第45話 非常事態宣言
「……何が起こっているんだ」
オッフェンバック
ほんの
オッフェンバック卿ら数名は、その一部始終を目撃していた。一部の使用人は、あまりにも
「屋敷の中に戻りなさい! 早く!」
君主としての
「お館様、門番二人の安否を確かめてきます。もしかしたら、まだ息があるかも――」
「待て! 早まる――」
「う、うわああああああ――」
オッフェンバック卿の静止を振り切り、
「何ということだ……」
若い衛兵の死を受け、オッフェンバック卿は沈痛な面持ちだが、危機は彼自身にも迫っていた。
翼竜は、若い衛兵を引き留めようと飛び出したオッフェンバック卿を次の獲物と定めていた。若い衛兵の
「くっ!」
「旦那様……」
メイドのタチアナが目を伏せた瞬間、屋敷の中から鋭い風切り音が、翼竜目掛けて突き抜けた。
オッフェンバック卿へと迫る翼竜の右目に矢が命中。痛みでバランスを崩した翼竜は進行方向を大きく変え、屋敷の庭の
「ご無事ですか。オッフェンバック様」
屋敷の奥から弓を片手に姿を現したのは、屋敷に居合わせたウーだった。
玄関の扉の
午後からは買い物目的で外出予定だったので、ウーの滞在中に事が起こったのは、不幸中の幸いだったといえるだろう。
「ウー殿ですか、助かりました」
「申し訳ありません。私がもう少し早く行動出来ていたら、門番の安否を確かめにいった彼を救えたかもしれないのに」
尻餅をつくオッフェンバック卿を引き起こしたウーは、若い衛兵を救えなかった後悔を口にした。どうしようもない状況だったとは思う。それでも、命を救えなかったという事実を簡単に割り切ることは出来なかった。
「責められるものですか。あなたがいなければ、私も今頃は物言わぬ
「せめて、これ以上の犠牲者を出さないように努めます。オッフェンバック様は、屋敷内へ退避していてください。あの翼竜は、私達で仕留めます――」
瞬間、納屋の木片を尾で薙ぎ払って態勢を整え、再び飛翔しようとしていた翼竜に、大柄なシルエットが背後からバトルアックスで切りかかる。
「逃がさん!」
クラージュの振るったバトルアックスが、翼竜の背面を
しかし、翼竜も一方的にやられはしない。力一杯羽を振るって風圧を生み出すことでクラージュを
「この程度、効かぬわ!」
風圧の勢いに負けずにクラージュは全力で斧を振り切り、飛翔直後の翼竜の右足を切り落とした。断面から鮮血が勢いよく
「終わりよ」
クラージュが翼竜を斬り付けてくれたおかげで、ウーが標的に狙いを定める時間は十分だった。
連続して射出された4本の矢が、翼竜の両翼の
「終わりだ」
婚約者のウーと同様の台詞を放つと同時に、クラージュは地に落ちた翼竜の首目掛けて、渾身の力でバトルアックスを振り下ろした。
剛腕の一撃を受けた翼竜の首は完全に両断。鮮血が溢れ、僅かばかりの
「
魔法陣に関しては初見だが、死を迎えた魔物が黒い塊と化して霧散する現象は、一カ月前にヴェール平原で体験している。クラージュはアマルティア教団の関与を確信した。
「クラージュ、あれを見て」
「……事態は深刻なようだな」
勝利の喜びも束の間。街の方向を見やる二人の表情は、これまでの以上の緊張感を宿していた。
今倒した翼竜は氷山の一角に過ぎない。グロワールの街の至る場所に、空駆ける竜の姿が確認出来た。
「悪夢だ……」
事態をオッフェンバック卿や臣下たちも察したらしい。グロワールの街は複数体の竜による襲撃を受けている。これは紛れもない、グロワールの街始まって以来、最大最悪の
「オッフェンバック様。
「そうだな。街は
流石は大都市の長といったところか。状況に困惑しながらも、オッフェンバック卿の判断は早く、臣下達に素早く指示を飛ばしていく。
「アルべリック・オッフェンバックの名を持って、グロワール全域に非常事態宣言を発令する。街の衛兵たちに、住民の避難誘導に努めるよう指示してくれ。劇場や議会場、学院など、大勢の人間を収容可能な建物を全て解放し避難所として利用。この屋敷も避難所の一つとして開放する。避難が難しい場合は自宅や職場など、最寄りの建物への退避を
「しかしお館様。足元を見た傭兵たちは高額な報酬を要求してくるやもしれませぬ。雇用費に関して、議会の承認を得られる保証もありませんし」
「承認などいらぬ。金銭の要求にも言い値で答える。此度の事案における傭兵の雇用費は全てこの私、アルべリック・オッフェンバックの個人資産から
「はっ! 承知いたしました」
オッフェンバック卿の
「クラージュ殿、ウー殿。主君であるソレイユ殿の身が心配であろうが、申し訳ない。もうしばらくの間だけ、私に力を貸して頂けないだろうか。ある程度の防衛体制が整うまででよい。その後は、ソレイユ殿の下へ合流してくれても構わないから」
「もとよりそのつもりです。ソレイユ様ならばきっと、オッフェンバック様に協力するよう命じられるはずですから」
「お心遣いを感謝する。ギルドへ向かわせた者には、ソレイユ殿とも接触するように指示している。互いの状況に関する情報は、
「ソレイユ様ならば大丈夫です。今頃はきっと人々を守るために剣を取り、竜へと立ち向かっていることでしょう。同行した二人も負けず劣らずの手練れ。竜如きに遅れを取りません」
「不安は無いのかね?」
「正直なところ、不安がまったくないと言えば嘘になります。物事に絶対などありませんからね。ですが同時に、そんなことを考えてしまう自分が愚かしくもある。どのような
「自らの全力を持って道を切り開くか。私も、そうせなばならぬな」
クラージュの語るソレイユ像に
「クラージュ。新手だよ」
徐々に屋敷へと近づいてくる翼竜の鳴き声。別の場所で召喚された翼竜が、新たな獲物を求めて襲来した模様だ。
翼竜を視認した瞬間、ウーは何時でも矢を放てるように鋭い眼光で狙いを定めた。バトルアックスを握るクラージュの右腕にも力が籠る。
「行くぞ、ウー。援護は任せた」
「任されたよ、クラージュ」
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