第53話 鐘楼戦

「よくここが分かったな」

「……勘みたいなものだ。こんなド派手な作戦を立案した奴がいるとしたら、その成果を特等席で見届けたいものじゃないかと思ってね。街全体を見渡せるこの鐘楼しょうろうは、まさに特等席だ」


 ニュクスは中央区の東側に立つ煉瓦れんが造りの鐘楼の上にいた。地上50メートルの高さを誇るこの建造物は、グロワールの街の全貌ぜんぼうを見渡せる。普段なら観光目的で訪れる者がほとんどだが、大規模な悪事を働こうとする者がその成果を見届けるためにもこの高さは最適だ。

 頂上まで階段を上って来る途中で、数名の衛兵えいへいと、たまたま居合わせたと思われる一般市民の遺体を何体か目にしてきた。とても荒々しい方法で、この特等席を確保したのだろう。


「アマルティア教団のキロシス司祭とお見受けする」


 直線面識はなくとも、ニュクスはキロシス司祭の名を知っていた。以前遭遇したアリスィダ神父は小物故にその存在を知らなかったが、キロシス司祭のような指揮官クラスの重役となれば話は別だ。筋肉質な体格と左頬から鼻にかけて走る真一文字の傷も、聞き及んでいるキロシス司祭の身体的特徴と一致している。


「私の名まで知っているとは驚きだ」


 翼竜よくりゅうの襲撃を受ける街を見渡していたキロシス司祭が、おもむろにニュクスの方へと振り向いた。名前を呼ばれたこともあり、ニュクスがただの騎士や傭兵のたぐいではないと確信したようだ。


「お前は何者だ?」

「誰でもいい。俺は故あって、今回の作戦を指揮するあなたと戦わなければいけない。悪く思わないでくれ」


 そう言って、ニュクスは二刀のククリナイフを構えた。


「灰色の頭髪に二刀のククリナイフか。確かクルヴィの子飼いに、そんな少年がいたな。まあいいか」


 不測の事態にさして驚くこともなく、キロシス司祭は状況を楽しむかのように微笑を浮かべていた。目の前の灰髪の二刀使いが想像通りの人物だとして、どうしてこのような状況になっているのかは分からない。だが、キロシス司祭にとってそんなことは正直どうでもよかった。

 ニュクスが相当な実力者であることはキロシス司祭も感じ取っていた。戦闘狂のきらいのあるキロシス司祭にとって、お客様の襲来は喜ぶべきハプニングだ。

 ショーを観覧しているだけなのにも飽きてきた。幕間劇まくあいげきに一勝負繰り広げるのも一興いっきょうだ。


「意気揚々と乗り込んできたからには、私を退屈させるなよ?」

生憎あいにくと、人様を楽しませるような剣技は持っていない――」


 瞬間、ニュクスは持ち前の俊足で一気に距離を詰め、二刀のククリナイフで切りかかった。刃には暗殺部隊特製の秘毒ひどくあらかじめ塗ってある。刃が一度でも肉を裂き、毒が血流に乗ってさえしまえばその瞬間に勝負はつく。


「いい剣速だ」


 キロシス司祭は右手で抜いたファルシオン(幅広な片刃の刀剣)で、二刀のククリナイフを弾き返した。その剣技には一切の無駄がなく、最小限の動きで最大限の防御力を発揮している。


「刃に微かに湿り気があるな。手数の多さも考慮すると、毒物を塗っていると考えるのが妥当か」

「気づくのが早いな。流石は武闘派の司祭様ってところかな」


 苦笑顔でバックステップを踏み、ニュクスは一度キロシス司祭から距離を取った。

 想像以上に厄介な相手だなというのが、ニュクスの率直な感想だ。まさか初撃で毒物のことまで見抜かれるとは思っていなかった。

 キロシス司祭という男はとにかく勘がいい。そもそもニュクスは当初、不意打ちによる一撃必殺で決めるべく、気配を消してこの鐘楼を上って来たのだが、その存在に勘づいていたらしいキロシス司祭はニュクスが鐘楼を上り切った瞬間に、「よくここが分かったな」と言葉をかけてきた。それによりニュクスの目論見は外れ、予期せぬ問答の末に真正面からの戦闘へと発展したわけだ。


