第45話 非常事態宣言

「……何が起こっているんだ」


 オッフェンバックきょうは、目の前で起こっている光景を直ぐには理解することが出来ずにいた。目を見開き、その頬には冷や汗が伝っている。


 ほんの数刻すうこく前、突然、屋敷の前に目のわった老齢の男性が現れ、行政やオッフェンバック卿個人に対する不平不満を大声でまくし立てた。程度の差はあれ、貴族や有力者の屋敷前で一般市民が抗議活動を行うことは、それほど珍しいことではない。相手が老人一人だったこともあり、門を守る二人の衛兵も、穏便に済ませようと男性をなだめていたのだが、男性がふところから黒い宝玉を取り出したことで状況は一変、これまでで一番激しい罵詈雑言ばりぞうごんを並べた瞬間、黒い宝玉が飛翔し空中に魔法陣まほうじんを展開。そこから招来しょうらいした翼竜よくりゅうが、「見ていろオッフェンバック――」と言いかけた老人の頭を噛み千切った。同時に、鋭い爪で衛兵一人の腹部を内蔵ごと抉り取り、もう一人の衛兵は強烈な尾の一撃に吹き飛ばされて門へと直撃、豪快に血の華を咲かせた。


 オッフェンバック卿ら数名は、その一部始終を目撃していた。一部の使用人は、あまりにも凄惨せいさんなその光景に嘔吐おうとしてしまっている。


「屋敷の中に戻りなさい! 早く!」


 君主としての矜持きょうじだろうか、幾分からの冷静さを取り戻したオッフェンバック卿は、使用人や臣下達にそう告げた。決して真っ先に逃げようとはしない。あくまでも他の者達を逃がすことを優先させる。


「お館様、門番二人の安否を確かめてきます。もしかしたら、まだ息があるかも――」

「待て! 早まる――」

「う、うわああああああ――」


 オッフェンバック卿の静止を振り切り、勇敢ゆうかんにも一人の若い衛兵が門番二人の安否を確認しようと門へと近づいたが、頭上から迫った翼竜に鹵獲ろかくされ、数十メートルの高さから地上目掛けて落とされた。衛兵の体はぺしゃんことなり、4人目の犠牲者となった。


「何ということだ……」


 若い衛兵の死を受け、オッフェンバック卿は沈痛な面持ちだが、危機は彼自身にも迫っていた。

 翼竜は、若い衛兵を引き留めようと飛び出したオッフェンバック卿を次の獲物と定めていた。若い衛兵の亡骸なきがらの真上に降下すると、そのまま地面すれすれを滑空かっくうし、大口を開けてオッフェンバック卿へと迫った。


「くっ!」

「旦那様……」


 メイドのタチアナが目を伏せた瞬間、屋敷の中から鋭い風切り音が、翼竜目掛けて突き抜けた。

 オッフェンバック卿へと迫る翼竜の右目に矢が命中。痛みでバランスを崩した翼竜は進行方向を大きく変え、屋敷の庭の納屋なやへと突っ込んでいった。ギリギリではあったが、オッフェンバック卿は翼竜の直撃を避け、事なきを得た。


「ご無事ですか。オッフェンバック様」


 屋敷の奥から弓を片手に姿を現したのは、屋敷に居合わせたウーだった。

 玄関の扉のわくや退避してきた人々など、遮蔽物しゃへいぶつの多い屋内から屋外の翼竜を正確に狙撃する。これはルミエールの大自然の中で、多くの魔物を狩ってきたウーだからこそ出来た神業だ。

 午後からは買い物目的で外出予定だったので、ウーの滞在中に事が起こったのは、不幸中の幸いだったといえるだろう。


「ウー殿ですか、助かりました」

「申し訳ありません。私がもう少し早く行動出来ていたら、門番の安否を確かめにいった彼を救えたかもしれないのに」


 尻餅をつくオッフェンバック卿を引き起こしたウーは、若い衛兵を救えなかった後悔を口にした。どうしようもない状況だったとは思う。それでも、命を救えなかったという事実を簡単に割り切ることは出来なかった。


「責められるものですか。あなたがいなければ、私も今頃は物言わぬしかばねとなっていた。彼を引き留めることが出来なかったのは私の責任です。もっと強く引き留めていればあるいは……」

「せめて、これ以上の犠牲者を出さないように努めます。オッフェンバック様は、屋敷内へ退避していてください。あの翼竜は、私達で仕留めます――」


 瞬間、納屋の木片を尾で薙ぎ払って態勢を整え、再び飛翔しようとしていた翼竜に、大柄なシルエットが背後からバトルアックスで切りかかる。


「逃がさん!」


 クラージュの振るったバトルアックスが、翼竜の背面をうろこの鎧ごと大きく切り裂いた。耳をつんざくような翼竜の絶叫が木霊こだまするが、それに怯まずクラージュは、追撃のために渾身こんしんのフルスイングを構える。


 しかし、翼竜も一方的にやられはしない。力一杯羽を振るって風圧を生み出すことでクラージュを牽制けんせい。勢いそのままには飛翔を試みるが、


「この程度、効かぬわ!」


 風圧の勢いに負けずにクラージュは全力で斧を振り切り、飛翔直後の翼竜の右足を切り落とした。断面から鮮血が勢いよくあふれ出したが、翼竜は勢いを弱めずそのまま上昇した。この場にウーがいる以上、空は決して安全な場所ではないにも関わらずだ。


「終わりよ」


 クラージュが翼竜を斬り付けてくれたおかげで、ウーが標的に狙いを定める時間は十分だった。

 連続して射出された4本の矢が、翼竜の両翼のふしを正確に射抜いた。飛行の安定性を失った巨体は力なく地表へと落下していく。落下したその瞬間を、クラージュは見逃さなかった。


