第54話 日常の象徴

「……どうしてあなたがここに?」

「友人がこの場所を教えてくれた。死にたがりは自分だけじゃないと言ってね」

「そっか、あの人が……本当にお人好し」

「そうだね。シモンは悪役を演じるには向いていなかったよ」


 ファルコは沈痛な面持ちで、中央区にある大衆食堂を訪れていた。この大衆食堂は夜には酒場へと変わり、愛嬌あいきょうのある赤毛の看板娘の接客は、傭兵達の間でもとても評判が良かった。

 そんな笑顔の絶えない明るい大衆食堂は今や見る影もない。内部は破損した木製のテーブルや椅子が散乱し、たまたま居合わせた傭兵らしき数名の屈強な男たちは無残に惨殺され、自らの血だまりへと体を沈めていた。

 周辺には祈りを捧げる6名の召喚者とそれを護衛する5名の黒いローブ姿の男の姿が確認出来る。最早この場所は馴染みの食堂などではなく、アマルティア教団の拠点の一つ化していた。


 唯一この食堂が普段と変わらなかった点は、赤毛の看板娘が客であるファルコを出迎えてくれたことだけだろう。もっとも、その顔に宿るのは愛嬌のある笑顔などではなく、絶望感故の無表情であったが。


「……ヴァネッサ。君も、アマルティア教団の協力者なんだね」

「そうですよ。出来ることなら、ファルコさんには知ってもらいたくなかったけど」


 食堂の看板娘である赤毛の女性――ヴァネッサ・ロムバウド。

 グロワールへと続く街道で野盗に襲われそうになっていた彼女の危機を救ったことが、ファルコとヴァネッサの出会いだった。

 その後もファルコはヴァネッサに街を案内してもらったり、仕事終わりにこの食堂へと足を運んだりと、知人として二人の交流は続いていた。時にはシモンも交えて3人で、笑顔で馬鹿話にきょうじたこともある。

 ヴァネッサ・ロムバウドという女性はファルコにとって、グロワールの街で過ごす日常の象徴とでも呼べる相手だ。少なくとも、このような形で向かい合うことになろうとは夢にも思っていなかった。


「貴様。邪魔建ては許さ――」

「僕は今彼女と話しているんだ。外野は黙っていろ」

「ひっ……」


 レイピアを持ったローブの男がファルコへと迫ろうとしたが、目が合っただけで心臓を潰されてしまいそうな圧倒的な殺意を向けられ、短い悲鳴と共にその場で硬直した。息が荒くなり、その頬には大量の冷や汗が伝っている。


「ヴァネッサ。どうしてアマルティア教団に協力を? これから僕が取る行動は変わらないけど、理由くらいは知っておきたいんだ」

「……もう我慢の限界だったから」


 そう言って無表情のまま、ヴァネッサは食堂のカウンターから血塗ちまみれの中年男性の首を取り出した。飛び出しそうな程に見開いた眼球と、伸び切った傷だらけの舌が苦悶くもんを物語っている。

 狂気的なヴァネッサの姿に胸を痛めながらも、ファルコは冷静に男性の首を凝視する。変わり果てた姿となってしまっているが、男性はこの店を経営する小太りの店主だった。


「食堂の店主。確か君の伯父おじさんだったね」

「……家族だと思ったことは一度もありません。母をうしなったばかりの私を、引き取ったその日に犯すような男でしたから。一人で生きていく術を持たぬ私は、この男の言いなりになる他なかった。この数年は自分で抱くだけでは飽き足らず、私の体をお金儲けにも利用するようになりました。私は酒場の仕事が終わると、今時、娼婦しょうふでも着ないような下品は服を着せられて、夜な夜なこの男と懇意こんいだった上客の下へとつかわされた。その頃を境にこの男の羽振りはとても良くなりました。食堂と酒場の稼ぎだけでは説明できないくらいにね。きっと、私の体でかなりのお金を得ていたのでしょう……この男にとって私は抱き心地の良い愛玩あいがん人形にんぎょうであり、お金を稼ぐための道具。人間扱いなんてされたことはなかった……何度死にたいと思ったことか……」