 さらに厄介なのは、アマルティア教団の司祭である以上、その能力は優れた剣技だけには留まらないということだ。


「グロブス」

「詠唱無しか」


 不意にキロシス司祭はローブの中に隠していた左手の指先から、詠唱と共に光の弾丸を撃ち放った。眉間目掛けて襲来した光弾を、ニュクスは咄嗟に右手のククリナイフで弾き、軌道を逸らした。


「驚いたな。予見せずに、咄嗟とっさの反応だけで今の一撃をしのいだのか」

「詠唱無しの魔術は見慣れてるんでね」


 ニュクスは心の中で、この場にいない天才眼鏡っ娘魔術師に感謝していた。この一カ月間、リスの魔術を間近で感じていたおかげで、魔術は詠唱無しで飛んでくる可能性があるものだという認識が体に染みついていた。それがなければ、もう少し反応が遅れていたかもしれない。


「面白いぞ、少年!」


 声高に笑うと、キロシス司祭は間合いを詰めると同時にファルシオンをいだ。鐘楼の頂上は狭く、ニュクスにはこれ以上後退出来るスペースが存在しない。


 二刀で受け止めるのが無難に思えたが、ニュクスの勘がそれを良しとはしなかった。


「よっと」


 ニュクスは咄嗟に身を屈めてファルシオンの一撃を回避、刃が頭上を通過する。そのまま前方へと転がり込み、起き上がった瞬間、コートの中に忍ばせていたダガーナイフを4本、キロシス司祭目掛けて抜き放った。


「ラーミナ!」


 キロシス司祭の周囲に発生した斬撃が防壁となり、飛来した4本のダガーナイフをことごとく叩き落とした。キロシス司祭の体はまったくの無傷だ。

 同時に、キロシス司祭の攻撃の瞬間、回避を選択したのは正解だったとニュクスは確信した。あのまま刃を受け止めていたら、回避不能な状況で、至近距離から魔術の一撃を受けていたかもしれない。相手は剣技の最中でも、言の葉一つで魔術を繰り出すことが出来るのだから。


「投げナイフの方も毒塗りか。叩き落として正解だった」

「殺せればそれでいいんでね」


 軽口を叩きながらもニュクスの眼光は鋭い。剣技と魔術を併用したキロシス司祭の戦術は強力だが、これまでの戦闘の感触から、身体能力という点では自分に分があるとニュクスは分析していた。剣技と魔術を放つのも所詮しょせんは人の身。どこかに必ず隙は生まれる。それを見逃さない自信がニュクスにはあった。一撃を加えれば勝利が確定する以上、決して不利な勝負ではない。

 微細な動きも見逃すまいと、ニュクスは二刀のククリナイフを構えたまま、キロシス司祭の一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくを注視するが、事態は思わぬ方向へと展開することとなる。


「……ちっ、しくじりおったか」


 それまでは余裕を感じさせていたキロシス司祭の表情が微かにくもる。

 それは中央区南側の劇場で、ソレイユがアマルティア教団の人間を撃破したのと同時刻の出来事であった。

 表情に変化が現れてもキロシス司祭は隙らしい隙を見せない。攻撃を誘うための芝居の可能性も考慮し、ニュクスはこの時点では仕掛けることをしなかった。


「せっかく盛り上がってきたところだというのに、部下が少々やらかしてしまったようだ。名残惜しいが、指揮官としてはおの享楽きょうらくよりも、作戦の遂行を優先せねばなるまい」

「行かせると思うか?」


 相変わらず隙は見当たらないが、この場で仕留めなければ厄介なことになるのは確実。隙が無ければ作ればよい。そう判断し、ニュクスは俊足でキロシス司祭へと迫ったが、


「スコーパエ!」

「何っ!」


 キロシス司祭が言の葉を唱えた瞬間、凄まじい衝撃波が鐘楼を襲う。

 古い建造物である煉瓦造りの鐘楼は一溜りもなく、轟音ごうおんと共に倒壊を始めた。キロシス司祭へと斬りかかる直前だったニュクスの足場も、激しい揺れと共にひび割れ、徐々に崩れ落ちていく。


「勝負は預けるぞ――」

「待て!」


 崩壊を始めた鐘楼の頂上から、キロシス司祭の姿が消えた。ニュクスは咄嗟にダガーナイフを投擲とうてきしたが、刃は司祭を捉えることはなく、鐘楼の外へと飛び出していった。


「最悪だな」


 キロシス司祭を仕損じたこともそうだが、今自分が置かれた状況そのものがまさに最悪であった。

 大きな溜息をつくと同時に、ニュクスの立つ足場は完全に崩壊した。

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