第40話 エキドナ

「監視役も大変だね、カプノス」


 グロワールの街を見渡せる鐘楼しょうろうかげで、不意に一人の青年が、ニュクスの監視役であるカプノスの背後に現れた。気配は感じていたので、青年が姿を現してもカプノスはほとんど無反応だ。

 くせ毛気味のオリーブ色のショートヘアーと三白眼さんぱくがんが印象的な青年は、穏やかな笑みを浮かべて両腕を組んでいる。服装は黒いタートルネックの上に焦げ茶色のレザージャケットを羽織り、足元はベージュのパンツを、ジャケットと同系色のブーツへと収めている。


「思わぬ場所で会うものですね、エキドナ」


 青年の名はエキドナ。アマルティア教団の暗殺部隊に所属しており、ニュクスに匹敵する戦闘能力を持つエースの一人だ。また、ニュクスが絵描きとしての顔を持つように、エキドナにも暗殺者以外にもう一つの顔がある。それは小説家としての顔だ。オットーというペンネームでメ―デン王国を中心に活動しており、重厚な人間ドラマに彩られた愛憎劇は、大陸中の読書家から高い評価を得ている。

 ちなみに、ニュクスがソレイユ・ルミエール暗殺に赴く前、エキドナは彼に自身の新著をプレゼントしていたのだが、読書の習慣の無いニュクスは結局、ほとんどそれを読むことはなかった。結果として新著は、ルミエール家の屋敷で知り合った読書家のリスの手へと渡っている。


「あなた一人ですか?」

「今のところはね。別件で近くに来ていたから、たまたま一番乗りしただけだよ」

「暗殺のお仕事ですか? 私は何も聞いていませんが」

「君が知らないのも無理はない。私がクルヴィ司祭から指示を受けたのも、つい先日のことだからね。今回の仕事は暗殺というよりも、もしもの場合の事後処理担当。いわば保険だね」

「事後処理? ということは、何か正規部隊による作戦が起こるということですか」

「そのようだ。毎度のことながら、私たち暗殺者には詳細は知らされていないけどね」


 エキドナの口調は世間話をするかのように穏やかだ。何が起こるか分からぬ状況など、暗殺者にとっては日常茶飯事。緊張や不安などまったく存在していない。


「とにかく、私がこの街へとやって来たのはそういう理由からだよ。偶然、君の姿を見つけたから、一言くらい挨拶しておこうかと思ってね」

「よく私を見つけられましたね。平時でも、限りなく気配を消しているつもりでしたが」

「私の感覚が鋭いのは君も知っているだろう。これだけは唯一、ニュクスにも負けないと自負している私の個性だからね」

「そうですね」


 いつものことながら淡泊なカプノスの反応を受けて、エキドナは思わず苦笑いを浮かべた。もう少し感情的に言葉を発したら可愛げがあるのになと、若干の苛立ちを覚える。


「ニュクスは元気にしているかい? 今はこの街に滞在しているのだろう」

「標的のふところに潜りこみ、刻々と暗殺の機会を伺っているようです。一度仕損じていますから、慎重になっている感はありますが」

「あのニュクスが仕損じたと聞いた時には驚いたよ。暗殺者としての彼の強さは、同僚である私達が一番よく知っているからね」

「それだけの相手だということです。司祭が無期限の任務を与えたわけですから」

「ニュクスの殺せなかった相手、確かソレイユとか言うお嬢さんだったかな。興味深いね」

「余計な手出しをすれば、ニュクスに殺されますよ」

「分かっているよ。ニュクスにちょっかいなんて出したら、彼や彼女の逆鱗げきりんに触れてしまうからね」


 肩をすくめる仕草をしつつ、エキドナはカプノスに背中を向けた。


「それでは、私はこれで失礼するよ。出番が無いに越したことはないのだけど、もしもの場合に備えて色々と下見をしておかないとね」

「ご健闘をお祈りいたします」

「ありがとうカプノス。君もニュクスの監視役、頑張ってね」


 爽やかな笑顔でそう言うと、エキドナの姿は夜の闇の中へと消えていった。

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