「……そんなことが」

「……私は今日、願いを叶えます」


 ヴァネッサの独白を受けたファルコは、大きなショックに絶句していた。

 彼女の境遇を考えれば、アマルティア教団に協力してしまった理由にも想像がつく。それを何よりも物語っているのは、彼女の発した「何度死にたいと思ったことか」という悲痛な言葉だ。

 ヴァネッサが抱えているのは破滅はめつ願望がんぼうなのだろう。アマルティア教団に協力した他の市民達の根底にあったのは街に対する怒り。対するヴァネッサの根底にあったのは、自身の人生に対する激しい絶望感だ。ヴァネッサは恐らく他の協力者達とは異なり、アマルティア教団に加担した者がどのような顛末てんまつを迎えるのか――これから自分がどうなってしまうのかを承知した上で行動している。何故なら、それこそが彼女の望む結末だから。


 言うなればこれは、グロワールの街全体を巻き込んだ無理心中だ。

 本来なら自らの死に誰かを巻き込もうと考えるような女性ではない。すでに限界を迎えていた絶望感と自殺願望を、アマルティア教団に利用されてしまったのだろう。

 

 しかし、自らの死を望むことが彼女自身の意志であることには何ら変わりない。

 悲しいことに、「私は今日、願いを叶えます」と口にした瞬間の彼女の表情は、これまでと異なりどことなく活き活きとしていた。


 彼女にとって『願いを叶える』=『死ねる』なのだから。

 

 ファルコの内に激しい怒りが込み上げてくる。ヴァネッサに酷い仕打ちをしてきた食堂の店主に対する怒り、彼女の抱える闇を計画に利用しようとしたアマルティア教団に対する怒り、ヴァネッサの抱える闇に気付いてあげられなかった、自分自身に対する怒り。


「どうして僕に相談してくれなかったんだ……」


 それなりに交流があったとはいえ、出会ってまだ一月も経っていない間柄だ。とても相談なんてする気にはなれなかったとは思う。無責任な発言なのは百も承知だが、それでもファルコは問わずにはいられなかった。


「言えば、私を助けてくれましたか? 今更どうしようもないですがね」

「口先だけだと思われるかもしれないけど……店主を殴り飛ばし、君を連れ出すくらいのことはしたと思う。君の言う通り、今更どうしようもないことだけど」

「……口先だけだなんて思いません。あなたはそういう人だって分かっているから。やっぱり、あなたに相談しなくてよかった」


 無感情だったヴァネッサの瞳がうるみだし、一筋の涙が頬を伝った。


「……あなたと出会う以前から私はアマルティア教団と接触し、心も決めていました。あなたに相談していたら、きっとその覚悟は揺らいでいた。私は弱い人間だから」

「ヴァネッサ……」

「ファルコさん。あの時街道で私を助けたこと、後悔していますか? 私は虐殺ぎゃくさつの片棒を担いだ大罪人ですから」

「後悔なんてしてない」

 

 ファルコは即答した。


「例えあの時点で全ての事情を知っていたとしても、僕は君を助けていたと思う。今だってそうさ。僕は君を死なせたくない」

「嬉しいけど……ごめんなさい。私にはもう、生きるという選択肢は無いの」

 

 ヴァネッサがブラウスの胸元をはだけさせ、ネックレスとしてぶら下げていた黒い宝玉――ノタを晒した。


暴虐ぼうぎゃく銀翼ぎんよく――」


 突然、ヴァネッサの背後に左頬から鼻にかけて真一文字の傷が走る男――キロシス司祭が詠唱しながら姿を現した。その表情には不敵な笑みを張り付いてる。

 詠唱に呼応するように、ヴァネッサの胸元のノタが赤く発光を始めた。

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