「終わりだ」


 婚約者のウーと同様の台詞を放つと同時に、クラージュは地に落ちた翼竜の首目掛けて、渾身の力でバトルアックスを振り下ろした。

 剛腕の一撃を受けた翼竜の首は完全に両断。鮮血が溢れ、僅かばかりの痙攣けいれんを残す胴体と首は、やがて黒いかたまりと化し、大気に溶けるかのように霧散むさんした。


奇怪きかいな魔法陣からでたことといい、この消滅の仕方といい。やはりこれは」


 魔法陣に関しては初見だが、死を迎えた魔物が黒い塊と化して霧散する現象は、一カ月前にヴェール平原で体験している。クラージュはアマルティア教団の関与を確信した。


「クラージュ、あれを見て」

「……事態は深刻なようだな」


 勝利の喜びも束の間。街の方向を見やる二人の表情は、これまでの以上の緊張感を宿していた。

 今倒した翼竜は氷山の一角に過ぎない。グロワールの街の至る場所に、空駆ける竜の姿が確認出来た。


「悪夢だ……」


 事態をオッフェンバック卿や臣下たちも察したらしい。グロワールの街は複数体の竜による襲撃を受けている。これは紛れもない、グロワールの街始まって以来、最大最悪の災禍さいかだ。


「オッフェンバック様。此度こたびの竜の襲撃は、アマルティア教団による攻撃の可能性が高い。カラクリは分かりませぬが、ここと同様の事態が街の至る場所で起こっていると考えられます。すぐさま事態に対処せねば、甚大じんだいな被害が生じることでしょう」


 はやる気持ちを抑え、クラージュはオッフェンバック卿に冷静に指摘した。ソレイユのことが気がかりだが、状況を考えれば、今すぐにこの場を離れるわけにもいかない。


「そうだな。街は再興さいこう出来るが、人の命はそうはいかない。先ずは市民たちの安全確保を第一に考えねば」


 流石は大都市の長といったところか。状況に困惑しながらも、オッフェンバック卿の判断は早く、臣下達に素早く指示を飛ばしていく。


「アルべリック・オッフェンバックの名を持って、グロワール全域に非常事態宣言を発令する。街の衛兵たちに、住民の避難誘導に努めるよう指示してくれ。劇場や議会場、学院など、大勢の人間を収容可能な建物を全て解放し避難所として利用。この屋敷も避難所の一つとして開放する。避難が難しい場合は自宅や職場など、最寄りの建物への退避を推奨すいしょう。少なくとも屋外にいるよりは安全なはずだ。竜への対処は騎士団の全戦力を持ってあたる。傭兵ギルドにも人を送り、可能な限り傭兵達の協力も取り付けよ」

「しかしお館様。足元を見た傭兵たちは高額な報酬を要求してくるやもしれませぬ。雇用費に関して、議会の承認を得られる保証もありませんし」

「承認などいらぬ。金銭の要求にも言い値で答える。此度の事案における傭兵の雇用費は全てこの私、アルべリック・オッフェンバックの個人資産から捻出ねんしゅつする。私が個人的に傭兵を雇用するのだ、議会とて文句はあるまい。今は何よりも戦力が欲しい。すぐさま事にあたれ!」

「はっ! 承知いたしました」


 オッフェンバック卿の一喝いっかつを受け、臣下達も次々と行動を開始した。伝令へ向かう者、屋敷を避難所として開放する準備を始める者、戦闘に備えて武器を手に取る者。グロワールの街を守るべく、一人一人が表情に強い覚悟を宿していた。


「クラージュ殿、ウー殿。主君であるソレイユ殿の身が心配であろうが、申し訳ない。もうしばらくの間だけ、私に力を貸して頂けないだろうか。ある程度の防衛体制が整うまででよい。その後は、ソレイユ殿の下へ合流してくれても構わないから」

「もとよりそのつもりです。ソレイユ様ならばきっと、オッフェンバック様に協力するよう命じられるはずですから」

「お心遣いを感謝する。ギルドへ向かわせた者には、ソレイユ殿とも接触するように指示している。互いの状況に関する情報は、じきに共有出来るはずだ……あちらも大事なければよいが」

「ソレイユ様ならば大丈夫です。今頃はきっと人々を守るために剣を取り、竜へと立ち向かっていることでしょう。同行した二人も負けず劣らずの手練れ。竜如きに遅れを取りません」

「不安は無いのかね?」

「正直なところ、不安がまったくないと言えば嘘になります。物事に絶対などありませんからね。ですが同時に、そんなことを考えてしまう自分が愚かしくもある。どのような窮地きゅうちであろうと怯まず、自らの全力を持って道を切り開く。ソレイユ様はそういうお方だということを一番よく理解しているのもまた、私達臣下なのだから」

「自らの全力を持って道を切り開くか。私も、そうせなばならぬな」


 クラージュの語るソレイユ像に感銘かんめいを受け、オッフェンバック卿は力強く頷いた。自らの全力を持って此度の事態の収束に務めようと、改めて強い覚悟を胸に刻む。


「クラージュ。新手だよ」


 徐々に屋敷へと近づいてくる翼竜の鳴き声。別の場所で召喚された翼竜が、新たな獲物を求めて襲来した模様だ。

 翼竜を視認した瞬間、ウーは何時でも矢を放てるように鋭い眼光で狙いを定めた。バトルアックスを握るクラージュの右腕にも力が籠る。


「行くぞ、ウー。援護は任せた」

「任されたよ、クラージュ」

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