第21話 もう戻らない
「お屋敷のソレイユ様からの要請で、王都への出向に同行することになりました。近日中に出立予定なので、準備を整えておくようにと」
その日の夜。ニュクスは宿の食堂で旦那さんと女将さんに、昼間の招集の件について報告していた。宿を離れる以上、今後のことについて色々と相談しておかなくてはならない。
「長くなるのかい?」
「明確に期限の定められた任務ではありませんから、その可能性は高いかと。そういう事情ですから、俺の借りている部屋は元通り客室として使ってください。私物は出発までに片づけておきますから」
「ニュクスくん。もしかして、もう戻って来ないつもりかい?」
元旅人としての勘か、あるいは多くの旅人を見送ってきた宿屋の主人としての経験則か。旦那さんは鋭かった。
「俺は元々の旅人の身で、一つの土地に長居する性分ではありません。ここでの生活はとても楽しかったけど、そろそろ潮時かなと。今回の任務は口実にちょうどいい」
「イリスには?」
「一番最初に伝えました。一応は納得を口にしてくれましたが、それ以降は一度も口を聞いてくれません。正直なところ間も悪かったと思います。つい先日イリスを安心させるために、直ぐにこの町からいなくなるわけじゃないから安心しろと伝えばかりでしたから」
「なるほど、それでイリスに元気が無かったのか」
「すみません」
「君は悪くない。前にも話したが私も元旅人だ、旅人としての君の決断を肯定はしても否定はしない。イリスだって、いつかは君とお別れしなければいけない時が来るとは分かっていたはずだ。今はまだ、気持ちが追いついてないだけだよ」
「イリスはニュクス君のことが大好きで、兄のように慕っていたから。素っ気なくなってしまうのも、気持ちの裏返しだと思うの。悪く思わないであげてね」
「分かっています。短い間だったけど、俺にとってもイリスは妹のような存在でしたから」
この気持ちに嘘偽りは無い。ニュクスがここでの生活に、イリスと過ごす時間に安らぎを感じていたのは紛れもない事実だ。
悪いのは全て自分だと、ニュクスは心の中で自己嫌悪する。暗殺者という出自、町へとやってきた理由、このまま戻ってこない理由。誇れることなど何一つない。
「私達も、子供がもう一人で増えたようでとても楽しかったよ。また何時でも遊びにおいで。君なら大歓迎だ」
「その時は一報を入れてね。美味しいアップルパイを焼いて待っているから」
「ありがとうございます。旦那さん。女将さん……」
ニュクスは深々と、申し訳なさそうに頭を下げた。
言葉に甘えてまたこの宿を訪れたいという気持ちは強いけど、それが叶うことは
人生を、始めからやり直しでもしない限りは――
「次は王都ですか。ニュクスも大変ですね」
「カプノスか」
オネット一家が寝静まった後。
宿の屋根の上に寝転び、夜空を眺めていたニュクスの顔を、銀髪の小柄な少女――カプノスが覗き込んだ。監視役のカプノスはいつだって突然、ハイネックの黒いコートを
表情豊かなルミエール領の人々とは対照的な、無感情かつ無機質なカプノスの表情は、これはこれで落ち着きを感じるものだ。
「少人数で赴く遠方での任務。これ以上の好機はないな」
ソレイユの本拠地であり周囲の目も有るルミエール領内よりも、領を離れて少人数で行動している時の方が暗殺を狙いやすい。ソレイユだってそうそう隙を見せることは無いだろうが、状況的には最大の好機であることは間違いない。
「宿の方々には戻らないと告げたのは、覚悟の表れですか?」
「単なる事実だよ。お嬢さんを手にかけた後、どの面下げてここに戻って来れる?」
「戻れるものなら戻りたいと?」
「……別に」
この話は終わりだと言わんばかりに、ニュクスは突き放すようにそう言った。
暗殺者としての会話の中に、イリスやオネット夫妻のことを登場させるのは、ニュクスにとっては不愉快なことであった。
「当然、お前も付いてくるんだろう?」
「はい。ニュクスのお仕事を見届けるのが私のお仕事ですから」
「体調には気をつけろよ」
「お気遣い感謝します」
研ぎ澄まされた暗殺者の感覚さえも掻い潜るこの隠密性には、やはり得体の知れない不気味さを感じずにはいられない。
「……殺しの仕事が終わったらその土地を離れる。いつものことだ」
ニュクスは夜空に向かって呟く。
呟きに対する答えを、夜空は落としてはくれなかった。
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