第42話 予期せず混浴

「おや、体調はもうよろしいのですか?」

「はい。休息を頂いたおかげですっかり回復しました。会食を欠席してしまい、申し訳ありません」


 オッフェンバックきょうの屋敷に戻ったニュクスは、客室近くの廊下でメイドのタチアナとばったり出会ってしまった。リスに頼んでいた通り、体調不良で休んでいたと伝わっていたようなので、その方向で話を合わせていく。


「よろしいのです。日中の盗賊との戦闘の際は、あなたが一番ご活躍されたとお聞きしました。疲弊ひへいなされるのも仕方がありません」

「この程度で体が悲鳴を上げるとは、自分が情けないです。もっと精進せねば」


 すました顔で、ニュクスは心にもない言葉を吐いていく。


「それにしても、コート姿でどうされたのですか? まるで外出してきたかのような」

「体の調子も良くなったので少し散歩をしていました。病み上がりですので、一応風よけにと思いコートを」

「そういうことでしたか。回復されたのなら何よりです」

「ありがとうございます」


 爽やかモードでニュクスは微笑む。


「お風呂は済ませましたか?」

「いえ、まだですが」

「廊下の一番奥に、お客様用の大浴場がございます。旅の疲れを癒すには丁度よいと思いますよ。バスタオルやバスローブなどは脱衣所の方に常備しておりますので、そのままでもご利用いただけます」

「浴場ですか、いいですね」


 たまには浴場で足を延ばしてくつろぐのも悪くないだろう。タチアナの提案に、ニュクスは満更でもなさそうに頷いた。


「ニュクス様のご利用が終わりましたら浴場の清掃に入りますので、お上がりになられましたら、お手数ですが一言お声がけ頂けますでしょうか? 私は客室近くの詰所つめしょに待機しておりますので」

「分かりました。どうもありがとう」

「ごゆっくりとお寛ぎくださいませ」


 タチアナに見送られ、ニュクスは廊下の奥にある浴場へと向かった。




「来客用にしては広いな」


 腰巻タオル一枚で脱衣所から浴場へ立ち入ったニュクスは、その広さに素で感心していた。来客専用の浴場があるだけでも凄いし、洗い場は一度に20名以上が利用出来る広さがある。流石は大都市の長の屋敷といったところか。

 

 ニュクスがそんな感想を抱ていると、


「その声、もしかしてニュクスですか?」

「その声、もしかしてお嬢さんか?」


 湯煙の影響で気づくのが一瞬遅れたが、湯船に浸かる女性らしいシルエットが確認出来た。声からしてソレイユなのは確定だ。

 浴場ということもあり、当然彼女は一糸いっしまとわぬ姿だ。その裸身がもたらすのは性的興奮よりも、美しい芸術作品を目の当たりにし心を奪われてしまった時のような、純粋な感嘆かんたんの方が強いだろう。勇ましき戦士としての衣を脱ぎ捨てた今のソレイユは、沐浴もくよくを楽しむニュンペー(美しき精霊)のようでもある。


「どうしてお嬢さんがこちらに?」


 大きく動じることはなく、ニュクスは洗い場の椅子に腰掛けた。

 暗殺者である以上、女性の裸程度では動揺しない。それでも一応の礼儀と思い、ソレイユの方は見ないでいる。


「個室にも浴室はあったのですが、どうせなら大きいお風呂にゆっくり浸かりたいなと思いこちらに。リスたちに気を遣わせたくなかったので、皆の入浴が終わってからやって来たのですが、まさか最後の最後であなたがいらっしゃるとは」

