第51話 運命

「娘さんがいたとは初耳だ」

「誰にも話したことはなかったからな。名前はマノン、今月の頭に5歳になったばかりだ」

「母親は?」

「妻は生まれつき体が弱くてな。マノンを生んで間もなく……それからは、男手一つでマノンを育ててきた……だけど、運命ってのは残酷ざんこくだ……」


 シモンは運命を呪うかのように、歯を食いしばった。


「……三年前、マノンは妻と同じ病気を発症した。病状は深刻で、何もしなければもって三年の命だと医者からは宣告されたよ。唯一の望みは……」

「先端の魔術医療かい?」

「そうだ。まだ試験段階の治療法ではあったが、マノンを救える可能性があるのなら、俺はそれに賭けてみたいと思った……けど、現実ってのは世知辛い。試験段階の先端魔術医療を受けるには高額な費用がかかる。結婚指輪も、家族三人で生活するために購入した家も全て金に換えたが、それでも目標額には到底及ばなかった。費用を稼ぐために、俺は結婚と同時に引退した傭兵の仕事に戻ることにしたよ。当時していた仕事じゃ、とても目標額には届きそうになかったからな。マノンは王都の友人夫婦に預けて、俺はこの三年間、傭兵として戦場を駈けめぐった。危ない橋も何度も渡って来たが、俺が死ねばその瞬間マノンの命運も尽きる。死に物狂いで生き残り、我武者羅がむしゃらに金を稼いできたよ」

「だけど、それでも足りなかったんだね?」

「ああ……マノンの命のリミットは残り少ないのに、まだ目標額の7割にしか達していなかった……そんな時だよ、アマルティア教団が俺に接触し、高額な依頼をもちかけてきたのは。邪神復活を目論むアマルティア教団。その作戦に加担することは決して許されないことだ。だけど、教団の依頼を達成したなら目標額まで一気に到達する。迷いは無かったよ。世界平和なんてマノンの命には代えられない。娘こそが俺の世界だからな」


 感情的に言葉をつむいでいくシモンの頬には、いつの間にか涙が伝っていた。それでも武器を握る手に込める力だけは緩めない。


軽蔑けいべつしてくれても構わない。愚かな選択だってことは自覚してる」

「教団に加担したことは許しがたいけど、娘さんを救うために行動したことは、父親としての君の立派な正義感だ。それを否定することは僕には出来ないよ……だけど」

「だけど、何だよ?」

「君はまだ、僕に隠していることがあるね?」

「大金が必要な理由なら語っただろ。これ以上、俺が何を隠してるって!」


 迷いを振り切るかのように、シモンが荒々しくファルコへと斬りかかった。

 感情的なシモンの刃を、ファルコは理性的に槍ので流していく。

 しびれを切らしたかのようにシモンは勢いよく跳躍ちょうやく、近くの建物の壁をって一気にファルコの背後まで回り込んだ。


「悪く思うな、娘のためだ!」


 この一撃で決まる覚悟で、シモンはファルコ目掛けてバスタードソードを一閃いっせんした。


「……僕を舐めるなよ、シモン・デフェンタール」


 刹那せつな、身をよじったファルコが高速で振るった槍がバスタードソードと接触、柄が刀身を破壊し、穂先ほさきがファルコの胸部を掠めて真一文字の傷を作った


「くっ……」

 

 負傷したシモンが地面に膝をつく。胸部からは鮮血が滴り、衣服を赤く濡らしていた。


「……やっぱり強いな、ファルコは」


 剣としての体裁ていさいを成さなくなったバスタードソードを手放し、シモンはその場に大の字に倒れ込んだ。


「シモン。君はこの場で、僕に殺されるつもりだったんだね」


 悲し気な顔で、ファルコはシモンの顔を覗き込んだ。


「……どうしてそう思う?」

「君が僕に向けてきた殺気は本物だったけど、執念のような物は感じられなかった。娘さんの命がかった状況で、殺気に執念が混じらないのは不自然だ。それに加えて、手斧の投擲とうてきいささか狙いが甘く、バスタードソードの剣筋も直線的。君らしくない戦い方だ。君が全力で向かってきたのなら、こんなにも呆気あっけなく勝負が決まることはなかったはずだ」

