第55話 暴虐竜アンゲルス・カースス

「――降誕こうたんせし銀翼ぎんよく執行人しっこうにん


 キロシス司祭の詠唱が終盤へと差し掛かり、魔術師ではないファルコでさえも不快感を感じる程に空間がよどむ。ヴァネッサの胸元のノタの発光もさらに強まっており、召喚の時が近いのは誰の目にも明らかだった。


「やらせるか!」


 ファルコが槍を抜いてキロシス司祭へと迫る。これまでの例に習うなら、ノタをかいした召喚が行われてしまえば、目印となるノタを所有していた人間は召喚された存在にその命を食い潰される。それだけは何としても阻止しないといけない。ましてや今回の召喚は今までのそれとは明らかに威圧感が異なる。非常に危険な存在の襲来を予感させる、とても嫌な雰囲気だ。


「キロシス様の邪魔はさせぬ!」


 キロシス司祭自らが召喚術を唱える。これは教団側の作戦が最終段階へと突入したことを意味していた。ファルコの殺気に圧倒されていた5名の黒いローブの男たちも覚悟を決め、獅子奮迅ししふんじんの如くいっせいにファルコ目掛けて襲い掛かった。

 だが、勢いづいたのはローブの男達だけではない。ヴァネッサを絶対に死なせたいと己に誓ったファルコもまた、強い覚悟をその瞳に宿している。

 

「どけよ」


 ドスの聞いた低音と共にファルコが槍を突き出した瞬間、正面から迫ったレイピア使いの心臓に風穴が空いた。ひねりを加えた強烈な突きで円形に穿うがったことで、槍は肉や骨に引っかかることなく、あっさりと亡骸なきがらから抜けた。故に隙はまったく生じていない。

 すぐさま槍を振り抜き右側面から迫っていた二人の胸部を裂き、撃破。その隙をついて後方から迫ったメイス使いには、一度も振り返らぬまま後方へと石突いしづき(刃と逆側の先端)を頭部目掛けて打ち出し、頭蓋ずがいを粉砕してやった。


「――あか塵芥ちりあくたを――」


 黒いローブの男達は時間稼ぎの役割をしっかりと果たした。間もなく、キロシス司祭の詠唱は終了する。


「まだだ!」


 斬りかかっていては間に合わない。ファルコは咄嗟とっさにキロシス司祭目掛けて槍を投擲とうてきした。武器を手放すことは本来は愚策ぐさくだが、現状、召喚を食い止めるにはこれしかない。


 しかし――


「……後は頼みましたよ……キロシ……」


 咄嗟に割り込んできた黒いローブの男がキロシス司祭をかばい、その心臓にファルコの投擲した槍が突き刺さった。肝心のキロシス司祭は一切集中を乱すことなく詠唱を完了させた。


銀影ぎんえい召喚しょうかん! アンゲルス・カースス」


 瞬間、空間そのものが大きく震動し、ヴァネッサのぶら下げていたノタが革ひもを引き千切り、食堂の屋根を突き破って空高く飛翔した。

 食堂上空にこれまでで一番巨大な黒い魔法陣が発生、魔法陣から現れた巨影きょえいが羽ばたいた瞬間、食堂の屋根が豪快に吹き飛んだ。


 開放的となった食堂からは、上空に出現した巨大な銀色の翼竜の姿が望めた。

 街中に出現している翼竜の倍近い巨大な体躯たいくを持ち、金属光沢に似た輝きを放つ、無数の銀色の鱗で全身が覆われている。色味も相まって、まるで堅牢けんろうな金属製の鎧に全身を守られているかのようだ。

 瞳は紅玉こうぎょくのような鮮やかな紅色に染まっており、牙や、頭部から尾にかけて連なる何十本もの角は、鋭利で暴力的なフォルムへと研ぎ澄まされている。体全体が凶器で出来ているかのようだ。


 暴虐ぼうぎゃく竜アンゲルス・カースス。


 この銀色の翼竜は、かの英雄騎士アブニールの伝承にもその名が登場する高位の魔物だ。野生に生息している他の竜種とははるかに格が違う。

 500年前には邪神の尖兵せんぺいとして大陸中の村や街を襲撃し、多くの人々の命を奪ってきたという暴虐の魔物。その災禍さいかを、キロシス司祭は現代に再現しようとしていた。


 その最初のにえは、


「喜べ娘よ。望み通り、お前には死が訪れる」


 再び現世へと顕現けんげんした暴虐竜は、最初の獲物として召喚のしるべを身に着けていた赤毛の女性へと狙いを定めた。


 暴虐竜アンゲルス・カーススが、上空から食堂のヴァネッサ目掛けて急降下を始める。

 

綺麗きれい……」


 ヴァネッサは崩壊した屋根の破片が頭部を直撃して流血していたが、決して膝を折ることなく運命をしっかりと受け入れ、自らを死へといざなってくれる存在を笑顔で見上げていた。


「ヴァネッサ!」


 ファルコがヴァネッサの下へと駆け寄り、目前まで迫った巨影の下へと姿を晒した。


「愚かな。自らアンゲルス・カーススの餌となることを選ぶとは」


 無謀なファルコの行動を見て、キロシス司祭が嘲笑ちょうしょうを浮かべた。

 流石は指揮官クラスの司祭。伝承クラスの魔物を召喚したというのに、多少の冷や汗を浮かべる程度の消耗しょうもうで済んでいる。

 今回の召喚はノタを使ったある種の裏技だ。遠隔召喚の効果は利用せず、通常の距離感で魔物を召喚。その上で使役するための命令権だけを破棄することで、伝承クラスの魔物を個人の魔力量だけで召喚することに成功していた。伝承クラスの魔物だ。むしろ使役しない方が、その能力を如何なく発揮してくれるというものだ。


「ファルコさん、何を――」

「僕は決めたんだ。君を死なせないと」


 力強く言い放つと同時にファルコが背に携帯していた二本目の槍を抜き、全体に巻いていた白い布を解く。これにより、かせは解き放たれた。


 同時に、アンゲルス・カーススが二人目掛けて頭上から襲い掛かった――

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