第57話 今は死ねなかったのだから、今は生きてくれ

「ファルコさん……あなたは一体」


 地面へとへたり込んでいるヴァネッサは、魔槍まそうを構えるファルコの姿を困惑気味に見上げていた。あの美しい銀色の翼竜を見た瞬間、ようやく自分は死ねるのだと安堵した。例え誰かが自分を助けようとしても、あんなにも大きくて凶悪な翼竜の攻撃を阻止することなんて絶対に出来ないはず――出来ない筈なのに、ファルコ・ウラガ―ノという男はそれを軽々と成し遂げてしまった。口先だけではない。「絶対に死なせない」という言葉を、彼は有言実行してみせたのだ。


「ヴァネッサ、君はこの場では死ねなかった。ここで死ぬ運命ではなかったということだ」

「運命?」

「死にたいという君の意志を変えることは簡単ではないだろう。生きていれば良いことがあるなんて、軽々しく綺麗ごとを吐くつもりない。だから僕は事実だけを告げる。今は死ねなかったのだから、今は生きてくれ」

「ファルコさん……」


 微笑みながらヴァネッサの頭を優しく撫でると、ファルコは勢いよく跳躍ちょうやく、空中の何もない場所を足場にして再度跳躍し、上空へと撤退したアンゲルス・カーススの姿を追った。


「魔槍か。まさか500年が経った今でも現存していたとは」

「敵を前に悩みごととは、随分と余裕ですね」

「おっと失礼。戦闘中にほうけるなど、私らしくなかった」


 などと軽口を叩きながら、キロシス司祭は軽やかなバックステップでソレイユの一閃を回避した。

 無傷のファルコと彼の握る魔槍の存在に驚き、一時的に心を乱されたが、キロシス司祭はすでに冷静さを取り戻していた。仮にあの魔槍が本物だとしても、現代の戦士に使いこなせるとは思えないし、いかに魔槍とはいえ、単騎で暴虐竜アンゲルス・カーススを倒すことは難しいだろう。

 敗北の可能性があるとすれば、それは召喚したキロシス司祭自身がたれ、アンゲルス・カーススの存在が消失してしまうこと。動揺し隙など見せている場合ではない。アンゲルス・カーススの存在を維持し続けることこそが、キロシス司祭の最大の攻撃でもあるのだ。


「ラーミナ」

「詠唱破棄ですか」


 魔術によって周辺に発生した斬撃をソレイユはタルワールで一閃。より強力な斬撃で斬撃を打ち消すという力技で状況を制した。


「可愛い顔をして豪胆ごうたんだな」

「戦士としては、最高の褒め言葉ですね」


 鬼神の如き勢いでソレイユは猛追。目にも留まらぬ連撃がキロシス司祭へと襲い掛かる。

 速いだけではなく一撃一撃がとても重い。一度でも肉へと触れれば、瞬く間に反対側まで両断されてしまうことだろう。


「その若さで大したものだ!」


 そんな一撃必殺の太刀を一度も体へ浴びることなく、キロシス司祭は全てをファルシオンで流し切った。戦闘狂の血が騒いでいるのだろう。ニュクスと対峙した時と同等か、それ以上に気分が高揚していた。じきにこの場を離れることになる。楽しむなら今の内だ。


 ――そこだ!


 だが、この場にいるのはソレイユだけではない。キロシス司祭の意識がソレイユへと向いている隙をついて、ウーが背後から頭部目掛けて無音で矢を討ち放ったが――


「レフレクシオ」

「えっ?」


 キロシス司祭が言の葉を唱えた瞬間、接触直前の矢の向きが突如として反転。まったく同じ速度で、ウー目掛けて飛来した。


「危ない――」


 クラージュがその大柄な体で咄嗟とっさにウーを庇った。強烈な矢の一撃は重装の鎧をも突き破り、クラージュの左肩へと深く突き刺さった。クラージュは痛みに微かに顔を歪めたが、ウーには怪我が無いと分かり、それは直ぐに安堵の表情へと変わった。


「クラージュ! 大丈夫?」

「この程度大したことはない。それよりもあの傷の男、かなり厄介だな」

「あのタイミングなら、確実にやれると思ったのに……」


 ウーが悔しさを隠し切れずに唇を噛みしめた。キロシス司祭を仕留められなかったこともそうだが、反射されたとはいえ、自身の放った矢が愛する男を傷つけてしまったという事実が何よりもショックだった。


「いい射手を持っている。姿の見えぬ位置からの狙撃だったなら、あるいは私は射止めることが出来たかもしれぬ」


 キロシス司祭の勘の良さの正体は、瞬間的に状況を理解する高い空間認識能力と、状況に即座に対応する驚異的な反射神経だ。ウーとクラージュは召喚者達を討つために食堂内に姿を晒した。その時点で2人の存在はキロシス司祭の認識の中。攻撃に対処することは容易だった。これが予期せぬ場所からの攻撃であったなら、あるいは今の一撃で決着をつけることも可能だったかもしれない。


