第65話 穿(せん)

「シモン……」


 ファルコは地面へと墜落したシモンの下へと駆け寄りたい衝動に駆られたが、今はまだ戦闘中だ。シモンが命懸いのちがけで作り出してくれたチャンスを活かさなければいけない。チャンスを無駄にしてしまっては、それこそシモンに対する冒涜ぼうとくだ。


「ジルベールさん、奥の手を使います。少しだけ時間を稼いでもらえませんか」

「奥の手とやらがどんな物か知らんが、そんな体で大丈夫なのか?」

「戦場で傭兵が命をける。当たり前のことじゃないですか」

「愚問だったな。了解した」

「ありがとうございます」


 力強く頷くと同時に、ファルコは上段でテンペスタを逆手に持ち、投擲とうてきの構えを取った。

 構えると同時にファルコの周辺に風が渦巻いていく。暴竜槍ぼうりゅうそうテンペスタのシンプルかつ最も強力な攻撃。それは強烈な風をまとい、勢いよく射出する投擲だ。アンゲルス・カーススの片翼を裂き、機動力を低下させた今なら地上からでも狙えるはず。傭兵や騎士たちの活躍もあり、アンゲルス・カーススが盾として使える翼竜の数も随分と減った。試してみる価値は十分にある。

 当然ファルコの体へとかかる負担は相当なもので、満身創痍まんしんそういの現状では命に関わる危険性もあるが、ファルコの目には一切の迷いが無かった。

 

「暴竜槍テンペスタ。お前の全力を僕に寄越せ」


 ファルコの言葉に呼応するかのようにテンペスタの赤い妖艶ようえんに輝き、纏いし風の勢いもどんどん強くなっていく。


「ギラ、ドルジア。もうひと踏ん張りするぞ」

「了解だよ、団長。あたしたちに任せて」

「まあ、何とかなりますよ」


 ジルベール、ギラ、ドルジアの三人はファルコを守護するために三方向へと展開、それぞれ翼竜を迎え撃った。

 上空ではファルコの纏う雰囲気に脅威を感じたアンゲルス・カーススが、危険を排除すべくテルムを吐き出そうとしていたが、


「こっちを向けよ」


 ファルコが片翼を裂いた甲斐かいもあり、アンゲルス・カーススの高度は射撃の届く位置まで降下している。ジルベール傭兵団のロブソンを筆頭に、地上の弓兵や魔術師達が自らの危険も顧みずに射撃でアンゲルス・カーススの注意を引きつける。


 わずらわしく思ったアンゲルス・カーススが大通りの方を見下ろし、テルムを吐き出そうとした瞬間、


「シモン・ディフェンタール。お前の真似をさせてもらうぞ!」


 リカルドが、イルマがスカーラエの魔術で生み出した風の階段を駆け上がり、モーニングスターでアンゲルス・カーススの右側頭部を一撃、シモンの時よりも強力な衝撃をくらい、アンゲルス・カーススの吐き出したテルムの軌道は大きく逸れ、空中へと消えていった。

 怒り狂ったアンゲルス・カーススが、空中に無防備に体をさらすリカルドを鋭利な前足の爪で裂こうとしたが、


「やらせん!」


 やや遅れて風の階段を駆け上がって来た重装のガストンが怪力で槍を投擲、アンゲルス・カーススの前足を弾き、リカルドへの直撃を防いだ。


「――そよ風の祝福、それ即ち慈愛の衣――温柔おんじゅう招来しょうらいレクトゥス」


 そのまま地表目掛けて自由落下した二人の体を、イルマは魔術で発生させた風のクッションで包み込んだ。落下の衝撃は最小限に抑えられ、二人に大きな怪我はない。

 

「ジルベールさん達。衝撃に備えて!」


 十分時間は稼げた。ファルコの言葉を受け、ジルベールたち三人はその場で姿勢を低くし身構えた。ファルコを中心に、集合住宅の屋上には台風のように強烈な風が吹き荒れている。


穿うがち進め! テンペスタ――」


 暴風の如き勢いでファルコの手元からテンペスタが投擲され、その衝撃で建物全体が大きく揺れる。床面は豪快に剥がれ飛んだ。

 投擲されたテンペスタは自らが発生させた風を纏い、高速回転しながらさらに加速。アンゲルス・カースス目掛けて驚異的なスピードで突き進んでいく。


 機動力が弱り回避を諦めたアンゲルス・カーススは配下の翼竜を全てテンペスタ射線上へと呼び寄せ、肉の盾とすることでテンペスタの勢いを弱めようと考えたようだが、


「翼竜が消滅した」


 大通りにいた者達が困惑気味に空を見上げる。

 唐突に、テンペスタの射線上にいた十数体の翼竜が煙のように姿を消したのだ。


 同時刻、中央区北の書店――パージュ・ド・ティットル内では、2名の黒いローブの男を撃破したクラージュとリスが地下書庫の最深部へと踏み込み、そこで召喚術を使用していた8名の召喚者全員を無力化していた。これをもって、アンゲルス・カーススを除く街中の全ての翼竜が同時に消滅した。

 

 翼竜の盾が消失したことで、投擲されたテンペスタは勢いを削がれることなくアンゲルス・カーススへと接触。その硬質な鱗の鎧を一瞬で抜き、右斜め下から腹部へと侵入。勢いそのままに背面まで貫通し、右翼の付け根から脱出した。強力な回転が加わったテンペスタに穿たれ、アンゲルス・カーススの胴体には巨大な風穴が空く。残る右翼も奪われたことでアンゲルス・カーススは飛行を維持することが出来ず、大量の血液を撒き散らしながら大通り目掛けて落下。影の下にいた騎士や傭兵達が全速力でその場から退避した。

 

 アンゲルス・カーススが大通りへと落下した衝撃で大地が揺れ、大きな土煙が巻き起こる。幸いなことに迅速じんそくな退避行動により、アンゲルス・カーススの巨体に巻き込まれた者はいない。


 遥か上空から暴虐の限りを尽くしていたアンゲルス・カーススは制空権を失い、ついにグロワールの地へとまみれた。

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