第22話 出立前日

「もう準備は済ませたのか?」

「カジミール兄さんか」


 出立の前日。修練場にいたクラージュは、カジミールに声をかけられ斧の素振りを止めた。

 カジミールにタオルを投げ渡され、額や首筋に溜まった汗を豪快ごうかいに拭う。


「とっくに済ませたよ。元々持参したい私物も無いからな。装備品とそれを手入れする道具だけあれば、私はそれで十分だ」

「お前らしいというか何というか。生真面目なのは分かっているが、あまり気を張り過ぎるなよ」

「努力するよ」

「そうか。まあ、ウーもいるし大丈夫だろう」


 気を張るなという助言に対して努力で返す生真面目さに、カジミールは思わず苦笑した。

 とはいえ、そこまで深刻に心配しているわけではない。今回の任務にはクラージュの婚約者であるウーも参加する。明るい性格の彼女がいれば、クラージュの緊張も程よく解れることだろう。


「兄さん。私達が留守の間、領のことは頼んだ」

「もちろんだ。俺だけじゃない、フォルス様やドラクロワ団長、騎士団の皆がこの領を守る。こっちのことは心配せずに、お前はソレイユ様の力になってやってくれ」

「もちろんだ。全力を尽くす」


 お互いの健闘を祈り、力強く拳を突き合わせた。


「景気づけに今から手合わせでもしないか? 最近は何かと忙しく、久しく手合わせしていなかったからな」

「面白い。今回こそは勝ち越させてもらうよ」




「しばらくはリスちゃんともお別れか……寂しくなるな」

「また直ぐに会えますよ。状況が落ち着いたら、一時的に帰ってきたりも出来るでしょうし」


 意気消沈しながら、ゼナイドは化粧台の前に座るリスの亜麻色あまいろの髪を結い上げていた。

 普段とは違い、リスは嫌そうな顔はしていない。しばらく会えなくなるのだから、今日ぐらいはゼナイドの我儘わがままを聞いて、着せ替え人形になってあげるのも悪くないと思ったからだ。


「帰って来るまでの間に、可愛いお洋服をいっぱい用意しておくからね」

「いえ、それはご遠慮願います。今日だって特別ですからね」


 こういったやり取りもしばらくはお預けかと思うと、お互いに心寂しくある。

 お別れになるとは思わないが、危険な任務である以上、絶対とも言い切れない。


「リスちゃん。ソレイユ様のことをよろしくね」

「もちろんです。私の魔術は、ソレイユ様のために磨き抜いてきたものですから」

「頼もしいな。私よりもずっと長い間、リスちゃんはソレイユ様と共に戦ってきたんだものね」


 リスが初めてソレイユと共に魔物討伐に赴いたのは4年前、僅か10歳のこと。ソレイユの隣で戦っていた時間は、新参者のゼナイドよりも長いのだ。


「戦った時間の長さなんて関係ありません。ソレイユ様のお力になりたいという気持ちは、みな一緒でしょう?」

「そうだね。リスちゃんの言う通りだ」


 どこか救われたような表情で、ゼナイドの声色が明るくなった。


「ありがとうリスちゃん。大好き!」

「わわわ!」


 髪を結い上げる動作を止め、ゼナイドは後ろからリスに力いっぱい抱き付いた。

 リスは突然のことに面食らい、慌ててしまっている。


「絶対無事に帰って来てね。また一緒にお話ししよう」

「はい」


 ゼナイドから温かい言葉をかけられ、それに応えるようにリスは力強く頷いた。




「ソレイユ様、お茶のおかわりは如何ですか?」

「ありがとう」


 ソレイユのティーカップに、メイドのソールが紅茶を注いでいく。

 出立の前日であるこの日、必要な準備を全て終えたソレイユは、心穏やかに普段通りの日常を送っていた。こんな何気ない日常ともしばらくはお別れ。そう考えると、何気ない光景の一つ一つがとても感慨深い。


「ソールの料理が食べられなくなるのは寂しいわね」

「私も寂しいです。明日は、とびっきりのお弁当を用意することをお約束します」

「ありがとう。今からとても楽しみだわ」


 出立の前日だというのに、ソレイユには一切の気負いを感じられない。

 平和な日常とはしばらくお別れだが、戦士であるソレイユにとっては戦場もまた日常。

 日常から日常へ向かうことに、そもそもソレイユは不安を感じていないのだ。


「ソレイユ様はお強いのですね。とても尊敬します」

「ソールや皆がいてくれるからよ。皆の支えがあるからこそ、私は強い私のままでいられる」

「勿体なきお言葉です」

「戻ったら、私の大好物のアップルパイを焼いてもらおうかしら」

「もちろんです。その時は、腕によりをかけてお作り致します」


 ソールは泣きそうな顔で不器用に笑った。

 

「泣かないで。今生こんじょうの別れでは無いのだから」

「分かっています。だけど……」

「まったく。ソールは泣き虫なんだから」


 ソレイユはソールの体を優しく引き寄せ、その体を抱きしめた。

 臣下を安心させてあげることも、主君の大事な役目の一つだ。


「絶対に戻って来るから。無事を祈っていて」


 これは、ソレイユ自身の覚悟を表す言葉でもあった。

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