「なるほど。あのメイドさんはお嬢さんは客室の風呂を使うものだと思っていたのか。そうでもなきゃ、流石にこのタイミングで俺に浴場は進めないよな」

「何か言いましたか?」

「いや、こっちの話だ」


 と言いながら、ニュクスはおけに張ったお湯を頭から被り、豪快に髪を濡らした。そのまま髪を後ろへと持っていき、オールバックの形を作る。


「安心してくれ。体だけ洗ったら、さっさと上がるから」

「せっかくの大浴場ですよ。遠慮せずにゆっくり浸かっていけばよいではないですか」


 浴槽の縁に両腕をかけて、ソレイユはどことなくつやっぽくそう言った。


「今更だけど、恥じらいは無いのか? 仮にも裸の男女が同じ空間にいるわけだが」

「まったく無いといえば嘘になりますが、減るものじゃありませんしね。まさか、ニュクスは欲情に負けて女性を襲うタイプでもないでしょう?」

「襲いはしないが、殺しはするかもしれないぞ?」

「その時は返り討ちにしますのでご心配なく」


 文字通りの丸腰でも、ソレイユの自信や気迫は衰えをしらない。

 ソレイユのことだ、冗談抜きに、もしもの場合は裸一貫で事に対処するつもりなのだろう。恥じらいという隙を持たぬ以上、それは決して大袈裟おおげさな話ではない。


「素っ裸で返り討ちに遭うのは御免だな」


 苦笑いを浮かべつつ、ニュクスは石鹸せっけんを泡立て体を洗っていく。

 今日は戦闘が続いたため、いつもより疲労が溜まっていた。盗賊との戦闘での疲労など微々たるものだが、その後の数分間のファルコとの戦闘が何よりもこたえた。

 シャワーで体中の泡を洗い流す。疲労感が泡に溶けだし、そのまま一緒に流れていくような感覚に陥る。


「本当にそっちに行ってもいいんだな?」

「遠慮なさらずにどうぞ。だけど、まじまじと観察するのは禁止ですよ。その時は目つぶしです」

「絵描きの目だ。それは困るな」


 体を洗い終えると、お言葉に甘えてニュクスも湯船にゆっくりと浸かることにした。流石にソレイユに近すぎるのは躊躇ためらわれたので、5人分ほど間隔を空けて腰を下ろした。

 湯煙も大分薄くなったので、横目にはソレイユの素肌の色が映る。一応、胸を両腕で隠すくらいの恥じらいはあるようだが、背を向けたり、そわそわするような素振りは一切無い。十分堂々としている部類だろう。


「外出は楽しかったですか?」


 ソレイユは少しだけムッとしていた。


「怒ってるのか?」

「もとより会食への出席を強制するつもりはありませんでしたので、欠席したことは別によいのです。ただ、リスに伝言を頼むだけではなく、せめて私に一言断ってくれればと、そう思っただけです」

「悪かったよ。次からは、ばっくれる前にお嬢さんに一声をかけることする」

「さぼる前提なのは如何なものかと思いますが、まあいいでしょう。ただし、私があなたの参加が必要だと判断した場合には、よろしくお願いしますよ」

「お嬢さんのお願いならば」


 必要とされる場まで欠席する程ニュクスは意地悪ではない。髪を拭くのに使ったタオルを頭に乗せつつ、ニュクスは素直に頷いた。


「それでは改めてお聞きしますが、外出は楽しかったですか?」


 今度はムッとしていない。ニュクスが外でどう過ごしてきたのか、純粋に興味があるようだ。


「まあ、そこそこな。屋敷を飛び出してしばらくは街中をブラブラして、大通りから少し外れたところにある大衆食堂で夕食を済ませた」

「何を食べたんですか?」

「鹿肉の串焼きと、季節の野菜の盛り合わせサラダ。ルミエール領に比べると味付けが濃い目で、これはこれで美味しかったけど、ルミエールの女将さんの料理と比べるとどうしても劣るな。女将さんの料理が恋しいよ」

