻んでつけた傷だ。ソレイユが一瞬でも痛みに怯んだのなら、その隙をついてファルシオンで致命傷を与える算段だったのだが、ソレイユは隙を見せるどころか呼吸一つ乱さず、致命傷となる可能性のあるファルシオンの斬撃のみを冷静にさばききった。最後には反撃でキロシス司祭の額を裂くというおまけつきだ。

 ソレイユはキロシス司祭をいかれていると評したが、キロシス司祭から見たら、可憐な少女の姿をしておきながら、冷徹なまでに自身の傷の痛みに無関心になれるソレイユだって相当いかれている。こういった境地は本来、10代の少女がたどり着けるようなものではない。


「……終わりは近いか」


 アンゲルス・カーススの力が弱まってきていることを召喚者であるキロシス司祭は感じていた。召喚した魔物が消滅した際の魔力消費は、存在を維持している時の比ではない。そうなればまともに戦闘を続けることは困難となってしまう。残された時間は多くはない。

 すでに作戦を完遂することは不可能。ならばせめて、将来的に大きな脅威と成り得る可能性を秘めた目の前の少女だけは絶対に始末しなくてはならない。


「グロブス!」


 キロシス司祭がソレイユの頭を目掛けて放った光弾を、ソレイユは最小限の首の動きだけで回避、そのまま一気に間合いを詰めてタルワールでぐ。切っ先が腹部を掠めて血が舞ったが、キロシス司祭は怯まずにソレイユ目掛けてファルシオンを振り下ろした。


「ラーミナ!」

 

 ソレイユが咄嗟にタルワールでファルシオンを受け止めた瞬間、キロシス司祭は再びラーミナを発動。自分の体ごとソレイユの体が切り刻んだ。激しい血飛沫ちしぶきが舞い散るが、両者とも剣に込める力は絶対に緩めない。




「こいつまだ生きてるぞ!」

「全員距離を取れ!」


 大通りへと墜落したアンゲルス・カーススがのたうち回り、周辺の建物を破壊した。近くにいた騎士や傭兵達は尾などに巻き込まれないように慌てて距離を取る。

 アンゲルス・カーススは体の損傷が激しい。苦し紛れの悪あがきだが、強大な力を持つ暴虐竜ぼうぎゃくりゅうのそれは決して油断出来るものではない。


「不味いぞ。こんな場所であの空気の塊を吐かれたら!」


 弓兵のロブソンが焦りから声を荒げる。

 アンゲルス・カーススは地面目掛けてテルムを吐き出そうとしている。こんな至近距離でテルムを吐き出されたら、大通り全体が壊滅してもおかしくない。アンゲルス・カーススは大通りにいる全員と刺し違えるつもりなのだろう。


「固いか……」


 ロブソンがアンゲルス・カーススの頭部目掛けて矢を放つが硬質な鱗の鎧は健在で、金属音と同時に簡単に弾かれてしまった。

 アンゲルス・カーススに止めを刺そうと、リカルドやガストンらを筆頭に数名の騎士や傭兵が至近距離から攻撃を仕掛けるが、有効打を与えることは出来ない。


「止めを……」


 ファルコがテンペスタを手に大通りへと下りようとするが、負傷に加えてテンペスタを投擲とうてきした際の反動で体がすでに限界を超えていた。足元が覚束ない。


「こんな時に……」


 ついには立っていられずに膝をつき、口元からは血が滴り落ちた。


「ギラ、ドルジア。我々も行くぞ!」


 これ以上ファルコに負担をかけるわけにはいかない。

 ジルベールがギラ、ドルジアと共に大通りへと駆け下りリカルド達に加勢したが、アンゲル・カーススはすでにテルムを吐き出す寸前であった。




「最期に君のような強者と戦えて楽しかったよ――」


 血塗れの顔をつき合わせ、キロシス司祭は不敵に笑った。

 このまま至近距離で、爆発を発生させる魔術エールプティオを発動。ソレイユを道連れに自爆するつもりだ。

 しかしその狙いはソレイユも読んでいた。これまでのキロシス司祭の殺意は、自傷を伴いながらもソレイユだけに向いていた。だが今回の司祭の殺意はソレイユだけではなく自分自身にも向いている。だとすれば狙いは、道連れ覚悟の自爆以外にありえない。

 

「あなたと心中するのは御免です!」

「むっ!」


 ソレイユの行動は早かった。剣を交えたまま、自由の利く右足でキロシス司祭の腹部を勢いよく蹴り飛ばして距離を取る。強烈な蹴りをくらったキロシス司祭は路地裏付近まで後退した。


小癪こしゃくな真似を――」




「団長、あれ」

「どういうことだ」


 ジルベールとギラが同時にアンゲルス・カーススへと斬りかかった瞬間にそれは起こった。

 テルムを吐き出そうしていたアンゲルス・カーススが突然苦しみだし、損傷の激しい腹部や翼部を中心に黒化、それが全身へと広がっていく。

 傭兵や騎士たちの攻撃はまるで効いていなかった。いかに体を大きく損傷していたとはいえ、こんなにも唐突に限界を迎えるとは思えない。

 アンゲルス・カーススはテルムを吐き出すことが出来ぬままついに黒化が全身にまで広がり、断末魔の甲高い悲鳴を上げながら霧散むさんし消滅した。後には何も残らず、まるで全てが夢の中の出来事だったかのようだ。

 

 あまりにも突然の出来事に、その場にいた人々は直ぐには状況を飲み込めず、大通りを一瞬の静寂せいじゃくが包み込んだ。


「翼竜の親玉が消滅した! 俺達は勝ったんだ!」


 大通りを吹き抜けるそよ風が頬をで、人々の意識を覚醒させる。アンゲルス・カーススの消滅――勝利を理解した瞬間、大通り中から大きな歓喜の声が上がった。




「何……」


 アンゲルス・カースス消滅の原因は召喚者であるキロシス司祭側にあった。キロシス司祭の胸部からはククリナイフの先端が覗き、傷口からは鮮血が滲みだしている。背中から心臓を一撃されたのだ。

 キロシス司祭の背後には、路地裏から姿を現したニュクスが立っていた。鐘楼しょうろうの崩落に巻き込まれた影響で、体中に打撲や出血の跡が見受けられる。


「……ナイフ使いの……少年か……」

「お嬢さんに執着し過ぎたな。あんたの意識の中に少しでも俺の存在が残っていたなら、手負いといえでも背後を取るのは難しかったはずだ」


 鐘楼の崩壊から生還したニュクスは、キロシス司祭を確実に殺せる機会をうかがっていた。ソレイユを殺すことだけに執心しゅうしんし、ニュクスという存在が希薄きはくになっていた今はまさに好機。意識外の人間からの予期せぬ一撃は、完全にキロシス司祭の上を行っていた。


「……少女よ……君は少年が来ることを……予期……していたの……か?」

「はい。彼は私を殺そうとする人間を許しませんから。これが一対一の勝負だと思っていたのは、あなただけですよ」

「……自信家は……私の方……だったか……」


 瞬間、ニュクスがキロシス司祭の心臓からククリナイフを引き抜き、キロシス司祭の体は盛大に鮮血を撒き散らしながら地面へと伏した。その体を痙攣けいれんを残すのみで、もう言葉を発することはない。

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