「……何でもお見通しかよ」

「シモン、もう一度聞くよ。君は僕に、まだ何か隠していることがあるね?」


 墓場まで持っていくつもりだった最後の隠し事。

 決してファルコの前では語るまいと誓っていたが、もう一人で抱え込んでいるのは限界だった。理解してもらおうとは思わないが、せめて真実だけは知っておいてもらいたい。


 共に戦っている間は、本心から相棒だと思っていた相手だから。


「三日前に……マノンは死んだ……」


 涙の滲む目元を右手で覆い隠したシモンは、絞り出すようにファルコの質問に答えた。


「……俺は、間に合わなかったんだ」


 三日前、マノンの容体が急変した。5歳の少女の肉体は、容赦ない病魔からの攻撃に耐えきることが出来なかった。決して有り得ない話ではない。医師から告げられていた三年というリミットを向かえていた以上、いつ何が起こってもおかしくは無かったからだ。

 シモンはそのことを昨日の夕刻、借りている部屋に届いていた、マノンを預けている王都の友人夫婦からの手紙で知った。容体が急変したその日にマノンは亡くなったそうで、シモンを死に目に立ち会わせてあげられなかったことを、友人夫婦は手紙上で激しく悔いていた。王都からグロワールまでの距離を考えれば、手紙は最速で届いたことになる。シモンはマノンのことを迅速じんそくに知らせてくれた友人夫婦に感謝さえしても、恨む気など毛頭なかった。


 マノンの死をもって、シモンの世界は崩壊した。

 運命とは残酷だ。最後のチャンスに賭ける機会さえも与えてくれなかったのだから。

 妻に続いて、娘までもうしなってしまった。

 激しい絶望感が、シモンの心の中で冠水かんすいした。


 絶望と同時に、激しい自己嫌悪に陥った。

 愛する娘を喪った今、シモンに残されたのは己の正義に背を向けて悪魔に魂を売ってしまったという事実だけ。本来は正義感の強い性格であるシモンは、そんな自分のことが許せなかった。


 そんなシモンが行き着いた答えは――


「……悪人として死のうと決めた。アマルティア教団に加担した愚かな傭兵として、ファルコの手でたれることで人生を終えようと考えた」

「手の込んだ自殺だ」

「……何とでも言ってくれ。娘も、傭兵としての大切な物も失ってしまった今の俺には、もう生きる意味なんて無いんだ……」


 シモンは苦笑交じりに上体を起こし、ファルコの目をしっかりと見据みすえた。


「ファルコ。俺を殺してくれ……」

「嫌だね。勝手に僕を死因にするな」

 

 槍を手放し、ファルコはシモンの胸ぐらを掴み上げた。声色こそ落ち着ているが、瞳に怒りと悲しみが混在するファルコの表情はいつになく感情的だ。


「絶望する気持ちは分かる。だけど、死に場所を人に頼るな。君の生き死に関わっている程、僕は暇じゃない」


 ファルコはシモンの胸ぐらから手を離し、次なる戦場へと向かうべく槍を背負い直した。


「シモン。君は傭兵失格かもしれないが、傭兵として積み重ねてきた経験まで消えたわけじゃない。君の心にまだ正義が残っているのなら、今のこの街の状況に対してやれることはあるはずだ。死を望むなら、その後からでも遅くはないだろう」

「……お人好しめ」

「何とでも言ってくれ。とにかく、僕は君を殺さない」


 優しくも厳しい言葉を残してこの場を立ち去ろうとしたファルコの背中を、胸の傷を押さえながら立ち上がったシモンが呼び止めた。


「……ファルコ。アマルティア教団の人間を捜しているんだろう」

「場所を知っているのかい?」

「全員がそこにいるとは限らないが、少なくとも関係者はいるはずだ。だけど急いだほうがいいぞ。死にたがりは、俺だけじゃないからな」

「死にたがり?」

「場所は――」


 シモンからもたらされた情報に驚愕し、ファルコは眉をしかめて苦々しい表情を浮かべていた

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