「パメラさんが聞いたら喜びますよ。とはいえ、地元と違った味付けの料理というのも興味があります。グロワールを発つ前に、外食するのも面白そうですね」


 幼子のように晴れやかな顔で、ソレイユはニュクスの方を見て笑った。湿度と熱気で頬が紅潮こうちょうしているせいか、いつも以上に表情豊かに見える。


「食事の後はどうされたのですか?」

「食後の運動も兼ねてまた街中をぶらついて、街の中央の噴水広場へと出た。そういえばそこで、傭兵のファルコに会ったな」

「ファルコとは縁があるようですね。何か話されたのですか?」

「時間つぶしに世間話を少々。お互いに相手の本気が見れなくて残念だったなんて、そんな他愛のない話をな」

「私もそのお話しに混ざってみたかったですね。だけど、今夜あなたがファルコと再会したのは、私にとって好都合だったかもしれません」

「というと?」

「私はファルコを雇用し、旅に同行して頂きたいと考えています。戦力強化のため、傭兵の雇用の有無について検討することも、グロワールの街を訪れた理由の一つですからね。戦闘能力はもちろんこと彼の人となり、個人的にはかなり気に入りました。何かを隠している感はありますが、その程度、今更大して気にはしません」

「自分の命を狙った暗殺者を迎え入れたお嬢さんが言うと、説得力が違うな」


 何故か他人事のようにニュクスは語る。


「明日にでもファルコに雇用の話をもちかけてみようと思っています。その場にはニュクスにも同席して頂きますよ。刃と雑談を交わしたあなたがいれば、話もスムーズに進むかもしれません。好都合というのはそういうことです」

「お嬢さんのお願いとあらば、喜んで同行させてもらうよ。ただし俺の存在なんて、交渉において何の材料にもならないと思うけどな」


 謙遜けんそん気味に言うと、ニュクスは湯船から両手でお湯をすくい、自身の顔へと浴びせた。風呂から上がる直前は、何となくいつもこうしている。


「俺は先に上がることにするよ。いくら気にしないと言っても、先に上がって着替える姿を見られるのは気乗りしないだろう?」

「あら、意外と紳士なのですね」

「まあ、昼間の盗賊連中よりはな――」


 湯船から上がろうとした瞬間、不意にニュクスは裸のソレイユへと近づき、彼女の顔に右手を伸ばした。


「どうかしましたか?」


 ソレイユは澄んだ瞳で真っ直ぐとニュクスを見据えた。口は真一文字に結んでいる。胸を隠していた両腕を解き、色白な乳房が露わになっているが、それでもソレイユは堂々たるもの。乙女の顔はなりを潜め、今の彼女の顔は戦士としての迫力に満ち溢れている。


「……ほおに羽虫が止まってた」

「そうですか。ありがとうございます」


 微笑むソレイユの左頬から手を離すと、ニュクスは素早く湯船から上がり、脱衣所へと向かった。


 文字通り丸腰で武器を持たずとも、対象を殺害する方法は幾らでもある。あの瞬間、ニュクスはソレイユを試していた。場合によってはそのまま背後に回り込み、首の骨を折ることも考えたのだが、ニュクスの微かな殺気を感じ取ったソレイユの反応は早く、わずかな恥じらいの象徴であった胸元の両腕も解き、いつでもどうぞと言わんばかりに、戦士としての表情をニュクスへと向けてきた。

 足元の滑る水場に加え、体そのものも濡れている。上手く首を決めることが出来ないかもしれないし、下手に長引いて誰かが異変を察したら、丸腰な分がこちらが不利になる可能性もある。今は決して好機ではないと判断し、ニュクスは結局、ソレイユの頬に触れるだけに留めた。ちなみに、羽虫がソレイユの頬に止まっていたのは本当のことだ。


 一瞬とはいえニュクスがソレイユへ殺気を向けるのは久しぶりのことだが、今回の一件で2人の関係性が変化することはないだろう。何故ならそういう契約なのだから。

 ニュクスから殺気が抜けると同時に、ソレイユはいつものように微笑みを浮かべていた。此度こたび悶着もんちゃくはもう決着している。


「長湯してのぼせるなよ」

「お優しいですね」


 気遣いの言葉を残し、ニュクスは浴場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る