第44話 狩場

「りゅ、竜だああああ――」

「み、みんな逃げろ!」


 突然の竜の襲来に、人々は我先にと逃げ出す。途端に大通りはパニック状態へと包み込まれた。

 多くの者が緊急時の集合場所としても利用される噴水広場方面へとけていく。人の波に押され、転倒する者も続出した。


「ニュクス、これはいったい」

「喰われたおばさんが持ってた黒い宝玉。あれはノタと呼ばれる魔具まぐで、遠隔えんかく召喚しょうかんを行う際の目印として使われるものらしい。俺も資料以外で見るのは初めてだけどな」

「アマルティア教団ですか――」

「そういうことだ――」


 状況を確認した瞬間、ソレイユとニュクスは同時に窓から飛び出し大通りへと出た。このままでは群衆ぐんしゅうにさらなる犠牲者が出てしまう。直ぐにでも翼竜よくりゅうをどうにかしなくてはいけない。


「きゃああああ!」


 腰を抜かしてしまった10歳前後の少女目掛けて、翼竜よくりゅうは両足の鋭い鉤爪かぎづめを突き立てようと急降下。少女は恐怖のあまり身動きが取れず、目を伏せ、両腕で頭をかばうことしか出来なかった。


「よっと」


 ニュクスは翼竜の降下よりも早く少女を抱え上げてその場から退避。降下地点ではタルワールを抜刀したソレイユが待ち構え、翼竜を真っ向から迎え撃とうしている。


「勇ましいね」


 ニュクスが称賛の笑みを浮かべた瞬間、ソレイユの振るったタルワールの一閃いっせんと、降下の勢いが乗った翼竜の鉤爪が接触、甲高い音が響くと同時に凄まじい衝撃波が巻き起こった。


「きゃっ!」

「おっと」


 ニュクスは少女の身体をコートで覆って衝撃波から庇った。衝撃の中心であるソレイユは髪が乱れたことを除けばまったくの無傷で、対する翼竜はソレイユの一撃に驚き、再び上空へと飛翔した。よくみると翼竜の右足は、三本の鉤爪が全て斬り飛ばされていた。初撃はソレイユに軍配が上がったようだ。この戦闘が時間稼ぎとなり、混乱状態だった人達もある程度は屋内や噴水広場へと退避することが出来た。


「ギルドの中に逃げるといい。屋外よりは安全なはずだ」

「あ、ありがとう、お兄ちゃん」


 ニュクスは少女がギルドの中へ駆け込んだを見届けると、上空を旋回する翼竜を注視するソレイユの下へと駆け寄った。


「お嬢さんのことを随分ずいぶんと警戒しているな。それにしても空とは厄介だ」

「私が魔術で狙います。ソレイユ様とニュクスは、翼竜がひるんで落下したところを仕留めてください」


 傭兵ギルドから飛び出して来たリスが合流した。ウーをオッフェンバックきょうの屋敷に残してきてしまった以上、現状この場で遠距離攻撃が可能なのはリスしかいない。


「頼んだわリス」


 翼竜を注視したまま、ソレイユは背中でリスの命じた。

 すぐさまリスは右手を上空へとかざし、旋回する翼竜へと狙いを定めようとしたが――


「憎きこの街に、血の制裁を――」

「……おいおい」


 突如としてニュクスたちの後方――噴水広場の方向から、若い女性のものと思われる不穏な叫び声が響き渡った。噴水広場は翼竜から逃げ延びた多数の人々が逃げていった方向でもある。嫌な予感と共にニュクスが振り返ると、噴水広場の上空にも先程と同様の魔法陣まほういじんが発生し、そこから招来しょうらいした二体目の翼竜が急降下。若い女性の叫び声が止まったかと思うと、今度はその何倍もの悲鳴が木霊こだました。


「行ってくださいニュクス! こちらが片付いたら、直ぐに合流します」

「承知した」


 指示を聞き終える前には、ニュクスはすでに駆け出していた。

 今この瞬間にも頭上には翼竜がおり、ソレイユとリスがこの場を離れるわけにはいかない。消去法でニュクス以外に救援に向かえる人間はいなかった。持ち前の俊足も、救援には好都合だろう。


 ――しかし、空をける相手にどう立ち回る?


 投擲とうてき武器としてダガーナイフは所持しているが、飛翔する翼竜相手では飛距離が足りないし、例え命中したとしても、固いうろこに弾かれる可能性が高い。飛び乗って切り刻むのが一番確実だが、それこそ飛翔する相手に接触するのは簡単なことではないだろう。


 しかし、一個体の脅威など些末さまつな問題でしかなかった。

 事態はより深刻な方向へと展開していくこととなる。


「最悪だな」


 決しては足は止めぬが、面倒だと言わんばかりにニュクスは眉をまゆめていた。

 出来ることなら目にしたくなかった光景が、視界に映りこんでしまったからだ。

 

 大通りや噴水広場の上空に出現したのと同様の魔法陣が、街中の至るところに、同時多発的に出現していた。ニュクスが視認出来ただけでも10ヶ所以上。魔法陣が必ずしも空中に出現するとも限らないので、実数はもっと多いのかもしれない。中にはオッフェンバック卿の屋敷付近に出現した魔法陣もある。

 街中に突然、同時多発的に竜が出現するなど前代未聞ぜんだいみもん。このような事態に即応そくおうするのは、熟練の軍隊でも難しいだろう。ましてやグロワールは、街の規模に対して防衛戦力が不足しているのだから。


 人であふれ返った街という名の巨大な箱は、竜たちにとって絶好の狩場であろう。状況は最悪だった。


「まあ、何とかなるだろう」


 考えてどうにかなるような問題でもない。自身の力と経験を信じ、その場その場で状況に対処していく他ない。


 先ずは目の前の脅威を取り除くべく、ニュクスは噴水広場へと駆け込んだ。

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