第56話 テンペスタ

「パリエース」


 アンゲルス・カーススとファルコが接触した瞬間、これまでで一番激しい衝撃波が発生し、土煙と共に辺り一面へと襲い掛かった。キロシス司祭は咄嗟とっさに、他の翼竜の召喚を維持し続けている召喚者たちを魔術で作り出した透明な壁で覆う。召喚者たちは崩壊した屋根の破片が体に突き刺さっても変わらずに集中を続ける猛者もさぞろいではあるが、これ以上の外的要因にまで耐えられる保証はない。


「部下想いですね」

「何?」


 不意に、土煙に紛れて剣士のシルエットが正面からキロシス司祭目掛けて斬りかかった。キロシス司祭はファルシオンを抜いて正面からの一撃を弾き返したが、意識がそちらへ集中したせいで、召喚者達の周辺に展開された魔術の壁がほころんでしまう。


「があっ――」

「うぐっ――」


 5名の召喚者は短い悲鳴を上げ、ことごとく意識を刈り取られていった。

 その背後にはバトルアックスを担いだ大柄な騎士と、弓を構えた細身の女性のシルエットが見て取れる。


「少女よ、お前は何者だ?」


 土煙が晴れ、自身と相対する剣士の姿をキロシス司祭は初めて目視した。

 美しい藍色あいいろの髪を持ち、蝶の刺繍ししゅうが施された紺色のジャケットを身に着けた少女は、その可憐な印象とは不釣り合いな凶器然きょうきぜんとしたタルワールを得物えものとしている。


「ソレイユ・ルミエール。あなたに敗北の屈辱くつじょくを与える者の名です」

「その名には聞き覚えがあるぞ。確か、アリスィダを討ち取った娘だったな」

「直接討ち取ったのは私ではありませんよ。まったく、彼はどこで油を売っているのか」


 この場にいないニュクスの顔をソレイユは思い浮かべる。重要な局面で逃げ出すようなタイプではない。きっと今は、直ぐには合流出来ない状況に置かれているのだろう。


「残念だが少しだけ遅かったな。私がアンゲルス・カーススを召喚する前ならば、勝機もあっただろうに」

「……アンゲルス・カースス。最初は我が目を失いましたが、やはりあの銀色の翼竜は伝承の魔物」

「その通りだ。見てみろ! あの槍使いは愚かにもアンゲルス・カーススのにえに――」


 驚愕したのはキロシス司祭の方であった。

 土煙が晴れ、食堂内の様子が露わになった。そこにはアンゲルス・カーススによって食い殺された、男女の惨たらしい残骸が残されている――はずだった、


暴虐ぼうぎゃくの竜よ。その程度か?」


 衝撃の中心にいたファルコとヴァネッサは五体満足で生存していた。腰を抜かしてへたり込んでいるヴァネッサをかばうようにしてファルコは槍を突き上げ、その穂先ほさきでアンゲルス・カーススの硬質な頭部を受け止めていた。アンゲルス・カーススには全体重に加え、急降下の勢いも乗っていたはずなのに、ファルコはそれを槍一本で支えている。これは明らかに筋力きんりょく云々うんぬんというレベルではない。その証拠に、槍の穂先はアンゲルス・カーススの頭部に直接触れてはいない。数センチの隙間には、目に見えて分かる強烈な風の流れが確認出来る。

 

 ファルコの握る長槍からは、神々しさと禍々しさが混在したような、異質な雰囲気が漂っていた。 

 柄は傷一つない美しい漆黒しっこくで、独特な艶感つやかんからは妖気にも似たこの世ならざる気配が滲み出ている。石突いしづきの部分には竜の紋様が施された金色の装飾に覆われていて、さながら柄の妖気を抑え込む封印のようにも見える。

 何よりも特徴的なのは、血のように真っ赤に染まった鋭利な穂(槍の先端)。硬質そうな素材だが金属製ではない。刃は細かく不規則なギザ刃状となっており、見かたによっては槍の形状をしたのこぎりのようでもある。


「あの槍は……まさか!」


 その独特な形状の槍の存在をソレイユは知っている。他でもない、自身の家系の成り立ちとも大きく関係している英雄騎士アブニールの伝承に、ファルコが握るのとよく似た槍と、それを所有していた一人の英雄に関する記述が存在するためだ。


 英雄の名は、アークイラ・コルポ・ディ・ヴェント。

 500年前に英雄騎士アブニールと共に魔の軍勢へと立ち向かった影の英雄の一人で、「戦塵せんじんを払いし疾風しっぷう」の異名を持つ槍使いである。

 寡黙かもくだが、平和を何よりも愛する心優しい人物で、傭兵として大陸中を旅しながら、魔の軍勢の脅威に苦しめられている人々を、決して見返りは求めず、純粋な正義感で救ってきたとされている。アブニール率いる虹色の騎士団へと加わり魔の軍勢との戦いを終えた後は、他の影の英雄と同様に歴史の表舞台に姿を現すことは無かったが、アブニールと出会う以前のアークイラの活躍は、彼に救われた人々の間で語り草となっており、傭兵としてのアークイラ・コルポ・ディ・ヴェントの名は、彼をモデルとした創作の物語として現代にまで伝わっている。それは、ソレイユがルミエール領を発つ少し前に町の子供達に読み聞かせていた物語でもある。


 アークイラは二本の槍を持つ傭兵として有名であったが、二本を同時に使用したことはなかったそうだ。普段から使用していた一本は、一般的な素材を利用した何の変哲もない短槍。そして、普段は背に携帯しており滅多なことでは抜くことがなかったとされる二本目の槍。それは、かつてアークイラが仲間達と共に命をけて討ち取った凶暴な飛竜――天暴てんぼう竜アドウェルサの亡骸なきがらから採取した骨や牙を素材として作られた魔槍まそうだ。槍としての性能はもちろんのこと、この魔槍には天暴竜アドウェルサが持っていた能力がそのまま宿っており、もはや武器の範疇はんちゅうを越え、兵器とでも呼ぶべき代物しろものであったと伝わっている。


 天暴竜アドウェルサを素材として作り出された魔槍。その名は――


「行くぞ、暴竜ぼうりゅうそうテンペスタ!」


 ファルコが力強く魔槍――暴竜槍テンペスタの名を叫んだ瞬間、槍を中心に強烈な風の流れが発生。アンゲルス・カーススの巨体を遥か上空へと押し戻した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る