「ならば、正面から切り伏せるまでです!」

「死力を尽くして殺し合うのも面白そうだが、生憎あいにくと時間切れだ――」


 ソレイユのいだタルワールをキロシス司祭がファルシオンで受け流した瞬間、野ざらしとなった食堂内に突如として上空から三体の翼竜が降下してきた。その内の一体がソレイユとキロシス司祭の間へと割って入る。


「翼竜、まだ残っていたのですか」


 ソレイユは噛みかかってきた個体の首を一撃でね飛ばし、その体は一瞬で黒く霧散した。しかし、この個体ははなから囮だったらしい。隙をついてキロシス司祭が別の翼竜の背へとまたがり、キロシス司祭を乗せた翼竜は勢いよく飛翔した。


「行かせない!」


 すでに近接武器の届かない位置までキロシス司祭を乗せた翼竜は上昇している。今度は外すまいと、ウーはキロシス司祭目掛けて矢を三連射した。狙いは完璧だったが、別の翼竜が肉の壁として立ち塞がり、一身に三本の矢を引き受けたことで、キロシス司祭へは攻撃が届かなかった。


 個人的な趣向しゅこうは置いておくとして、キロシス司祭にはこれ以上、食堂内でソレイユ達と戦い続けるメリットはない。アンゲルス・カーススの召喚に成功した後、この場を離れることも計画に含まれていた。

 今回現れた三体の翼竜は、近くに待機させていたアマルティア教団の召喚者達が、ノタを使用せずに正規せいきの方法で召喚した個体だ。故に命令に対して忠実で、統率の取れた行動が可能だった。ノタによって遠隔召喚された翼竜たちを本能のおもむくままに暴れさせる。これには破壊活動の他に、街に出現した全ての翼竜には理性的な行動は不可能なのだと相手側に思い込ませる狙いもあった。本能のままに暴れるとばかり思っていた翼竜の中に理性的な行動を取る個体が出現したなら、それが戦場に動揺を生むことになるからだ。実際今回ソレイユ達は、翼竜がキロシス司祭の救援にやってくるなどまったく想像していなかった。翼竜の襲来を予測していたなら、キロシス司祭の逃走を許すことはなかったかもしれない。


「私は傷の男を追います。彼を討てばアンゲルス・カーススも消滅するはずです。ファルコの持つ魔槍が本物だとしても、単身でアンゲルス・カーススの相手をするのはかなりの負担でしょう。大本であるあの男を討つに越したことはありません。幸いなことに遠隔召喚は使用されていない。召喚を維持するため、そう遠くには逃げられないはずです」


 ソレイユはタルワールに付着した翼竜の血を払い、一度鞘へと納めた。

 

「クラージュ、怪我は大丈夫ですか?」

「戦闘には支障ありません」


 クラージュが力強く頷く。出血を抑えるため、矢はあえて抜かずにそのままにしておいた。幸いなことに利き腕は無事なので戦闘の続行は可能だ。


「クラージュとウーは通りで待機しているリスと合流して、残る翼竜と召喚者の排除をお願いします。どうやら劇場とこの食堂以外にも、まだ教団の人間が潜伏しているようですから」


 だいぶ数は減ったが、未だに上空には複数の翼竜の姿が確認出来る。どうやらまだ生き残りの召喚者がどこかに潜んでいるらしい。キロシス司祭やアンゲルス・カーススはもちろんのこと、全ての召喚者と翼竜を無力化しなくては、危険の完全排除とはいかない。


「承知しました。ウーも問題ないな?」

「もちろん。何なら、クラージュは休んでいてもいいんだよ」

「馬鹿をいえ。お前の選んだ男は、そんなに怠惰たいだな人間だったか?」

「言うね! 惚れ直した」


 クラージュは傷の痛みをまったく感じさせず、ウーも沈んでいた気持ちを完全に吹っ切ったようだ。

 二人の気合いは十分だった。


「あの赤毛の女性のこともしっかりと守ってあげて。詳しい事情までは分からないけど、ファルコが全力で守ろうとした人だから。彼女の身に何かあったら、ファルコに会わせる顔がない」

「分かりました。彼女の身の安全も、私たちがしっかりとお守りします」


 ウーが力強く頷いた。魔槍を抜き、伝承の魔物に果敢に立ち向かって行ったファルコの姿に感じるものがあったのは、ウーやクラージュも同じだ。


「絶対に勝ちましょう」


 覚悟を新たにソレイユはキロシス司祭の後を追い。クラージュとウーはその場に残り、手始めに上空より飛来した、三本の矢が突き刺さった翼竜を迎え撃った。

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